詳細
◇自己最多の15勝で初タイトル
下柳は24登板で15勝3敗、防御率2.99。勝利数は自己最多で、勝率は.833だった。2004年の7勝から8勝増やし、阪神の2年ぶりのリーグ優勝に貢献。規定投球回未到達ながら、最多勝のタイトルを手にした[2][3][4][15]。
| 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 完投 | 完封勝 | 無四球 | 対打者 | 投球回 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 15 | 3 | 0 | .833 | 1 | 0 | 0 | 531 | 132 1/3 |
| 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 125 | 11 | 25 | 6 | 90 | 0 | 0 | 44 | 44 | 2.99 |
勝利と奪三振は1位が2人のため、次の順位は3位。同順位の選手を全員掲載する。下柳の2.99を防御率表へ加えないのは、規定投球回未到達のため[5][6][7][15]。
ホールド、ホールドポイントはいずれも0。24登板はすべて先発だった。投球回の「132 1/3」は132回3分の1で、小数表記の132.1回という意味ではない[2][16]。
◇規定投球回に届かない最多勝
2005年の規定投球回はチーム試合数×1.0で、阪神の146試合に対して146回。下柳は132回3分の1で、13回3分の2不足した。防御率2.99は、規定到達者の上位だった三浦大輔の2.52と黒田博樹の3.17の間に位置するが、規定投球回に届かないため同部門の順位表には入らない。一方、最多勝は投球回の規定に左右されず、15勝で受賞した[2][3][5][15]。
規定投球回未到達の最多勝には先例がある。1988年のヤクルト・伊東昭光は18勝しながら投球回は122回3分の2で、規定の130回に届かなかった。下柳は24登板すべてに先発して最多勝となった点で、救援起用の伊東とは対照的だった[17][18][19]。
最多勝を分け合った黒田博樹は212回3分の2を投げて15勝12敗、11完投。下柳は132回3分の1で15勝3敗、1完投だった。投球回は黒田が80回3分の1多い。同じ15勝でも、投球回と完投数には大きな差があった[2][15]。
◇9月は4勝0敗で月間MVP
優勝を決めた9月、下柳は5登板で4勝0敗、防御率0.65。27回3分の2を投げて自責点2、14奪三振を記録した。セ・リーグでは初の月間MVPで、日本ハム時代の2000年8月に続き両リーグでの受賞となった[9]。
| 対象月 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 投球回 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005年9月 | 5 | 4 | 0 | 27 2/3 | 14 | 2 | 0.65 |
◇優勝チームと救援陣
阪神は87勝54敗5分、勝率.617で優勝し、2位中日に10ゲーム差をつけた。731得点はリーグ最多、チーム防御率3.24はリーグ最良。下柳はこのチームで24試合に先発し、15勝を挙げた[2][4]。
| 順位 | 球団 | 試合 | 勝利 | 敗北 | 引分 | 勝率 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 阪神 | 146 | 87 | 54 | 5 | .617 | 3.24 |
| 2 | 中日 | 146 | 79 | 66 | 1 | .545 | 4.13 |
| 3 | 横浜 | 146 | 69 | 70 | 7 | .496 | 3.68 |
| 4 | ヤクルト | 146 | 71 | 73 | 2 | .493 | 4.00 |
| 5 | 巨人 | 146 | 62 | 80 | 4 | .437 | 4.80 |
| 6 | 広島 | 146 | 58 | 84 | 4 | .408 | 4.80 |
最終順位は勝率による。横浜はヤクルトより勝利数が少ないが勝率では上回る。防御率は小数第2位に統一し、巨人4.79846と広島4.79844はいずれも4.80とした[4]。
救援陣ではウィリアムスが75登板、藤川球児が80登板、久保田智之が68登板。下柳が完投したのは10月5日の1試合だけで、残る14勝は途中降板した試合で挙げた。継投でリードを守った試合が多かったことも、15勝という数字の背景にある[2][8]。
| 選手名 | 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | ホールド | 投球回 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ウィリアムス | 75 | 3 | 3 | 0 | 37 | 76 2/3 | 2.11 |
| 藤川球児 | 80 | 7 | 1 | 1 | 46 | 92 1/3 | 1.36 |
| 久保田智之 | 68 | 5 | 4 | 27 | 3 | 80 2/3 | 2.12 |
3投手の成績は2005年のNPB公式記録による。下柳が勝った14試合の継投投手を全件集計した表ではない[2][8]。
◇最後の1勝は延長10回完投で
2005年10月5日、甲子園の横浜戦。下柳は延長10回を2失点で投げ切り、その裏の鳥谷敬のサヨナラ本塁打で15勝目を挙げた。これがシーズン唯一の完投であり、最多勝につながる大きな1勝になった[2][10]。
◇10月5日は148球の完投勝利
阪神の公式戦最終戦となった横浜22回戦。下柳は4回に2点を失ったが、阪神はその裏に今岡誠の適時打で1点を返し、6回には鳥谷の8号ソロで同点とした。2対2のまま延長に入り、下柳は10回まで続投。その裏、鳥谷が加藤武治から9号サヨナラ本塁打を放ち、3対2で勝った[10][11][12]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 横浜 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 10 | 0 |
| 阪神 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1X | 3 | 9 | 0 |
2005年10月5日、阪神甲子園球場。延長10回、観衆47,284人、試合時間3時間17分。Xはサヨナラによる試合終了[10]。
| 投球回 | 投球数 | 対打者 | 被安打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 148 | 43 | 10 | 2 | 1 | 9 | 2 | 2 |
投球回・対戦打者などはNPB公式記録。148球は当時の投手コーチ・久保康生の回想と投球詳細集計による[10][12][16]。
◇交代を考えた監督と続投を求めたコーチ
当時の投手コーチ・久保康生は後年、最多勝を取らせたいと考えていた一方、岡田彰布監督は日本シリーズ前の故障を心配して交代を検討していた、と振り返っている。話し合いを経て続投し、最後は10回を投げ切った。普段は5、6回で継投へつなぐ下柳にとって、特別な登板だった[11][12]。
久保康生の回想では、10回を投げ終えた下柳はいったんベンチ裏へ下がったが、鳥谷のサヨナラ本塁打で慌ててグラウンドに戻ったという[12]。
◇鳥谷の2本が同点とサヨナラに
この日の鳥谷は4打数2安打2打点、1四球、2三振。2安打はいずれも本塁打で、同点とサヨナラの両方を担った。下柳が10回を投げても、打線が勝ち越さなければ勝利投手にはならない。投球と打撃がつながって完成した、15勝目だった[10]。
黒田博樹も15勝でシーズンを終え、下柳とともに初の最多勝利投手賞を受賞した[3][6]。
◇40歳の年まで4年連続2桁勝利
下柳は翌2006年に12勝、2007年に10勝、40歳になる2008年にも11勝を挙げた。最多勝となった2005年を含めて4年連続2桁勝利。タイトル獲得後も、先発陣の一角として勝ち星を重ねた[2]。
| 年 | 年齢 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 完投 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 35歳 | 26 | 10 | 5 | 3 | 137 2/3 | 135 | 3.73 |
| 2004 | 36歳 | 22 | 7 | 5 | 0 | 116 | 76 | 5.12 |
| 2005 | 37歳 | 24 | 15 | 3 | 1 | 132 1/3 | 90 | 2.99 |
| 2006 | 38歳 | 25 | 12 | 11 | 1 | 150 1/3 | 86 | 3.17 |
| 2007 | 39歳 | 25 | 10 | 8 | 0 | 129 1/3 | 74 | 4.11 |
| 2008 | 40歳 | 27 | 11 | 6 | 1 | 162 1/3 | 89 | 2.99 |
いずれも阪神の一軍公式戦成績。年齢は各年12月31日時点の満年齢[2]。
◇翌年以降も続いた2桁勝利
翌2006年は25登板で12勝11敗、防御率3.17。2007年は10勝、2008年は11勝を挙げ、37歳から40歳になる年まで4年連続2桁勝利となった。2008年は162回3分の1を投げて防御率2.99で、最多勝の年より投球回も増えている[2]。
2009年は8勝、2010年は7勝。2011年は阪神で0勝2敗、2012年は楽天で4登板、0勝2敗、防御率5.29だった。NPBでの通算は627登板、129勝106敗22セーブ、1418奪三振、防御率3.92。最多勝はキャリアでただ一度の受賞だった[2]。
◇救援の剛腕から先発の技巧派へ
下柳はダイエーと日本ハムで主に救援として登板し、2003年に阪神へ移ると先発で10勝した。本人は後年、直球が打たれるようになったことを機に変化球、制球、配球を磨いたと語っている。審判ごとのストライクゾーンの傾向も頭に入れ、投球の組み立てを変えていった[1][2]。
集計範囲と年齢の扱い
対象はNPB一軍公式戦のシーズン最多勝で、1リーグ時代とセ・パ両リーグを含む。二軍、オープン戦、ポストシーズン、MLBは対象外。下柳の37歳での最年長記録は本人インタビュー記事でも確認できる[1]。
以前の年長例には、1944年の阪神・若林忠志がいる。1908年3月1日生まれの若林は36歳のシーズンに22勝で最多勝となった。下柳は37歳で、この年齢を1歳上回った[20][21]。
年齢は受賞年の12月31日時点の満年齢。下柳は1968年5月16日生まれで、2005−1968=37歳。開幕時は36歳、5月16日以降は37歳だった。開幕時年齢だけで他の受賞者と比べる数え方は用いない[2]。
主要投手部門トップ3は2005年セ・リーグ。防御率は規定投球回到達者、勝利と奪三振は規定未到達者も対象とし、同順位は全員掲載する。下柳のランキング行を赤字太字とする。投球回の端数は3分の1回単位で計算した[5][6][7][15]。
2026年の最多勝はセ・リーグが髙橋遥人(16勝)、パ・リーグが北山亘基とA・エスピノーザ(各13勝)で、いずれも年末年齢37歳未満だった。下柳の最年長記録は更新されていない。2005年の試合結果はNPB公式を優先し、続投判断やベンチ裏の様子は久保康生の回想として区別した。資料確認日:2026年10月21日[10][11][12][13][14]。