1シーズンで最も低いチーム防御率を記録した球団

とにかく失点しない。大エースの個人記録ではなく、チーム全体としての最も低い防御率とは?

一般的には?

この記録が生まれたシーズンは、8球団のチーム防御率を単純平均しても約1.87という投手優位の年だった。個人の防御率ではなく、すべての投手の自責点と投球回から求めるチーム全体の数字で、さらに低い水準を残した球団がある[A1]。

同シーズン8球団の平均チーム防御率
約1.867防御率

答え

チーム防御率防御率1.33

答えは防御率1.33。1941年の大洋軍が、87試合で記録したシーズン最低のチーム防御率である[A1][B1]。

年
1941年
チーム
大洋軍
カテゴリ
シーズン・順位

普通と比べると

同シーズン8球団の平均チーム防御率
約1.867防御率
シーズン最低チーム防御率
1.33防御率

平均より約0.54低い(約28.8%低い)。

平均=(1.33+1.59+1.61+1.747+1.750+1.82+2.24+2.85)÷8。NPB掲載値を単純平均した値で、リーグ全体の自責点を総投球回で割った加重平均ではない。差=1.867125−1.33、低下率=差÷1.867125。防御率は割合なので棒グラフにはしない。参考:2リーグ制後の最少は1955年巨人の1.75で、今回とは集計範囲を分ける[A1][A9][B1]。

詳細

記録の数字と球団の正体

大洋軍の投球回は827回2/3。投手7人の公式個人成績を合計すると自責点は122で、122×9÷(827+2/3)=約1.3267となり、公式表示は1.33である。失点は170で、自責点とは48点の差がある。防御率1.33を「実際に1試合平均1.33点しか取られなかった」と読み替えてはいけない[A1][A2][A3][A4][A5][A6][A7][A8]。

翼軍と名古屋金鯱軍が合併して1941年に生まれたのが、この大洋軍である。1943年には西鉄軍へ改称したが、戦後の大洋ホエールズや西鉄ライオンズとは別の球団。現在のDeNAや西武の古いチーム名と考えると、系譜を取り違えてしまう[B2][B4]。

おすすめ投手最多勝投手で最も悪い防御率最多勝はエース級投手の勲章だが、勝利数は味方打線の援護にも左右される。では、リーグ最多の白星を挙げながら、防御率が最も高かった投手は誰なのか。

同年の順位と投手成績

下表は1リーグ8球団の最終順位。チーム防御率の順ではなく、勝敗による順位に投手成績を併記した[A1]。

順位チーム名試合勝利敗北引分勝率ゲーム差防御率投球回奪三振完投完封勝失点
1東京巨人8662222.738―1.750801回2/33605826193
2阪急8553311.6319.01.59796回2424321204
3大洋8747373.56015.01.33827回2/32954322170
4南海8443410.51219.01.82788回2854415214
5阪神8441430.48821.01.61806回2/32344314199
6名古屋8437470.44025.01.747782回1/32523913217
7黒鷲8528561.33334.02.85759回1/32174715310
8朝日8525591.29837.02.24787回2/3226447294

完封勝はNPBのチーム投手成績欄の数字。名古屋と東京巨人の防御率は公式の順位差が分かるよう3桁表示を残した。引分が記載されていない球団は0。すべて[A1]。

投手7人の公式年間成績

野口二郎と浅岡三郎が二桁勝利。136回2/3の古谷倉之助と116回2/3の三富恒雄も防御率1点台で、100回以上を投げた4人が全員1.60以下だった。エース一人の好成績だけで説明できる数字ではない[A2][A3][A4][A5]。

順位選手名登板勝利敗北勝率防御率投球回完投完封勝対打者被安打被本塁打与四球与死球奪三振失点自責点
1野口二郎482512.6760.88338回2510127520158511684433
2浅岡三郎29116.6471.60179回1/31037141237750454132
3古谷倉之助2637.3001.38136回2/3505661053590363521
4三富恒雄2769.4001.46116回2/332471823400302819
5長尾貞利1212.3332.2540回00169342220121410
6中山正嘉511.5002.8115回1/3006370120465
7石原繁三100.0009.001回2/30092020022

投球回の多い順。成績は大洋軍在籍分のみ。石原の同年黒鷲在籍分を含めない。中山の公式防御率2.81は、公式の自責点5と15回1/3から再計算した約2.93とは一致しないため、公式表示をそのまま残した。年間成績はNPB公式値[A2][A3][A4][A5][A6][A7][A8]。

先発と救援を兼ねた投手陣

現在の先発ローテーションと救援陣のように、投手を二つの専任グループへ分けると当時の起用を説明できない。野口は26試合に先発し、さらに22試合に救援。三富は21先発・6救援、浅岡は17先発・12救援だった。以下は投手を固定の役職で分けず、それぞれの登板時の役割に分けた投球内容である[B2]。

先発登板の個別成績

順位選手名登板投球回対打者被安打奪三振四死球
1野口二郎26233回2/391215612070
2浅岡三郎17126回2/3499813954
3三富恒雄2198回2/3402692735
4古谷倉之助1491回2/3379662238
5長尾貞利723回10223512
6石原繁三11回2/39202
7中山正嘉10回1001
合計87575回1/32304397213212

全87試合の復元記録から集計した参考値[B2]。順位はこの役割での投球回順。四死球は四球と死球の合計。先発から外野等へ移り、同じ試合で再登板した場合は最初の投球を先発、再登板後を救援とする。0回はアウトを取る前に交代。自責点に公式年間値との相違があるため、役割別防御率は掲載しない。

救援登板の個別成績

順位選手名登板投球回対打者被安打奪三振四死球
1野口二郎22104回1/3363454816
2浅岡三郎1252回2/321542621
3古谷倉之助1245回187391421
4三富恒雄618回691335
5長尾貞利517回6711710
6中山正嘉415回1/3627411
合計61252回1/39631578284

全87試合の復元記録から集計した参考値[B2]。順位はこの役割での投球回順。四死球は四球と死球の合計。先発から外野等へ移り、同じ試合で再登板した場合は最初の投球を先発、再登板後を救援とする。0回はアウトを取る前に交代。自責点に公式年間値との相違があるため、役割別防御率は掲載しない。

◇エースは先発だけでは終わらなかった

野口は先発で233回2/3、救援でも104回1/3を投げた。救援時の対打者は363、被安打45、四死球16、奪三振48。登板内容の復元値は参考集計だが、先発日に長い回を投げるだけでなく、他投手の試合にも繰り返し登場した働き方が分かる。年間338回はチーム投球回の約40.8%、25勝は47勝の約53.2%を占めた[A1][A2][B2]。

◇この防御率でも優勝できなかった理由

大洋は170失点に抑えた一方で204得点にとどまり、得失点差は+34。優勝した巨人は357得点・193失点で+164だった。大洋の打率.189は8球団中7位で、巨人の.249とは大きな開きがある。投手陣が抑えても得点が増えなければ勝利は積み上がらない、と成績から読むことができる。個々の敗戦をすべて援護不足と断定するものではない[A1]。

◇投手優位の時代の中でも低かった

同年は8球団のうち6球団がチーム防御率2点未満。最も高い黒鷲でも2.85だった。大洋の数字を現代の防御率と直接比べて歴代最強の投手陣と断定するのは適切ではない。それでも、同じ年の平均約1.87より約0.54低く、2番目の阪急1.59より0.26低い。時代全体の低さを踏まえても、その年の先頭に立っていた[A1]。

◇野口の投打にまたがる鉄腕ぶり

野口はこの年、最優秀防御率を獲得しただけでなく、打者として79試合に出場し、248打数46安打、打率.185、1本塁打、26打点だった。野球殿堂博物館は内外野手も兼ねた活躍を紹介し、翌1942年の延長28回完投や、戦後の31試合連続安打も伝えている。通算237勝・防御率1.96に加えて830安打を残した選手が、この投手陣の中心だった[A2][B3]。

2リーグ制後の記録とは分けて読む

1950年以降に限れば、歴代記録資料が挙げる最少は1955年巨人の防御率1.75。NPB年度別成績でも130試合、1193回、291失点、92勝37敗1分の優勝を確認できる。戦前を含む答えの1.33と、2リーグ制後の1.75は、対象範囲の違う記録である[A9][B1]。

確認日は2026年10月12日。対象は日本プロ野球の一軍公式戦のチーム別シーズン成績。ポストシーズン、オープン戦、ファーム、特定期間だけの成績を除く。戦前の1リーグ時代を含み、春秋別開催期は公式の期別成績で扱う。最低記録の位置づけはNPB年度別成績と歴代記録資料を照合した[A1][B1]。

先発・救援の投球内容は、ウスコイ企画の1941年大洋軍全87試合の復元記録を集計した参考値。年間投球回・対打者・被安打・奪三振・四死球は全7人ともNPB公式個人成績の合計と一致したが、自責点は野口32対公式33、三富20対公式19、長尾9対公式10と一致しなかった。役割別自責点・防御率は掲載せず、年間防御率・自責点は公式値を使用する。古谷は同一試合の投手欄に複数回現れる例があり、救援登板は試合URLで重複を除いて12試合とした[A2][A4][A5][A6][B2]。

何がすごいのか

  • 個人ではなく投手陣全体で、防御率1.33を残した[A1]。
  • 先発だけでなく救援もこなした野口が、チーム投球回の約40.8%を担った[A1][A2][B2]。
  • それほど低い防御率でも優勝できず、47勝37敗3分の3位に終わった[A1]。

出典