最年長で最多勝を獲得した投手は?

チームを勝ちに導く投球術。長い現役生活の中で、最も高い年齢でこのタイトルを獲得した投手は誰だったのだろうか。

一般的には?

最多勝は、そのシーズンにリーグで最も多く勝利投手になった選手に与えられるタイトルだ。同じ勝利数で並べば複数の投手が受賞する。最優秀防御率と異なり、規定投球回に届かない投手も獲得できる。今回は年齢に注目し、シリーズ共通で受賞年の12月31日時点の満年齢を用いる[3][6][15]。

答え

最年長最多勝投手の選手名と年齢(年末満年齢)下柳剛 37歳

答えは下柳剛の37歳。2005年、阪神タイガースで15勝を挙げ、広島の黒田博樹と並んでセ・リーグ最多勝となった。1968年5月16日生まれで、開幕時は36歳。シーズン途中に37歳となり、プロ15年目で初のシーズンタイトルを獲得した[1][2][3]。

年
2005年
選手
下柳剛
チーム
阪神タイガース
カテゴリ
投手

詳細

◇自己最多の15勝で初タイトル

下柳は24登板で15勝3敗、防御率2.99。勝利数は自己最多で、勝率は.833だった。2004年の7勝から8勝増やし、阪神の2年ぶりのリーグ優勝に貢献。規定投球回未到達ながら、最多勝のタイトルを手にした[2][3][4][15]。

シーズン成績
登板勝利敗北セーブ勝率完投完封勝無四球対打者投球回
241530.833100531132 1/3
被安打被本塁打与四球与死球奪三振暴投ボーク失点自責点防御率
12511256900044442.99

勝利と奪三振は1位が2人のため、次の順位は3位。同順位の選手を全員掲載する。下柳の2.99を防御率表へ加えないのは、規定投球回未到達のため[5][6][7][15]。

ホールド、ホールドポイントはいずれも0。24登板はすべて先発だった。投球回の「132 1/3」は132回3分の1で、小数表記の132.1回という意味ではない[2][16]。

◇規定投球回に届かない最多勝

2005年の規定投球回はチーム試合数×1.0で、阪神の146試合に対して146回。下柳は132回3分の1で、13回3分の2不足した。防御率2.99は、規定到達者の上位だった三浦大輔の2.52と黒田博樹の3.17の間に位置するが、規定投球回に届かないため同部門の順位表には入らない。一方、最多勝は投球回の規定に左右されず、15勝で受賞した[2][3][5][15]。

規定投球回未到達の最多勝には先例がある。1988年のヤクルト・伊東昭光は18勝しながら投球回は122回3分の2で、規定の130回に届かなかった。下柳は24登板すべてに先発して最多勝となった点で、救援起用の伊東とは対照的だった[17][18][19]。

最多勝を分け合った黒田博樹は212回3分の2を投げて15勝12敗、11完投。下柳は132回3分の1で15勝3敗、1完投だった。投球回は黒田が80回3分の1多い。同じ15勝でも、投球回と完投数には大きな差があった[2][15]。

◇9月は4勝0敗で月間MVP

優勝を決めた9月、下柳は5登板で4勝0敗、防御率0.65。27回3分の2を投げて自責点2、14奪三振を記録した。セ・リーグでは初の月間MVPで、日本ハム時代の2000年8月に続き両リーグでの受賞となった[9]。

対象月登板勝利敗北投球回奪三振自責点防御率
2005年9月54027 2/31420.65

◇優勝チームと救援陣

阪神は87勝54敗5分、勝率.617で優勝し、2位中日に10ゲーム差をつけた。731得点はリーグ最多、チーム防御率3.24はリーグ最良。下柳はこのチームで24試合に先発し、15勝を挙げた[2][4]。

順位球団試合勝利敗北引分勝率防御率
1阪神14687545.6173.24
2中日14679661.5454.13
3横浜14669707.4963.68
4ヤクルト14671732.4934.00
5巨人14662804.4374.80
6広島14658844.4084.80

最終順位は勝率による。横浜はヤクルトより勝利数が少ないが勝率では上回る。防御率は小数第2位に統一し、巨人4.79846と広島4.79844はいずれも4.80とした[4]。

救援陣ではウィリアムスが75登板、藤川球児が80登板、久保田智之が68登板。下柳が完投したのは10月5日の1試合だけで、残る14勝は途中降板した試合で挙げた。継投でリードを守った試合が多かったことも、15勝という数字の背景にある[2][8]。

選手名登板勝利敗北セーブホールド投球回防御率
ウィリアムス753303776 2/32.11
藤川球児807114692 1/31.36
久保田智之685427380 2/32.12

3投手の成績は2005年のNPB公式記録による。下柳が勝った14試合の継投投手を全件集計した表ではない[2][8]。

◇最後の1勝は延長10回完投で

2005年10月5日、甲子園の横浜戦。下柳は延長10回を2失点で投げ切り、その裏の鳥谷敬のサヨナラ本塁打で15勝目を挙げた。これがシーズン唯一の完投であり、最多勝につながる大きな1勝になった[2][10]。

◇10月5日は148球の完投勝利

阪神の公式戦最終戦となった横浜22回戦。下柳は4回に2点を失ったが、阪神はその裏に今岡誠の適時打で1点を返し、6回には鳥谷の8号ソロで同点とした。2対2のまま延長に入り、下柳は10回まで続投。その裏、鳥谷が加藤武治から9号サヨナラ本塁打を放ち、3対2で勝った[10][11][12]。

チーム12345678910RHE
横浜00020000002100
阪神0001010001X390

2005年10月5日、阪神甲子園球場。延長10回、観衆47,284人、試合時間3時間17分。Xはサヨナラによる試合終了[10]。

下柳の投球成績
投球回投球数対打者被安打与四球与死球奪三振失点自責点
10148431021922

投球回・対戦打者などはNPB公式記録。148球は当時の投手コーチ・久保康生の回想と投球詳細集計による[10][12][16]。

◇交代を考えた監督と続投を求めたコーチ

当時の投手コーチ・久保康生は後年、最多勝を取らせたいと考えていた一方、岡田彰布監督は日本シリーズ前の故障を心配して交代を検討していた、と振り返っている。話し合いを経て続投し、最後は10回を投げ切った。普段は5、6回で継投へつなぐ下柳にとって、特別な登板だった[11][12]。

久保康生の回想では、10回を投げ終えた下柳はいったんベンチ裏へ下がったが、鳥谷のサヨナラ本塁打で慌ててグラウンドに戻ったという[12]。

◇鳥谷の2本が同点とサヨナラに

この日の鳥谷は4打数2安打2打点、1四球、2三振。2安打はいずれも本塁打で、同点とサヨナラの両方を担った。下柳が10回を投げても、打線が勝ち越さなければ勝利投手にはならない。投球と打撃がつながって完成した、15勝目だった[10]。

黒田博樹も15勝でシーズンを終え、下柳とともに初の最多勝利投手賞を受賞した[3][6]。

◇40歳の年まで4年連続2桁勝利

下柳は翌2006年に12勝、2007年に10勝、40歳になる2008年にも11勝を挙げた。最多勝となった2005年を含めて4年連続2桁勝利。タイトル獲得後も、先発陣の一角として勝ち星を重ねた[2]。

受賞前後の成績
年年齢登板勝利敗北完投投球回奪三振防御率
200335歳261053137 2/31353.73
200436歳22750116765.12
200537歳241531132 1/3902.99
200638歳2512111150 1/3863.17
200739歳251080129 1/3744.11
200840歳271161162 1/3892.99

いずれも阪神の一軍公式戦成績。年齢は各年12月31日時点の満年齢[2]。

◇翌年以降も続いた2桁勝利

翌2006年は25登板で12勝11敗、防御率3.17。2007年は10勝、2008年は11勝を挙げ、37歳から40歳になる年まで4年連続2桁勝利となった。2008年は162回3分の1を投げて防御率2.99で、最多勝の年より投球回も増えている[2]。

2009年は8勝、2010年は7勝。2011年は阪神で0勝2敗、2012年は楽天で4登板、0勝2敗、防御率5.29だった。NPBでの通算は627登板、129勝106敗22セーブ、1418奪三振、防御率3.92。最多勝はキャリアでただ一度の受賞だった[2]。

◇救援の剛腕から先発の技巧派へ

下柳はダイエーと日本ハムで主に救援として登板し、2003年に阪神へ移ると先発で10勝した。本人は後年、直球が打たれるようになったことを機に変化球、制球、配球を磨いたと語っている。審判ごとのストライクゾーンの傾向も頭に入れ、投球の組み立てを変えていった[1][2]。

集計範囲と年齢の扱い

対象はNPB一軍公式戦のシーズン最多勝で、1リーグ時代とセ・パ両リーグを含む。二軍、オープン戦、ポストシーズン、MLBは対象外。下柳の37歳での最年長記録は本人インタビュー記事でも確認できる[1]。

以前の年長例には、1944年の阪神・若林忠志がいる。1908年3月1日生まれの若林は36歳のシーズンに22勝で最多勝となった。下柳は37歳で、この年齢を1歳上回った[20][21]。

年齢は受賞年の12月31日時点の満年齢。下柳は1968年5月16日生まれで、2005−1968=37歳。開幕時は36歳、5月16日以降は37歳だった。開幕時年齢だけで他の受賞者と比べる数え方は用いない[2]。

主要投手部門トップ3は2005年セ・リーグ。防御率は規定投球回到達者、勝利と奪三振は規定未到達者も対象とし、同順位は全員掲載する。下柳のランキング行を赤字太字とする。投球回の端数は3分の1回単位で計算した[5][6][7][15]。

2026年の最多勝はセ・リーグが髙橋遥人(16勝)、パ・リーグが北山亘基とA・エスピノーザ(各13勝)で、いずれも年末年齢37歳未満だった。下柳の最年長記録は更新されていない。2005年の試合結果はNPB公式を優先し、続投判断やベンチ裏の様子は久保康生の回想として区別した。資料確認日:2026年10月21日[10][11][12][13][14]。

何がすごいのか

  • 37歳になるシーズンに自己最多の15勝を挙げ、初めてシーズンタイトルを獲得した[1][2][3]。
  • 132回3分の1と規定投球回未到達でも最多勝。投球回数と勝利数が別の指標であることを示す記録でもある[2][6][15]。
  • 普段は継投につなぐ投手が、最終戦だけは延長10回を完投し、鳥谷のサヨナラ本塁打で15勝目をつかんだ[10][11][12]。

出典