詳細
◇全試合に出場して二冠とMVP
門田は1988年の全130試合に出場し、打率.311、44本塁打、125打点。本塁打王は1981年、1983年に続く3度目、打点王は1971年以来2度目だった。さらに最高出塁率と指名打者のベストナインを獲得し、パ・リーグMVPに初選出された[1][3][7]。
| 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 130 | 557 | 447 | 82 | 139 | 12 | 0 | 44 | 283 | 125 |
| 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 長打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | 1 | 0 | 10 | 98 | 2 | 82 | 13 | .311 | .633 |
出塁率は.429、長打率は.633で、両者の合計のOPSは1.062。98四球はリーグ最多だった。130試合すべてに指名打者として出場している[1][18]。
◇44本は自身のシーズン最多タイ
44本塁打は1981年と並ぶ自己最多。1987年の31本塁打・69打点から、翌年は13本塁打、56打点増やした。打率も1987年.317、1988年.311と、2年連続で3割を超えた[1]。
本塁打2位は西武の秋山幸二とバークレオの38本で、門田が6本上回った。打点も2位の秋山に22打点差(125対103)。打率はリーグ6位ながら、長打と打点で二冠を獲得した[3][4][5]。
| 順位 | 選手名 | 球団 | 成績 |
|---|---|---|---|
| 1 | 西村徳文 | ロッテ | 55盗塁 |
| 2 | 石毛宏典 | 西武 | 22盗塁 |
| 3 | 秋山幸二 | 西武 | 20盗塁 |
球団本塁打に占める割合は44÷162×100=約27.2%。得点への寄与率や、MVP投票理由の割合を表す数字ではない[1][3]。
◇5位のチームから選ばれたMVP
南海は58勝71敗1分の5位だった。一方、チームの578得点と162本塁打は、どちらも西武に次ぐリーグ2位。門田の44本はチーム本塁打の約27.2%を占め、5位の球団からMVPに選ばれた[1][3]。
◇2本塁打の日と5四球の日
1988年5月17日の阪急戦では、2本塁打を含む4安打を記録した。5月27日の阪急戦では、反対に安打ゼロで5四球。打席に立った5回すべてで出塁した[7][8][9]。
◇5月17日は4打数4安打4打点
大阪球場で行われた南海対阪急6回戦に、門田は4番・指名打者で出場した。山沖之彦から7号、森浩二から8号を放ち、二塁打も記録。4打数4安打4打点、1四球で、南海の14対10の勝利に貢献した。阪急のブーマーも2本塁打を放った打ち合いで、門田は5打席すべてで出塁している[8]。
◇5月27日は打数ゼロで5回出塁
阪急西宮球場の阪急対南海9回戦でも、4番・指名打者で出場した。この日は全5打席で四球を選び、0打数0安打、5四球。南海は5対4で勝利した。1試合5四球は野球殿堂博物館の紹介にも挙げられる記録で、四球が打数に入らないため、この日は打率を下げずに出塁を重ねた[7][9]。
| 日付 | 対戦相手 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 南海の結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 5月17日 | 阪急 | 4 | 4 | 2 | 4 | 1 | 14対10 勝利 |
| 5月27日 | 阪急 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5対4 勝利 |
いずれも1988年。打席ごとの打球方向やアウトの種類はこの表では扱わず、確認できる試合単位の成績を示した。5月27日の5四球を、すべて敬遠だったとは扱わない[8][9]。
◇南海最後の年に残したタイトル
1988年は南海ホークスとして最後のシーズン。シーズン終了後に球団売却と福岡移転が決まった。門田は大阪を本拠地とした南海の最終年に、40歳で44本塁打、全130試合出場という記録を残した[1][10]。
◇年末の会見で語った集中力
1988年12月7日の日本記者クラブでの会見で、門田は集中力を保つ秘訣について、完成した選手と思わず、おごらずに取り組むことだと語った。会見主催者の報告によれば、高校時代は練習試合を含めて本塁打がなかったという[11]。
◇移籍しても続いた長打力
南海がダイエーへ売却され、福岡へ本拠地を移すことになった後、門田は関西での現役続行を希望し、翌1989年はオリックスでプレーした。41歳で33本塁打、42歳の1990年にも31本塁打。最年長タイトルを獲得した翌年以降も、2年続けて30本を超えた[1][10]。
| 年 | 年齢 | 球団 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987 | 39歳 | 南海 | 126 | 379 | 120 | 31 | 69 | .317 | .428 |
| 1988 | 40歳 | 南海 | 130 | 447 | 139 | 44 | 125 | .311 | .429 |
| 1989 | 41歳 | オリックス | 116 | 406 | 124 | 33 | 93 | .305 | .417 |
| 1990 | 42歳 | オリックス | 119 | 446 | 125 | 31 | 91 | .280 | .387 |
| 1991 | 43歳 | 福岡ダイエー | 112 | 367 | 97 | 18 | 66 | .264 | .358 |
| 1992 | 44歳 | 福岡ダイエー | 65 | 155 | 40 | 7 | 23 | .258 | .341 |
年齢は各年12月31日時点の満年齢。門田は2月生まれなので、表の各シーズン中の年齢とも一致する。成績はNPB一軍公式戦[1]。
◇オリックスで2年続けて30本台
1989年はオリックスで116試合、打率.305、33本塁打、93打点。1990年も119試合で31本塁打、91打点を記録した。2年間の合計は64本塁打、184打点。40歳のタイトル獲得後も、2年続けて30本以上を打った[1]。
1991年は福岡ダイエーへ移り、43歳で18本塁打、66打点。44歳の1992年は7本塁打、23打点を記録して現役生活を終えた。1988年以降の本塁打を足すと、44+33+31+18+7=133本。40歳になってからも、通算567本塁打のうち約23.5%を積み上げた[1][10]。
◇アキレス腱の大けがから本塁打王へ
その長打力に至るまでには、大きなけがもあった。1979年のキャンプ中にアキレス腱を断裂し、その年の出場は19試合、2本塁打にとどまった。翌1980年は41本塁打で復活し、1981年には44本塁打で初の本塁打王。1983年、1988年と続く計3度の本塁打王は、すべてこのけがから復帰した後に獲得している[1][7]。
| 受賞年 | 年齢 | 球団 | 本塁打 | 打率 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1981 | 33歳 | 南海 | 44 | .313 | 105 |
| 1983 | 35歳 | 南海 | 40 | .293 | 96 |
| 1988 | 40歳 | 南海 | 44 | .311 | 125 |
門田が本塁打王を獲得した3シーズン。年齢は年末満年齢[1][7]。
◇通算567本は歴代3位
門田のNPB通算は2571試合、2566安打、567本塁打、1678打点、打率.289。通算本塁打は王貞治(868本)、野村克也(657本)に次ぐ歴代3位。2006年には野球殿堂入りした[1][7][12]。
集計範囲と年齢の扱い
対象はNPB一軍公式戦のシーズン本塁打王。セ・パ両リーグと1リーグ時代を含む最年長記録として扱い、二軍、オープン戦、ポストシーズン、MLBは対象外とする。本塁打を打った最年長年齢や、40歳以上の通算本塁打数そのものを答えにする記事ではない[2][17]。
シリーズ共通の年齢基準は、受賞年の12月31日時点の満年齢。門田は開幕前に40歳を迎えているため、年末年齢だけでなく、タイトルを争っていたシーズン中の実年齢も40歳となる。受賞年から生年を引くと1988−1948=40。誕生日の日付まで含めた歴代年齢ランキングは作成していない[1]。
主要打者部門の表は1988年パ・リーグの打率・本塁打・打点・盗塁の3位以内。打率の順位とタイトル獲得者はNPB公式年度別成績、他部門の上位は専門記録サイトで確認した。同順位は全員を含め、門田の行を赤字太字で示す。率は原則小数第3位、比率や合計の計算は本記事による[1][3][4][5][6]。
最年長記録は専門誌の記録解説と2023年の報道で確認した。2026年の本塁打王はセ・リーグが佐藤輝明(39本、年末27歳)、パ・リーグが栗原陵矢(40本、年末30歳)で、門田の40歳には届いていない。2024・2025年の受賞者も確認した。資料確認日:2026年10月20日[2][13][14][15][16][17][19][20]。