詳細
◇196奪三振と防御率2.38の二冠
1999年の工藤は26試合に登板し、11勝7敗、196回3分の1で196奪三振、防御率2.38。最多奪三振と最優秀防御率の二冠を獲得し、リーグ優勝したダイエーからMVPにも選ばれた[1][2][5]。
| 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 完投 | 完封勝 | 無四球 | 対打者 | 投球回 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 26 | 11 | 7 | 0 | .611 | 7 | 3 | 2 | 754 | 196 1/3 |
| 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 143 | 12 | 34 | 1 | 196 | 6 | 1 | 56 | 52 | 2.38 |
勝利は2位が3人のため4人を掲載し、3位の選手はいない。奪三振は岩本が3位で、151個の松坂は4位。工藤の行を赤字太字で示す[3][4]。
◇前年から投球回も奪三振も増加
前年の1998年は15登板、93回3分の2で65奪三振。1999年は26登板、196回3分の1で196奪三振と、投球回が102回3分の2、奪三振が131個増えた。9回当たりの奪三振率も約6.25から約8.98に上昇した[1]。
1999年の奪三振率は196×9÷(196+1/3)=約8.98、奪三振と与四球の比率(K/BB)は196÷34=約5.76。いずれも公式成績から算出した参考指標で、最多奪三振そのものは196個という総数で決まる[1]。
◇最多勝は松坂、奪三振とMVPは工藤
工藤の196奪三振は、2位の黒木知宏(171個)に25個差、3位の岩本ツトム(158個)に38個差をつけた。最多勝は高卒新人の松坂大輔が16勝で獲得し、11勝の工藤は奪三振と防御率の二冠でリーグMVPに選ばれた。新人王は松坂だった[2][3]。
ダイエーは78勝54敗3分、勝率.591で2位西武に4ゲーム差をつけてリーグ優勝。工藤はこの年、最多奪三振2度目、最優秀防御率4度目、MVP2度目の受賞となった[2][5]。
| 受賞部門 | 成績 | 受賞回数 |
|---|---|---|
| 最多奪三振 | 196 | 2度目(1996年、1999年) |
| 最優秀防御率 | 2.38 | 4度目(1985年、1987年、1993年、1999年) |
| 最優秀選手(MVP) | リーグ優勝に貢献 | 2度目(1993年、1999年) |
2000奪三振の達成日・相手打者・年齢はNPB公式[6]。当日の投球内容と延長11回の試合結果は記録専門サイトの試合集計[8]による。
◇通算2000奪三振とシリーズ初戦の13奪三振
9月23日のオリックス戦で史上16人目の通算2000奪三振に到達。10月23日の日本シリーズ第1戦では中日から13三振を奪い、3対0で完封勝利を挙げた[6][7]。
◇9月23日に通算2000奪三振
1999年9月23日、グリーンスタジアム神戸でのオリックス25回戦で藤井康雄から通算2000個目の三振を奪い、史上16人目の2000奪三振に到達。36歳4カ月、通算2373回3分の1での達成だった[6]。
この日の工藤は7回を投げ、7安打、8奪三振、与四死球1、自責点1。勝敗は付かなかったが、チームは延長11回に2対1で勝利した[8]。
◇日本シリーズ初戦は13奪三振で完封
10月23日、福岡ドームでの日本シリーズ第1戦。工藤は116球で9回を投げ切り、6安打、1四球、1死球、13奪三振で中日に3対0の完封勝利を挙げた。6回裏に秋山幸二の先制ソロとニエベスの2点二塁打で3点を奪い、そのリードを守り抜いた[7]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 |
| ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | X | 3 | 4 | 0 |
1999年日本シリーズ第1戦。Xは後攻の最終回の攻撃を行わず終了したことを示す。失策は中日の野口茂樹に1。観衆36,199人、試合時間2時間52分[7]。
| 投球回 | 投球数 | 対打者 | 被安打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | 116 | 33 | 6 | 1 | 1 | 13 | 0 | 0 |
| 位置 | 選手名 | 打撃結果(打席順) |
|---|---|---|
| (中) | 関川浩一 | 遊飛 遊ゴ 左飛 三振 |
| (指) | 神野純一 | 三振 三振 三振 |
| 代打→指 | 渡辺博幸 | 右安 |
| (三)→遊 | 福留孝介 | 三振 二ゴ 右安 三振 |
| (一) | ゴメス | 左飛 三振 遊飛 三振 |
| (二) | 立浪和義 | 右安 四球 二ゴ 中安 |
| (左) | 李鍾範 | 死球 三振 三振 |
| 代打 | 筒井壮 | 二併打 |
| (右) | 井上一樹 | 中飛 三振 投ゴ |
| (捕) | 中村武志 | 左安 三振 三振 |
| (遊) | 久慈照嘉 | 三犠打 二ゴ |
| 代打→三 | 種田仁 | 中安 |
| 合計 | 30打数6安打、0打点、13三振、2四死球 |
打席結果はNPB公式の試合記録に合わせ、空振り・見逃しを区別せず「三振」と表記。合計は30打数6安打、13三振、四球1・死球1で、打者33人とも一致する。日本シリーズの13奪三振はレギュラーシーズンの196奪三振には含まれない[7]。
ダイエーは日本シリーズを4勝1敗で制して日本一に輝いた。工藤は第1戦の完封勝利に続き、翌2000年と2002年には巨人でも日本一を経験している[5][9]。
◇移籍後も40代まで勝ち星を重ねた
工藤は2000年に巨人へ移籍して12勝を挙げ、2004年には41歳で10勝、2005年も42歳で11勝を記録した。実働29年で通算224勝、2859奪三振を残している[1][5]。
| 年 | 年齢 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | 33歳 | ダイエー | 29 | 8 | 15 | 202 2/3 | 178 | 3.51 |
| 1997 | 34歳 | ダイエー | 27 | 11 | 6 | 161 1/3 | 146 | 3.35 |
| 1998 | 35歳 | ダイエー | 15 | 7 | 4 | 93 2/3 | 65 | 3.07 |
| 1999 | 36歳 | ダイエー | 26 | 11 | 7 | 196 1/3 | 196 | 2.38 |
| 2000 | 37歳 | 巨人 | 21 | 12 | 5 | 136 | 148 | 3.11 |
| 2001 | 38歳 | 巨人 | 5 | 1 | 3 | 21 1/3 | 8 | 8.44 |
| 2002 | 39歳 | 巨人 | 24 | 9 | 8 | 170 1/3 | 151 | 2.91 |
| 2004 | 41歳 | 巨人 | 23 | 10 | 7 | 138 2/3 | 128 | 4.67 |
| 2005 | 42歳 | 巨人 | 24 | 11 | 9 | 136 | 130 | 4.70 |
| 2007 | 44歳 | 横浜 | 19 | 7 | 6 | 103 2/3 | 73 | 3.91 |
| 2010 | 47歳 | 西武 | 10 | 0 | 2 | 6 | 7 | 10.50 |
一軍公式戦。年齢は各年12月31日時点の満年齢。キャリア全年度ではなく、初の最多奪三振、受賞前後、40代の主な年を掲載した[1]。
◇移籍後も続いた2桁勝利
翌2000年は巨人に移籍して12勝5敗、148奪三振、防御率3.11。2001年は5登板、1勝3敗にとどまったが、2002年は9勝8敗、151奪三振、防御率2.91と持ち直した。巨人では2000年と2002年に日本一を経験した[1][5]。
41歳の2004年に10勝、42歳の2005年には11勝。44歳になる2007年にも横浜で7勝を挙げた。最後の一軍登板年は古巣西武に戻った2010年で、47歳になるシーズンだった[1]。
◇通算2859奪三振、実働29年
工藤は1982年から2010年まで実働29年で635試合に登板し、224勝142敗3セーブ、2859奪三振、防御率3.45。最多奪三振はダイエー時代の1996年(178個)と1999年(196個)の2度獲得した[1][5]。
◇1996年には1イニング4奪三振も
初めて最多奪三振となった1996年8月2日には1イニング4奪三振も記録した。第3ストライクを捕手が正規に捕球せず、打者が振り逃げで出塁すれば、1イニングで4個目の三振を奪うこともできる[5]。
関連記事投手1イニングで最も多い奪三振数集計範囲と年齢の扱い
対象はNPB一軍公式戦のシーズン最多奪三振。正式な表彰以前のリーグ最多投手を含む歴代一覧を照合し、受賞年と生年月日から年末満年齢を比較した。二軍、オープン戦、ポストシーズン、MLBは対象外とした[1][10][13][14]。
最多奪三振の正式表彰は、パ・リーグが1989年、セ・リーグが1991年に始まった。それ以前の「リーグ最多奪三振」は表彰タイトルと区別する。工藤の1996年と1999年はいずれも表彰開始後の受賞である[10]。
年齢は受賞年の12月31日時点の満年齢。1963年5月5日生まれの工藤は1999年に36歳となった。2026年の最多奪三振はセ・リーグが才木浩人175個(年末28歳)、パ・リーグが荘司康誠171個(年末26歳)で、最年長記録は更新されていない。資料確認日:2026年10月21日[1][11][12][15][16]。
主要投手部門の比較表は1999年パ・リーグの3位以内。防御率は規定投球回到達者、勝利・奪三振は全投手が対象で、同順位を省かない。投球回の端数は3分の1回単位で扱い、日本シリーズの成績は公式戦と分けた[2][3][4][7]。