記録の歴史
NPBシーズン自責点ランキングTOP20
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最も多く自責点を記録された投手は、どれほどの点を許したのか。歴代記録を投球回、失点、防御率、当時の投手起用と比較する。
概要
NPB公式「自責点【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了現在。歴代20位タイを含む22シーズンの公式順位・年度・投球回・当時の球団名を採用する。自責点と失点の比較には公式失点記録と個人年度別成績を使用。NPB一軍公式戦のみ対象。
自責点は投手が責任を負う失点で、失策・捕逸などを考慮して記録員が判定する。防御率は自責点×9÷投球回で求めるため、年間自責点が多くても防御率が必ず悪いとは限らない。本記事では公式順位を示し、9回あたりの自責点(ER/9)、2025年の記録、失点との差、古い時代の大量投球の背景を調べる[1][2][3]。
詳細
NPBシーズン自責点ランキングTOP20
NPB公式のシーズン自責点記録では、1946年の真田重蔵が163自責点で歴代1位。2位は1951年の小林恒夫158自責点、3位は1950年の高野裕良156自責点だった。20位には126自責点の3記録が並ぶため、20位タイまで合計22シーズンが対象となる[1]。
順位・自責点・年度・投球回はNPB公式。「ER/9」は自責点÷投球回×9を小数第2位で表示した参考値で、防御率と同じ基本計算による。投球回の「.1」は1/3回、「.2」は2/3回で、10進小数ではない。正式な防御率の丸めはNPB公式の計算規則に従う[1][3]。
関連記事投手最多勝投手で最も悪い防御率最多勝はエース級投手の勲章だが、勝利数は味方打線の援護にも左右される。では、リーグ最多の白星を挙げながら、防御率が最も高かった投手は誰なのか。歴代最多は2025年と比べてどれくらい多いのか
◇最近の最多自責点はセ67、パ60
2025年のセ・リーグ最多自責点はバウアーの67、パ・リーグは小島和哉の60。歴代最多163自責点との差はそれぞれ96点と103点に及ぶ。数字だけならセ最多の約2.43倍、パ最多の約2.72倍だが、投球回が同じではないため、投手の実力がその倍率だけ違うという意味ではない[1][4][5]。
2025年の自責点最多と投球回はNPB公式のリーグ・リーダーズおよび個人投手成績を使用。ER/9は9回換算値で、選手の登板状況や球場・守備・時代条件は補正していない[4][5][6][7][8]。
◇年間自責点は約2.4倍でも9回換算では逆転する
1946年の真田重蔵は464回2/3で163自責点、ER/9は約3.16。2025年のバウアーは133回2/3で67自責点、ER/9は約4.51だった。年間自責点は真田の方が多いが、同じ9イニングに換算すればバウアーの方が高い。大量の自責点が投球機会の多さにも左右されることが分かる[6][8]。
◇TOP22の平均値も一般的な水準ではない
歴代22記録の自責点の単純平均は約134.8。最多の163自責点はそれより約28.2多い。ただし、これは歴代上位のシーズンだけを集めた平均で、NPB投手全体の平均値や一般的な年間自責点を意味しない[1]。
自責点を投球回で割ると順位が変わる
◇投球回が比較的少ないシーズンで高いER/9
自責点は長く投げれば増えやすい累積記録である。歴代TOP20相当の22記録を9イニングあたりに換算して並べ替えると、単純な自責点総数とは違う順番になる。以下の比較は公式の防御率順位ではなく、今回掲載した22記録だけを対象にしたもの[1][3]。
母集団はシーズン自責点TOP20相当の22件だけ。ER/9=自責点×9÷投球回。比較用であり、シーズンを通した防御率歴代ランキングでも、全投手のERAランキングでもない[1][3]。
◇同じ134自責点でも投球回は大きく異なる
1946年の内藤幸三、1950年の真田重男と天保義夫は、いずれも134自責点で歴代5位タイ。投球回はそれぞれ416、395回2/3、328回で、ER/9は約2.90、3.05、3.68。同じ自責点数でも年間の登板量によって9回あたりの意味は変わる[1]。
◇1977年の池谷公二郎は投球回が短くER/9が高い
池谷公二郎は1977年に226投球回で131自責点、ER/9は約5.22。歴代最多自責点の真田と比べると、投球回は半分以下で、自責点の頻度は高い。池谷の年は失点140、防御率5.22で、48被本塁打も記録している[1][11]。
失点と自責点はなぜ一致しないのか
◇自責点には守備の失策や捕逸が関わる
公認野球規則9.16では、自責点は失策・捕逸などの影響を除き、記録員が投手の責任として算定する。失点は投手の登板中に相手が挙げた点数であり、自責点はその全部とは限らない。失点と自責点の差を、そのまま失策の回数や守備失策だけの得点とみなすことはできない[3][9]。
失点はNPB「失点【シーズン記録】」または選手個人年度別成績、自責点はNPB「自責点【シーズン記録】」などによる。差=失点−自責点であり、失策数と直接対応するわけではない[1][2][6][10][11]。
◇防御率が悪い順のランキングでもない
防御率は自責点を9イニングに換算した割合の記録である。1946年の真田重蔵は163自責点でも464回2/3投げているので、防御率は約3.16。1950年の内藤幸三は133自責点で216回1/3、防御率約5.53となる。自責点総数の順位と、防御率の高い順とを混同してはいけない[1][3][6][12]。
上位の記録は戦前から戦後初期に集中
◇1950年だけで22記録中9件を占める
今回の22シーズンのうち、1950年の記録が9件、1946年が4件。2年で合計13件と過半数を占める。1950年は2リーグ制への移行初年度で、投手の起用も現代とは異なった。年度ごとの投球回や登板数の違いを抜きに、現代の投手と同じ条件で比較するのは難しい[1][13]。
◇1946年の真田重蔵は163自責点でも25勝
1946年の真田重蔵は63登板・43完投、464回2/3を投げ、25勝26敗。自責点163と失点202はいずれも歴代最多で、422被安打も記録した。大量の被安打・失点だけでなく、25勝を挙げていたことにも注目したい。当時は一人の投手が極めて多くの投球回を担っていた[6][2]。
◇1950年の高野裕良は156自責点でも25勝
高野裕良は1950年に66登板、384回2/3、25勝21敗、29完投。184失点のうち156が自責点で、防御率3.65だった。大量投球と多くの勝敗が同時に記録される時代であり、自責点の総数だけを失敗の回数のように捉えるのは適切ではない[10]。
◇同じ1950年の真田重男は39勝の最多勝
1950年の真田重男は134自責点・395回2/3で歴代5位タイに入りながら39勝を挙げ、セ・リーグ最多勝投手となった。同年には松竹がリーグ優勝し、真田重男はチームの主力投手を担った。名前の似た1946年の真田重蔵は同じ選手の別名表記であることに注意したい[6][13]。
◇1977年の池谷公二郎は奪三振王
1977年の池谷公二郎は131自責点で歴代11位タイ、48被本塁打でも歴代最多を記録した。一方で176奪三振を挙げてセ・リーグの最多奪三振投手だった。11勝16敗、防御率5.22という数字とともに、高い奪三振力と失点の多さが同居するシーズンだった[11][14]。
複数回ランクインした投手もいる
◇内藤幸三は1946年と1950年
内藤幸三は1946年ゴールドスターで134自責点・416投球回、1950年広島で133自責点・216回1/3。自責点の差は1点しかないが、投球回は約200回違う。前者はERA約2.90、後者は約5.53であり、通算数字でなく単年成績でも投球回を同時に読む重要性が分かる[1][12]。
◇小林恒夫と高野裕良も別の年に登場
小林恒夫は1951年158自責点、1952年132自責点。高野裕良は1950年156自責点、1951年128自責点で、それぞれ複数回ランクインしている。22のシーズン記録は、22人の投手を意味するわけではない[1]。
このランキングで分かること
シーズン自責点の歴代記録は、戦前・戦後初期の大量投球を強く反映している。1位の163自責点は確かに大きいが、9回換算すれば現代の失点の多い年より低い値にもなり得る。さらに自責点と失点との差は年によって異なり、25勝や奪三振王を記録した投手も歴代上位にいる。自責点数・投球回・防御率を組み合わせて初めて極端な記録の背景が見えてくる。
◇集計条件と注意点
対象はNPB一軍公式戦の「自責点【シーズン記録】」で、2025年度シーズン終了時点の公式順位20位タイまでの22記録。投球回末尾「.1」「.2」はそれぞれ1/3、2/3としてER/9を計算した。ERAとER/9は同じ計算式に基づくが、表示・丸めは記事独自の小数第2位としている。時代や守備力、試合数は補正していない。確認日:2026年10月10日[1][3]。