最多勝投手で最も悪い防御率

最多勝はエース級投手の勲章だが、勝利数は味方打線の援護にも左右される。では、リーグ最多の白星を挙げながら、防御率が最も高かった投手は誰なのか。

一般的には?

最多勝は「勝利数」で決まるため、防御率に受賞条件はない。それでも好投を続ける投手ほど白星を得やすく、近年は最多勝投手の防御率も優秀な例が多い。パ・リーグでは2008~2017年の10年間、最多勝投手で最も高い防御率でも3.39で、最優秀防御率との同時獲得も複数あった[1]。4点台まで上がる例はかなり異例だ。

同年の最優秀防御率
2.76

答え

最多勝投手の防御率4.29

答えは防御率4.29。1985年の阪急ブレーブス・佐藤義則は21勝11敗で最多勝を獲得しながら、防御率は4.29だった[2][3]。NPBがこの条件の歴代順位を公式集計しているわけではないが、確認できる資料では、歴代の最多勝投手で最も高い防御率とされている[4]。

年
1985年
選手
佐藤義則
チーム
阪急ブレーブス
カテゴリ
投手

普通と比べると

同年の最優秀防御率
2.76
この年の最多勝投手
4.29

最優秀防御率より1.53高い

1985年パ・リーグ内の比較。防御率は低いほど優秀。工藤公康2.76、佐藤義則4.29[2]。

詳細

1985年の佐藤義則

佐藤は35試合に登板し、34先発、23完投、260回1/3を投げて21勝11敗。防御率4.29ながら最多勝に加え、188奪三振でリーグ最多も記録した[2][3]。一方で被安打279、与四球105、失点136、自責点124と、走者や失点も少なくなかった。防御率順位は規定投球回到達23人中10位だった[2][4]。

項目成績
登板/先発35/34
勝敗21勝11敗
防御率4.29
完投/完封23/2
投球回260回1/3
被安打279
与四球105
奪三振188
失点/自責点136/124

◇主要投手タイトルのトップ3

同じリーグの主要3部門を見ると、最多勝と奪三振では佐藤が1位。しかし防御率では上位3人から大きく離れ、規定投球回到達者の10位だった[2][5]。

最多勝

順位選手名球団勝利
1佐藤義則阪急21
2石本貴昭近鉄19
3山田久志阪急18

最優秀防御率争い

順位選手名球団防御率
1工藤公康西武2.76
2渡辺久信西武3.20
3柴田保光日本ハム3.28

奪三振

順位選手名球団奪三振
1佐藤義則阪急188
2柴田保光日本ハム160
3渡辺久信西武121

※トップ3は1985年パ・リーグの公式成績表・規定投球回到達者の数値を基に整理。佐藤の最多奪三振はNPB公式のリーグ・リーダーズにも記載されている[2]。

◇強力打線が作った援護の土台

阪急は130試合で758得点。チームの1試合平均得点は5.83点で、1985年パ・リーグ6球団では最多だった[2]。リーグ全体は6球団合計4050得点、780チーム試合なので平均5.19点。阪急はリーグ平均を1試合あたり約0.64点上回っていた。

指標数字位置づけ
阪急の総得点758点リーグ1位
阪急のチーム1試合平均得点5.83点758÷130
パ・リーグ平均得点5.19点4050÷780
差+0.64点/試合阪急が上
佐藤登板時の援護援護率8点台二次資料[7]

佐藤の34先発について「1先発あたり何点援護されたか」を直接集計した一次資料は確認できなかった。そこでシーズンの得点環境として上のチーム1試合平均5.83点を示し、個人の援護状況は、全登板を復元した二次資料の「援護率8点台」を併記する[7]。援護率は一般に投手が投げている間の得点を9イニング換算する指標で、1試合平均援護点とは定義が異なる。数字を無理に換算せず、「普段から得点力の高い打線だったうえ、佐藤登板時にはさらに厚い援護があった」ことを示す材料として扱う。

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◇主要オーダーと打撃成績

代表的な打順は、福本-弓岡-簑田-ブーマー-松永-熊野-ヒックス-藤田-岩本の並び[6]。固定打線ではないが、当時の主力構成をつかむ目安になる。ブーマーは34本塁打122打点、松永は打率.320・26本塁打・38盗塁、簑田は24本塁打80打点、新人の熊野も打率.295・14本塁打を残した[5]。

打順守備選手打率本塁打打点盗塁
1左福本豊.287115123
2遊弓岡敬二郎.29586328
3右簑田浩二.27824809
4一ブーマー.327341222
5三松永浩美.320268738
6中熊野輝光.295146013
7指J.ヒックス.20722571
8捕藤田浩雅.21711530
9二岩本好広.27661621

※打順はRCAA&PitchingRunまとめblog掲載の「1985年阪急打線」を代表例として使用。個人成績は2689webのシーズン成績で確認[5][6]。

なぜ4点台でも21勝できたのか

最大の要因として考えやすいのは、やはり得点力だ。チームはリーグ最多の758得点を挙げ、佐藤登板時の援護率も二次資料では8点台。5月9日から7月18日までは引き分けを挟んで11連勝を記録しており、その期間には大量援護を受けた試合もあった[7]。

ただし「打線のおかげだけ」と結論づけるのも正確ではない。11連勝のうち6勝はHQS(7回以上を投げて自責点2以下)だったとされ[7]、独走優勝した西武戦でも11試合で8勝2敗と強豪相手に白星を稼いだ[8]。188奪三振はリーグ最多で、260回1/3、23完投という圧倒的な仕事量もあった[2][3]。

◇「防御率4.29」の見え方にも時代差がある

1985年のパ・リーグは打高投低だった。阪急のチーム防御率は4.98で、佐藤の4.29は自軍平均より0.69良い。一方、リーグ最優秀防御率は2.76。つまり「最多勝投手としては異例に高い防御率」なのは確かだが、当時のリーグ環境の中で極端に通用していなかったわけではない[2][4]。防御率の単純な年代比較には注意が必要だ。

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翌年は一転して最優秀防御率

佐藤は翌1986年、14勝6敗、防御率2.83で最優秀防御率を獲得した[3]。1985年の4.29だけを見て投手能力そのものが低かったとみなすのは難しい。強力な援護、打高投低の環境、最後まで投げ切る起用、そして本人の奪三振力とタフさが重なったことで、「抑え込み方」と「勝ち星」が大きくずれたシーズンだったと見るのが妥当だ。

確認日:2026年10月5日。NPBは「最多勝投手の防御率ワースト」という歴代表を公式には掲載していないため、歴代最悪の断定は二次資料を併用し、「確認できる範囲では」としている。

何がすごいのか

  • 21勝で最多勝を獲得しながら防御率4.29。確認できる範囲では、歴代最多勝投手で最も高い防御率とされる。
  • 阪急はリーグ最多758得点、チーム1試合平均5.83点。佐藤登板時の援護率も二次資料では8点台とされ、援護の厚さが際立つ。
  • それでも188奪三振、260回1/3、23完投、西武戦8勝2敗。勝利数を「他力」だけでは説明できないほど本人の仕事量も大きかった。

出典