記録の歴史
NPBシーズン登板ランキングTOP20
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1シーズンで最も多くマウンドに上がった投手は誰なのか。歴代の登板数を、投球回や救援・先発の役割、同年のライバルと比較する。
概要
NPB一軍公式戦の「登板【シーズン記録】」。NPB公式の2025年度終了現在の一覧に掲載された73登板以上の27シーズンを対象とする。20位には73登板の8記録が並ぶため、同順位をすべて掲載。2026年度の成績は含めない。
投手の登板数は、その試合で何アウトを取ったかではなく、何試合に登板したかを記録する。直近の2025年はセ・リーグ最多66登板、パ・リーグ最多65登板だった。登板が多いということと投球回が多いということは必ずしも一致しない。歴代の順位に加え、1登板あたり投球回と同じ年の2位との差を比較して読み解く[1][2][3]。
詳細
NPBシーズン登板ランキングTOP20
NPB公式の歴代シーズン登板記録(2025年度終了時点)で、1位は2007年の久保田智之90登板、2位は2019年の平井克典81登板、3位は2005年の藤川球児80登板。20位には73登板の記録が8件並ぶため、20位以内の全27シーズンを同じ表にまとめた。1人の投手が別の年に記録した登板数は、それぞれ独立した記録として扱う[1]。
「投球回」の小数点以下「.1」は1/3回(1アウト)、「.2」は2/3回(2アウト)を表す。小数の10分の1・10分の2ではない。「回/登板」はこれを正しくイニングに変換して投球回÷登板数を計算した記事独自の参考値。公式順位には使わない。表はNPBが掲載する73登板以上の27件を省略せず収録した[1]。
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◇2025年の両リーグ最多と比較する
2025年のセ・リーグ最多は阪神の及川雅貴66登板、パ・リーグ最多はソフトバンクの杉山一樹65登板だった。2007年の90登板とは24~25登板差。2025年の143試合に対して66登板は約46.2%、65登板は約45.5%、2007年阪神の144試合に対して90登板は62.5%の試合に登板した計算になる。登板割合はチームの試合数で割った目安で、連投日数や球数を表してはいない[1][2][3][4]。
「登板割合」は登板数÷所属球団の年間公式戦数。2007年144試合、2019年・2025年143試合という各年の試合数を用いた記事独自の計算。過去の試合数と登板制度の違いを補正した記録順位ではない[2][3][4][5]。
◇ランキング27件の平均でも76登板前後
公式に掲載された27シーズンの登板数を単純平均すると約75.9登板。最多の90登板はこれより約14.1登板多く、歴代2位の81登板を9上回る。これは「NPB全投手の平均」ではなく、歴代上位の27シーズンだけを集めた平均なので、一般的な投手の登板水準と混同してはいけない[1]。
同年のリーグ2位と比べる
◇2007年の久保田はリーグ2位に14登板差
2007年のセ・リーグでは久保田が90登板、2位の木塚敦志が76登板、3位の藤川球児が71登板だった。最多との差はそれぞれ14、19登板。同年の久保田は9勝3敗・46ホールド・55ホールドポイント、防御率1.75を記録し、最優秀中継ぎ投手にも選ばれた[6][7][8]。
◇2019年の平井は2位に13登板差
2019年のパ・リーグは平井克典81登板、2位松井裕樹68登板で13登板差だった。平井は82回1/3を投げて5勝4敗・36ホールド、防御率3.50。所属の西武は143試合のリーグ戦で80勝62敗1分の1位となった。登板数が多いことだけでなく、優勝したチーム内で救援を担ったシーズンとしても記録が残る[5][9][10]。
各年度のNPBリーグ内の登板リーダーズによる比較。トップ20の歴代順位とは別の「同じ年の突出度」で、出場時代の打撃・投手起用環境の補正はしていない[2][3][6][9][11]。
登板数が同じでも投球回はまったく違う
◇1961年の稲尾と2001年の菊地原はともに78登板
1961年の稲尾和久と2001年の菊地原毅は、いずれも78登板で歴代6位タイ。しかし稲尾は404投球回、菊地原は51回1/3だった。投球回の合計は約7.9倍の差。1登板あたりに直すと稲尾約5.18回、菊地原約0.66回になる。同じ登板数が、同じ投球量を意味しないことを端的に示す対照例である[1][12][13]。
◇さらに少ない投球回で登板した投手も
2007年の木塚敦志は76登板に対して35回1/3、1登板あたり約0.46回。1940~60年代に多かった先発と救援の兼任型と、短い局面を任される救援型が同じ歴代順位に並んでいる。登板回数が多いことから「大量のイニングを投げた」と判断するのは適切ではない[1][14]。
「回/登板」は実際のアウト数を1/3回単位で計算したもので、先発登板割合や救援開始時の走者、対戦打者の質は反映しない。稲尾の1961年は25完投・42勝。菊地原と木塚については短い投球回が記録された事実を述べ、具体的な交代判断の理由は推定していない[7][10][12][13][14][15]。
稲尾和久が残した異質な登板記録
◇404投球回・42勝・25完投と78登板が同居
稲尾和久は1961年に78登板、404投球回、42勝14敗、25完投を記録した。野球殿堂博物館も「78試合」の中身が現代の中継ぎとは異なり、先発と救援でフル回転したと説明している。球団公式も1961年の42勝・最多奪三振353・404投球回を代表的な記録として紹介している。試合数だけでは分からない投球負担の大きさが表れている[12][15][16]。
◇同じ投手が3シーズンもランクイン
稲尾は1959年75登板・402回1/3、1961年78登板・404回、1963年74登板・386回と3シーズン歴代上位に入る。1950~60年代の記録を現在の細分化された救援起用とそのまま比較するのではなく、先発と救援を同一シーズンで担ったという背景を見る必要がある[1][12]。
近年の救援投手の記録に見る違い
◇2005年の藤川球児は80登板で最優秀中継ぎ
2005年の藤川球児は80登板・92回1/3、最優秀中継ぎ投手のホールドポイント53を記録した。同じ阪神のウィリアムスも75登板で歴代11位タイに入り、2人が同じシーズンに歴代級の登板数を残した。先発・救援を兼ねて大量の投球回を消化した稲尾とは、同じ登板ランキングでも内容が違う[1][17][18]。
◇2011年の浅尾拓也は防御率0.41でMVP
2011年の浅尾拓也は79登板・87回1/3で防御率0.41、7勝2敗・10セーブ・45ホールド。最優秀中継ぎ投手のホールドポイント52に加えて、同年のセ・リーグ最優秀選手(MVP)にも選ばれた。登板数と投球の結果の両方で注目されるシーズンだった[11][19][20]。
◇2009年・2010年に2度登場した山口鉄也
山口鉄也は2009年、2010年にともに73登板で、歴代20位タイの8件に2回登場する。2009年は78回、2010年は88回2/3で、登板数が同じでも投球量が10回2/3異なる。単年の登板数だけでなく、継続して救援を任されたキャリアも見ておきたい[1]。
登板の多さは成功や負担を直接示す数字ではない
◇登板1回は何イニング投げても原則1試合
投手の「登板」は、その試合で投球した回数ではなく投手として登場した試合数を数える。数球で交代しても、完投しても登板記録としては原則1試合。さらに登板と同時に勝利・ホールド・セーブが必ず付くわけではなく、登板数だけで実際の総投球数や疲労の度合いまで推し量ることはできない[1][7][13]。
◇多いからこそ比較には時代背景が不可欠
年間の試合数、延長ルール、先発と救援の分業、1人の救援投手に任せる対戦打者数などは時代で変わる。1961年に78登板・404回の投手と、2007年に76登板・35回1/3の投手では投球形態がまるで違う。歴代順位は登板数の公式順位として尊重しながら、投球回や1登板あたりの長さを併記することで、違いを伝えられる[1][14][15]。
このランキングで分かること
歴代最多の90登板は2025年の両リーグ最多より24~25登板多く、2007年の所属球団の公式戦144試合のうち約6割に登板した計算になる。ただし「何度投げたか」と「どれだけ長く投げたか」は同じではない。78登板で400回以上を投げた稲尾と、50回余りの菊地原が同順位に並ぶことこそ、この歴代ランキングで最も印象的な違いだ。
◇集計条件と注意
NPB公式「登板【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了現在、73登板以上の全27シーズンを対象にした。20位タイに8件が含まれるため、20件に切り捨てていない。「投球回」はアウト数を使って正しく1/3回、2/3回に換算し、「回/登板」や登板割合、上位27件平均は記事独自に計算した。登板の公式順位とは別指標であり、2026年度の成績は反映していない。資料確認日:2026年10月9日[1]。