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1985年の佐藤義則
佐藤は35試合に登板し、34先発、23完投、260回1/3を投げて21勝11敗。防御率4.29ながら最多勝に加え、188奪三振でリーグ最多も記録した[2][3]。一方で被安打279、与四球105、失点136、自責点124と、走者や失点も少なくなかった。防御率順位は規定投球回到達23人中10位だった[2][4]。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| 登板/先発 | 35/34 |
| 勝敗 | 21勝11敗 |
| 防御率 | 4.29 |
| 完投/完封 | 23/2 |
| 投球回 | 260回1/3 |
| 被安打 | 279 |
| 与四球 | 105 |
| 奪三振 | 188 |
| 失点/自責点 | 136/124 |
◇主要投手タイトルのトップ3
同じリーグの主要3部門を見ると、最多勝と奪三振では佐藤が1位。しかし防御率では上位3人から大きく離れ、規定投球回到達者の10位だった[2][5]。
最多勝
| 順位 | 選手名 | 球団 | 勝利 |
|---|---|---|---|
| 1 | 佐藤義則 | 阪急 | 21 |
| 2 | 石本貴昭 | 近鉄 | 19 |
| 3 | 山田久志 | 阪急 | 18 |
最優秀防御率争い
| 順位 | 選手名 | 球団 | 防御率 |
|---|---|---|---|
| 1 | 工藤公康 | 西武 | 2.76 |
| 2 | 渡辺久信 | 西武 | 3.20 |
| 3 | 柴田保光 | 日本ハム | 3.28 |
奪三振
| 順位 | 選手名 | 球団 | 奪三振 |
|---|---|---|---|
| 1 | 佐藤義則 | 阪急 | 188 |
| 2 | 柴田保光 | 日本ハム | 160 |
| 3 | 渡辺久信 | 西武 | 121 |
※トップ3は1985年パ・リーグの公式成績表・規定投球回到達者の数値を基に整理。佐藤の最多奪三振はNPB公式のリーグ・リーダーズにも記載されている[2]。
◇強力打線が作った援護の土台
阪急は130試合で758得点。チームの1試合平均得点は5.83点で、1985年パ・リーグ6球団では最多だった[2]。リーグ全体は6球団合計4050得点、780チーム試合なので平均5.19点。阪急はリーグ平均を1試合あたり約0.64点上回っていた。
| 指標 | 数字 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 阪急の総得点 | 758点 | リーグ1位 |
| 阪急のチーム1試合平均得点 | 5.83点 | 758÷130 |
| パ・リーグ平均得点 | 5.19点 | 4050÷780 |
| 差 | +0.64点/試合 | 阪急が上 |
| 佐藤登板時の援護 | 援護率8点台 | 二次資料[7] |
佐藤の34先発について「1先発あたり何点援護されたか」を直接集計した一次資料は確認できなかった。そこでシーズンの得点環境として上のチーム1試合平均5.83点を示し、個人の援護状況は、全登板を復元した二次資料の「援護率8点台」を併記する[7]。援護率は一般に投手が投げている間の得点を9イニング換算する指標で、1試合平均援護点とは定義が異なる。数字を無理に換算せず、「普段から得点力の高い打線だったうえ、佐藤登板時にはさらに厚い援護があった」ことを示す材料として扱う。
関連記事シーズン・順位最も低いチーム順位から選ばれたシーズンMVP◇主要オーダーと打撃成績
代表的な打順は、福本-弓岡-簑田-ブーマー-松永-熊野-ヒックス-藤田-岩本の並び[6]。固定打線ではないが、当時の主力構成をつかむ目安になる。ブーマーは34本塁打122打点、松永は打率.320・26本塁打・38盗塁、簑田は24本塁打80打点、新人の熊野も打率.295・14本塁打を残した[5]。
| 打順 | 守備 | 選手 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 左 | 福本豊 | .287 | 11 | 51 | 23 |
| 2 | 遊 | 弓岡敬二郎 | .295 | 8 | 63 | 28 |
| 3 | 右 | 簑田浩二 | .278 | 24 | 80 | 9 |
| 4 | 一 | ブーマー | .327 | 34 | 122 | 2 |
| 5 | 三 | 松永浩美 | .320 | 26 | 87 | 38 |
| 6 | 中 | 熊野輝光 | .295 | 14 | 60 | 13 |
| 7 | 指 | J.ヒックス | .207 | 22 | 57 | 1 |
| 8 | 捕 | 藤田浩雅 | .217 | 11 | 53 | 0 |
| 9 | 二 | 岩本好広 | .276 | 6 | 16 | 21 |
※打順はRCAA&PitchingRunまとめblog掲載の「1985年阪急打線」を代表例として使用。個人成績は2689webのシーズン成績で確認[5][6]。
なぜ4点台でも21勝できたのか
最大の要因として考えやすいのは、やはり得点力だ。チームはリーグ最多の758得点を挙げ、佐藤登板時の援護率も二次資料では8点台。5月9日から7月18日までは引き分けを挟んで11連勝を記録しており、その期間には大量援護を受けた試合もあった[7]。
ただし「打線のおかげだけ」と結論づけるのも正確ではない。11連勝のうち6勝はHQS(7回以上を投げて自責点2以下)だったとされ[7]、独走優勝した西武戦でも11試合で8勝2敗と強豪相手に白星を稼いだ[8]。188奪三振はリーグ最多で、260回1/3、23完投という圧倒的な仕事量もあった[2][3]。
◇「防御率4.29」の見え方にも時代差がある
1985年のパ・リーグは打高投低だった。阪急のチーム防御率は4.98で、佐藤の4.29は自軍平均より0.69良い。一方、リーグ最優秀防御率は2.76。つまり「最多勝投手としては異例に高い防御率」なのは確かだが、当時のリーグ環境の中で極端に通用していなかったわけではない[2][4]。防御率の単純な年代比較には注意が必要だ。
あわせて読むシーズン・順位最もタイトルホルダーの少ないリーグ優勝チーム翌年は一転して最優秀防御率
佐藤は翌1986年、14勝6敗、防御率2.83で最優秀防御率を獲得した[3]。1985年の4.29だけを見て投手能力そのものが低かったとみなすのは難しい。強力な援護、打高投低の環境、最後まで投げ切る起用、そして本人の奪三振力とタフさが重なったことで、「抑え込み方」と「勝ち星」が大きくずれたシーズンだったと見るのが妥当だ。
確認日:2026年10月5日。NPBは「最多勝投手の防御率ワースト」という歴代表を公式には掲載していないため、歴代最悪の断定は二次資料を併用し、「確認できる範囲では」としている。