最年長で最多奪三振を獲得した投手は?

リーグで最も多く三振を奪う投手に与えられる最多奪三振。長く現役を続けた投手の中で、最も高齢でこのタイトルを獲得したのは誰だろうか。

一般的には?

最多奪三振は、奪三振率ではなくシーズンの奪三振総数がリーグ最多の投手に与えられる。規定投球回への到達は不要だ。年齢は受賞年の12月31日時点の満年齢で比較する[2][10]。

答え

最年長最多奪三振投手の選手名と年齢(年末満年齢)工藤公康 36歳

最年長の最多奪三振投手は工藤公康の36歳。1999年に福岡ダイエーホークスで196奪三振を記録し、3年ぶり2度目のパ・リーグ最多奪三振となった。1963年5月5日生まれで、開幕時は35歳、5月に36歳を迎えた[1][2][10][13]。

年
1999年
選手
工藤公康
チーム
福岡ダイエーホークス
カテゴリ
投手

詳細

◇196奪三振と防御率2.38の二冠

1999年の工藤は26試合に登板し、11勝7敗、196回3分の1で196奪三振、防御率2.38。最多奪三振と最優秀防御率の二冠を獲得し、リーグ優勝したダイエーからMVPにも選ばれた[1][2][5]。

シーズン成績
登板勝利敗北セーブ勝率完投完封勝無四球対打者投球回
261170.611732754196 1/3
被安打被本塁打与四球与死球奪三振暴投ボーク失点自責点防御率
143123411966156522.38

勝利は2位が3人のため4人を掲載し、3位の選手はいない。奪三振は岩本が3位で、151個の松坂は4位。工藤の行を赤字太字で示す[3][4]。

◇前年から投球回も奪三振も増加

前年の1998年は15登板、93回3分の2で65奪三振。1999年は26登板、196回3分の1で196奪三振と、投球回が102回3分の2、奪三振が131個増えた。9回当たりの奪三振率も約6.25から約8.98に上昇した[1]。

1999年の奪三振率は196×9÷(196+1/3)=約8.98、奪三振と与四球の比率(K/BB)は196÷34=約5.76。いずれも公式成績から算出した参考指標で、最多奪三振そのものは196個という総数で決まる[1]。

◇最多勝は松坂、奪三振とMVPは工藤

工藤の196奪三振は、2位の黒木知宏(171個)に25個差、3位の岩本ツトム(158個)に38個差をつけた。最多勝は高卒新人の松坂大輔が16勝で獲得し、11勝の工藤は奪三振と防御率の二冠でリーグMVPに選ばれた。新人王は松坂だった[2][3]。

ダイエーは78勝54敗3分、勝率.591で2位西武に4ゲーム差をつけてリーグ優勝。工藤はこの年、最多奪三振2度目、最優秀防御率4度目、MVP2度目の受賞となった[2][5]。

受賞部門成績受賞回数
最多奪三振1962度目(1996年、1999年)
最優秀防御率2.384度目(1985年、1987年、1993年、1999年)
最優秀選手(MVP)リーグ優勝に貢献2度目(1993年、1999年)

2000奪三振の達成日・相手打者・年齢はNPB公式[6]。当日の投球内容と延長11回の試合結果は記録専門サイトの試合集計[8]による。

◇通算2000奪三振とシリーズ初戦の13奪三振

9月23日のオリックス戦で史上16人目の通算2000奪三振に到達。10月23日の日本シリーズ第1戦では中日から13三振を奪い、3対0で完封勝利を挙げた[6][7]。

◇9月23日に通算2000奪三振

1999年9月23日、グリーンスタジアム神戸でのオリックス25回戦で藤井康雄から通算2000個目の三振を奪い、史上16人目の2000奪三振に到達。36歳4カ月、通算2373回3分の1での達成だった[6]。

この日の工藤は7回を投げ、7安打、8奪三振、与四死球1、自責点1。勝敗は付かなかったが、チームは延長11回に2対1で勝利した[8]。

◇日本シリーズ初戦は13奪三振で完封

10月23日、福岡ドームでの日本シリーズ第1戦。工藤は116球で9回を投げ切り、6安打、1四球、1死球、13奪三振で中日に3対0の完封勝利を挙げた。6回裏に秋山幸二の先制ソロとニエベスの2点二塁打で3点を奪い、そのリードを守り抜いた[7]。

チーム123456789RHE
中日000000000061
ダイエー00000300X340

1999年日本シリーズ第1戦。Xは後攻の最終回の攻撃を行わず終了したことを示す。失策は中日の野口茂樹に1。観衆36,199人、試合時間2時間52分[7]。

投球回投球数対打者被安打与四球与死球奪三振失点自責点
9116336111300
中日打線の打撃結果
位置選手名打撃結果(打席順)
(中)関川浩一遊飛 遊ゴ 左飛 三振
(指)神野純一三振 三振 三振
代打→指渡辺博幸右安
(三)→遊福留孝介三振 二ゴ 右安 三振
(一)ゴメス左飛 三振 遊飛 三振
(二)立浪和義右安 四球 二ゴ 中安
(左)李鍾範死球 三振 三振
代打筒井壮二併打
(右)井上一樹中飛 三振 投ゴ
(捕)中村武志左安 三振 三振
(遊)久慈照嘉三犠打 二ゴ
代打→三種田仁中安
合計30打数6安打、0打点、13三振、2四死球

打席結果はNPB公式の試合記録に合わせ、空振り・見逃しを区別せず「三振」と表記。合計は30打数6安打、13三振、四球1・死球1で、打者33人とも一致する。日本シリーズの13奪三振はレギュラーシーズンの196奪三振には含まれない[7]。

ダイエーは日本シリーズを4勝1敗で制して日本一に輝いた。工藤は第1戦の完封勝利に続き、翌2000年と2002年には巨人でも日本一を経験している[5][9]。

◇移籍後も40代まで勝ち星を重ねた

工藤は2000年に巨人へ移籍して12勝を挙げ、2004年には41歳で10勝、2005年も42歳で11勝を記録した。実働29年で通算224勝、2859奪三振を残している[1][5]。

受賞前後と40代の成績
年年齢球団登板勝利敗北投球回奪三振防御率
199633歳ダイエー29815202 2/31783.51
199734歳ダイエー27116161 1/31463.35
199835歳ダイエー157493 2/3653.07
199936歳ダイエー26117196 1/31962.38
200037歳巨人211251361483.11
200138歳巨人51321 1/388.44
200239歳巨人2498170 1/31512.91
200441歳巨人23107138 2/31284.67
200542歳巨人241191361304.70
200744歳横浜1976103 2/3733.91
201047歳西武10026710.50

一軍公式戦。年齢は各年12月31日時点の満年齢。キャリア全年度ではなく、初の最多奪三振、受賞前後、40代の主な年を掲載した[1]。

◇移籍後も続いた2桁勝利

翌2000年は巨人に移籍して12勝5敗、148奪三振、防御率3.11。2001年は5登板、1勝3敗にとどまったが、2002年は9勝8敗、151奪三振、防御率2.91と持ち直した。巨人では2000年と2002年に日本一を経験した[1][5]。

41歳の2004年に10勝、42歳の2005年には11勝。44歳になる2007年にも横浜で7勝を挙げた。最後の一軍登板年は古巣西武に戻った2010年で、47歳になるシーズンだった[1]。

◇通算2859奪三振、実働29年

工藤は1982年から2010年まで実働29年で635試合に登板し、224勝142敗3セーブ、2859奪三振、防御率3.45。最多奪三振はダイエー時代の1996年(178個)と1999年(196個)の2度獲得した[1][5]。

◇1996年には1イニング4奪三振も

初めて最多奪三振となった1996年8月2日には1イニング4奪三振も記録した。第3ストライクを捕手が正規に捕球せず、打者が振り逃げで出塁すれば、1イニングで4個目の三振を奪うこともできる[5]。

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集計範囲と年齢の扱い

対象はNPB一軍公式戦のシーズン最多奪三振。正式な表彰以前のリーグ最多投手を含む歴代一覧を照合し、受賞年と生年月日から年末満年齢を比較した。二軍、オープン戦、ポストシーズン、MLBは対象外とした[1][10][13][14]。

最多奪三振の正式表彰は、パ・リーグが1989年、セ・リーグが1991年に始まった。それ以前の「リーグ最多奪三振」は表彰タイトルと区別する。工藤の1996年と1999年はいずれも表彰開始後の受賞である[10]。

年齢は受賞年の12月31日時点の満年齢。1963年5月5日生まれの工藤は1999年に36歳となった。2026年の最多奪三振はセ・リーグが才木浩人175個(年末28歳)、パ・リーグが荘司康誠171個(年末26歳)で、最年長記録は更新されていない。資料確認日:2026年10月21日[1][11][12][15][16]。

主要投手部門の比較表は1999年パ・リーグの3位以内。防御率は規定投球回到達者、勝利・奪三振は全投手が対象で、同順位を省かない。投球回の端数は3分の1回単位で扱い、日本シリーズの成績は公式戦と分けた[2][3][4][7]。

何がすごいのか

  • 36歳で196奪三振を記録し、2位に25個差をつけて3年ぶり2度目のタイトルを獲得した[1][2][3]。
  • 防御率2.38で最優秀防御率も獲得。奪三振の多さと失点を抑える投球を両立し、リーグMVPにも選ばれた[2]。
  • 同じ年に通算2000奪三振を達成し、日本シリーズ初戦では13奪三振の完封勝利を挙げた[6][7]。

出典