1シーズンの最も高いチーム防御率

投手陣が失点を重ね、1シーズンのチーム防御率が歴代最大(ワースト)となったのはどの球団か。投打の成績と当時のリーグ状況から振り返る。

一般的には?

防御率は9回当たりの自責点を示し、低いほど優秀だ。ここでいう「最も高い」は数値が最大、つまり歴代で最も悪いチーム防御率を指す。チームの自責点を投球回で割って計算するため、所属投手の防御率の単純平均とも、失点を試合数で割った数字とも異なる[1][3]。

同年パ・リーグ全体の防御率
約4.64

答え

1シーズンで最も高いチーム防御率5.95

答えは2003年のオリックス・ブルーウェーブが記録した5.95。NPB一軍公式戦のシーズンチーム防御率で歴代最大の数値だ。140試合で927失点、自責点819。48勝88敗4分、勝率.353でパ・リーグ最下位に終わった[1][2][3]。

年
2003年
チーム
オリックス・ブルーウェーブ
カテゴリ
チーム・試合

普通と比べると

同年パ・リーグ全体の防御率
約4.64
シーズン最高チーム防御率
5.95

同年のリーグ全体より約1.31高く、約1.28倍。

6球団のチーム自責点を合計すると3869、投球回は7504。3869×9÷7504=4.640325…で約4.64。個人投手の自責点合計や、6球団の掲載防御率の単純平均ではない。オリックス自身も含む一軍公式戦全体で、引き分け試合も含む。5.95-4.640325…=約1.31、5.95÷4.640325…=約1.28。防御率は割合のため棒グラフ化しない[3][19][20][21][22][23]。

詳細

打率2位の打線でも、失点を埋められなかった

チーム打率.276はリーグ2位、本塁打174本は3位。谷佳知は打率.350、189安打を記録した。しかし得点はリーグ5位の652にとどまり、失点は927。得失点差マイナス275の最下位は、打率の低さではなく投打の大きな不均衡を物語る[1][5]。

◇5.95と927失点は違う数字

チームの投球回は1239回2/3、自責点は819。819×9÷1239⅔=5.945953…で、表示値は5.95となる。個々の投手の防御率を平均した数字ではなく、チーム全体の記録だ[3]。

試合投球回失点自責点防御率1試合平均失点
1401239 2/39278195.95約6.62

927÷140=約6.62は1試合平均失点。防御率5.95とは別の指標だ。失点と自責点の差は108点あるが、この108点すべてが失策による直接の失点という意味ではない。自責点は、失策や捕逸などがなかった場合を想定して記録員が判定する[3][27]。

順位表で見るチームの一年
順位球団勝敗分勝率差得点失点打率本塁打防御率
1ダイエー82553.599-822588.2971543.94
2西武77612.5585.5692660.27141914.43
3近鉄74642.5368.5718632.2741874.30
4ロッテ68693.49614.0651665.27131454.37
5日本ハム62744.45619.5675738.2691494.88
6オリックス48884.35333.5652927.2761745.95

2003年パ・リーグの最終成績。差は首位とのゲーム差。西武とロッテの打率は、NPBの掲載で順位が分かる小数第4位までを残した。防御率順の表ではない[1]。

首位ダイエーと33.5ゲーム差、5位日本ハムとも14ゲーム差。借金は40に達した。打率2位の一方で得点は5位にとどまり、打率の高さがそのまま得点力には結び付かなかった[1]。

◇4月に監督交代、全球団に負け越し

石毛宏典監督で開幕したが、4月23日に解任と、打撃コーチだったレオン・リーの新監督就任が発表された。レオンはロッテ、大洋、ヤクルトで活躍した打者で、NPB通算打率.308、268本塁打。打撃指導者として加入した年の途中で、チーム全体を預かることになった[14]。

対戦相手勝敗分
ダイエー11170
西武6211
近鉄13150
ロッテ6211
日本ハム12142

対戦成績は専門記録サイトの試合日程から集計。合計48勝88敗4分になる。近鉄・日本ハムには比較的競り合った一方、西武とロッテには大きく負け越した。大量失点の印象が強いダイエー戦だけで、最下位になったわけではない[3]。

前年とは逆の弱点を抱えた
年順位勝敗分打率本塁打得点失点防御率
2002650873.2351024385473.58
2003648884.2761746529275.95

2002年は最下位でもチーム防御率3.58がリーグ2位で、打率.235、438得点はいずれも最少だった。2003年には得点が214増えた一方、失点は380増。得失点差はマイナス109からマイナス275へ、166点も悪化した。防御率も3.58から5.95へ2.37上昇している[1][4]。

◇前年の好投手たちが、同じようには投げられなかった

2002年の最優秀防御率投手・金田政彦と同2位の具臺晟は、翌年ともに投球回が減り、防御率も悪化した。前年7勝のユウキは肩の故障で登板できず、大久保勝信と山口和男も一軍登板なし。新加入のマック鈴木と吉井理人も防御率が6点台以上に終わった[3][4][7][8][9][10][17][18]。

一人も規定投球回に届かなかった

規定投球回はチーム試合数と同じ140回。チーム最多は小倉恒の125回1/3で、規定に達した投手はゼロだった。最多勝も具臺晟の6勝。先発陣の投球回が分散し、長いイニングを任せられる柱を欠いた[3]。

先発登板が多かった投手
選手名登板先発勝敗S投球回奪三振防御率
具臺晟1919680113 2/31184.99
マック鈴木2919491108 1/3857.06
金田政彦141445083404.12
小倉恒51134137125 1/31044.52
小林宏191348076 1/3405.54
吉井理人241227176436.51
牧野塁4910270101 2/3865.05

シーズン成績。先発10試合以上の7人を掲載した。先発数が同じ場合は投球回が多い選手を先に置く。救援でも投げているため、表の防御率は先発時だけの成績ではない[3]。

救援も担った主な投手
選手名登板先発勝敗S投球回奪三振防御率
本柳和也407520108 2/3754.64
加藤大輔43344969 2/3755.17
徳元敏26713068 1/3326.72
萩原淳42113461 1/3576.90
戸叶尚34112044 2/3325.04
J.フィリップス7723038 2/3216.98
土井雅弘27123034 2/32110.13
川越英隆7603034184.76

前表以外で30投球回以上の8人を、投球回順に掲載。フィリップスは7登板すべて先発、川越も7登板のうち6先発であり、全員を救援専任とする表ではない。シーズンのSはセーブ数で、当時の最優秀救援投手を決めるセーブポイントとは区別する[3]。

既存の柱が減った投球回
選手名年登板勝敗S投球回防御率
金田政彦200223490140 2/32.50
金田政彦200314450834.12
具臺晟200222570146 1/32.52
具臺晟200319680113 2/34.99
ユウキ200213710841.93
ユウキ200300000-
大久保勝信200228151027 1/33.95
大久保勝信200300000-
山口和男200241236542.50
山口和男200300000-

金田と具の投球回は2002年の計287回から、2003年には計196回2/3へ90回1/3減少した。前年7勝のユウキに加え、大久保と山口も2003年は一軍登板ゼロだった[3][4][6][9][17][18]。

ユウキは後年のインタビューで、2003~2004年は肩の故障で投げられなかったと説明している。前年の7勝を支えた投手が、2シーズンにわたり一軍のマウンドから離れた[9][10]。

◇補強したメジャー経験者も苦戦

マック鈴木はMLBでの経験を経て2002年ドラフト2巡目で入団。2003年は29登板、108回1/3、4勝9敗1セーブ、防御率7.06。74四球に加え18本塁打を許した。9回当たりの与四球は約6.15個で、制球面でも苦しんだ[7]。

日本復帰の吉井理人は開幕投手を務めたが、24登板、76回、2勝7敗1セーブ、防御率6.51。元メジャー投手を加えたという経歴上の厚みが、そのまま2003年の安定した投球には結び付かなかった。吉井・マックの補強と早い監督交代は、当時のイミダスにも記録されている[3][8][14]。

被安打と本塁打、四球が重なった
球団被安打被本塁打与四球失策防御率
ダイエー1228140471733.94
西武1299164488794.43
近鉄1289157456634.30
ロッテ1288144395874.37
日本ハム1355188493834.88
オリックス15342075421325.95

オリックスは6球団で被安打・被本塁打・与四球・失策がいずれも最多。被打率も1534÷5016=.305821…で約.306だった。1試合平均で約10.96安打、約1.48本塁打、約3.87四球を許した計算になる。単に守備のミスで点が増えただけでなく、安打と長打、四球そのものも多かった[3][19][20][21][22][23]。

◇132失策だけで防御率は説明できない

チーム失策132はリーグ最多で、2番目のロッテ(87)より45多かった。オーティズは二塁と三塁で計24失策、ブラウンは外野で12、谷も外野で11失策を記録した[3][22]。

失策の多さと防御率5.95は同じ数字を測っているわけではない。失策などが絡む非自責点は防御率から除かれる一方、打球が安打と記録された場合は失策数に残らない。被安打1534、与四球542、被本塁打207の多さと、132失策を合わせて見る必要がある。

打高の年でも、リーグ全体を上回る悪化だった

2003年はパ・リーグ全体の打率・本塁打・得点が前年を上回った打高の年だった。それでもオリックスの防御率5.95はリーグ全体の約4.64より約1.31、オリックスを除く5球団合計の約4.38より約1.57高い。被安打1534、被本塁打207、与四球542、失策132もリーグ最多だった[1][3][4][19][20][21][22][23]。

パ・リーグ全体も打高だった
年リーグ打率本塁打総得点1チーム1試合平均得点
2002.2558693344約3.98
2003.27610004210約5.01

NPBの6球団の打撃成績から再集計。2002年は28050打数7163安打、2003年は28917打数7993安打。得点の分母は、両年とも6球団×140試合=840チーム試合。引き分けも含め、1試合で対戦する両軍の得点を別々のチーム試合として数える[1][4]。

リーグ総得点は前年より866点、本塁打は131本増加。6球団すべてでチーム打率が上がり、防御率も悪化した[1][4]。

6球団の自責点と投球回を合算したリーグ防御率は4.64。オリックスを除く5球団では3050自責点・6264回1/3で約4.38となる。オリックスとの差は約1.57に広がり、同じ打高の環境でも突出して打ち込まれていた[3][19][20][21][22][23]。

強打者が並ぶ対戦相手
選手名球団打率本塁打打点
小笠原道大日本ハム.36031100
T.ローズ近鉄.27651117
A.カブレラ西武.32450112
松中信彦ダイエー.32430123
城島健司ダイエー.33034119
井口資仁ダイエー.34027109

首位打者は小笠原の.360、本塁打王はローズの51本、打点王は松中の123打点。ダイエーはチーム打率.297、822得点で優勝した。リーグで最も防御率がよかったダイエーでさえ3.94で、6球団のうち5球団は4点台以上だった[1][16]。

◇代表的な顔ぶれがそろった打線

2003年9月5日 オリックス対近鉄24回戦 ヤフーBBスタジアム。この日の先発オーダーには、谷、ブラウン、オーティズ、山﨑、塩谷ら主力がそろっている。次の成績欄は試合当日までの成績ではなく、その年の最終成績。最多使用オーダーという意味ではなく、実際に組まれた一例として示す[3][13]。

位置選手名打順試合打率本塁打打点盗塁
(遊)後藤光尊199.2679297
(三)大島公一2109.2850209
(中)谷佳知3137.35021929
(左)R.ブラウン4128.307289319
(一)塩谷和彦5123.3078467
(二)J.オーティズ6127.25533864
(指)山﨑武司7110.23222680
(捕)日高剛8118.2689370
(右)竜太郎979.2537183

先発投手は本柳和也。ほかにも外野の葛城育郎は114試合で打率.251、9本塁打、30打点、捕手の三輪隆は60試合で.308、8本塁打、17打点を残した。遊撃の平野恵一も53試合に出場し、後に阪神で活躍する選手たちもこのチームにいた[3][13]。

◇谷佳知は最多安打と打率2位

谷は137試合で540打数189安打、打率.350、21本塁打、92打点。リーグ最多安打を獲得し、外野手のベストナインにも選ばれた。打率は首位打者・小笠原の.360に次ぐ2位で、チームの最下位とは対照的に、個人では高い成績を残した[1][5][16]。

前年は41盗塁で盗塁王。2003年は盗塁が9に減る一方、本塁打は5本から21本、打点は39から92へ増えた。主軸としての長打と打点が大きく伸びたシーズンだった[4][5]。

◇山﨑武司とレオン監督

中日から移った山﨑は、110試合で打率.232、22本塁打、68打点。後年の本人取材では、低調な時期にも励まして起用してくれたレオンへの感謝を語っている。中盤以降に本塁打を増やしたが、チームを浮上させられず、監督も一年で去ったことに責任を感じたという[3][15]。

ブラウンは28本塁打、チーム最多の93打点。オーティズはチーム最多の33本塁打を記録した。一方、失点927はリーグ最多で、こうした中軸打者の成績をチームの勝利につなげられなかった[3]。

29失点の試合が象徴するもの

2003年8月1日、ヤフーBBスタジアムでのダイエー戦。相手は初回7点、2回8点、3回8点で、3回までに23点を奪った。31安打7本塁打で29対1。オリックスは4失策を記録した。2リーグ制以降の1試合最多得点となった試合でもある[11][26]。

チーム123456789RHE
ダイエー78800110429310
オリックス000000001154
投手名投球回被安打与四死球自責点
マック鈴木0437
嘉勢敏弘1 1/3725
相木崇1 1/3505
小川裕介0 1/3313
本柳和也61215

与四死球は四球と死球の合計。自責点と失点を取り違えないよう、自責点の列を独立させた。この試合のチーム自責点は25。マックは一死も取れず交代し、5番手の本柳が6回を投げた[11]。

7月27日にもダイエーに7対26で敗れて32安打を許しており、2試合で計55失点、63被安打だった。しかし8月1日の9回・自責点25を年間成績から差し引いても、794×9÷1230⅔=約5.81。これは公式防御率ではなく、29失点の試合の影響だけを除いた試算だ[3][11][12]。

◇同じ本柳が翌月に完封した

2003年9月5日、本柳は近鉄を9回5安打、1奪三振、1四死球で完封した。オリックス打線は19安打を放ち、11対0で勝利。相手先発は岩隈久志だった。29失点の試合で長い救援を任された投手が、翌月には先発して無失点で投げ切った[13]。

チーム123456789RHE
近鉄000000000051
オリックス00021701×11190

本柳は前年4登板から、2003年には40登板、108回2/3、5勝2敗、防御率4.64へと出番を増やした。29失点試合の6回を投げ、翌月には5安打完封。チームの防御率が最悪だった年にも、こうした個別の好投があった[3][13]。

記録の読み方と集計範囲

対象はNPB一軍のレギュラーシーズン最終成績。歴代最大の5.95という位置付けは記録専門資料で照合し、NPB公式の2003年・2026年のリーグ別最終成績でも確認した。オープン戦、二軍、短期大会やシーズン途中の数字は含めない[1][2][24][25]。

同年リーグ防御率の再計算では、6球団のチーム自責点を使用した。個人投手の自責点を単純合計するとチーム自責点と一致しない場合があり、オリックスでも個人合計820に対しチーム819となる。投手個人の表を足して5.95を再現しようとしても、同じ計算にはならない[3]。

投手の故障については本人談を引用し、打ち込まれた状況は年度成績・個別試合の記録で示した。9月5日の先発オーダーは当日の実例で、併記した個人成績はシーズン最終値。個別試合の詳細には二次集計を用いた。資料確認日:2026年10月25日。

何がすごいのか

  • チーム防御率5.95に加え、927失点・1534被安打・819自責点も歴代最多の記録。3種類の集計でも失点の規模が突出している[2]。
  • 前年の防御率3.58(リーグ2位)から2.37悪化。得点が214増えても失点が380増え、最下位が続いた[1][3][4]。
  • 谷佳知は189安打でリーグ最多、山﨑武司は22本塁打。本柳和也は29失点試合で6回を投げ、翌月には完封勝利を挙げた[5][13][15][16]。

出典