記録の歴史
NPBシーズン盗塁ランキングTOP20
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1シーズンで最も多く盗塁した選手は誰なのか。歴代の走塁記録を、出場試合数・盗塁成功率や、同じ年のチームの記録とともに比べる。
概要
NPB一軍公式戦「盗塁【シーズン記録】」の2025年度終了現在の20位以内。20位の62盗塁に2記録が並ぶため、21シーズンをすべて掲載する。出場試合・球団名・年はNPB公式一覧に合わせる。2026年シーズンの記録は含めず、成功率の比較にはNPB「盗塁刺【シーズン記録】」を用いる。
盗塁は安打や本塁打と違い、出塁だけでなく次の塁へ走って成功する必要がある。2025年のリーグ最多はセ・リーグ32盗塁、パ・リーグ35盗塁だった。今回は単純な盗塁数の歴代順位に加え、本人の出場試合数や盗塁刺、チーム全体の盗塁数と比べる。盗塁成功率については「盗塁÷(盗塁+盗塁刺)」という補助指標を用いる[1][2][3]。
詳細
NPBシーズン盗塁ランキングTOP20
NPB公式の2025年度シーズン終了現在では、歴代1位は1972年の福本豊106盗塁。続く2位95盗塁、3位94盗塁も福本によるものだ。20位には62盗塁が2記録並ぶため、TOP20相当の21シーズンをすべて掲載する。表は盗塁を成功させた数のランキングで、盗塁を試みた総回数や盗塁成功率の順位ではない[1]。
順位・選手名・当時の球団略称・年度・盗塁・出場試合はNPB公式「盗塁【シーズン記録】」に従う。100試合換算=盗塁÷選手の出場試合数×100を小数第1位に丸めた参考値。盗塁刺や四球・安打による出塁機会は補正していない。同順位は同じ順位で表示している[1]。
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◇2025年の盗塁王との比較
2025年のセ・リーグ盗塁王は阪神・近本光司の32盗塁、パ・リーグ盗塁王はソフトバンク・周東佑京の35盗塁だった。歴代最多106盗塁は、それぞれ74盗塁・71盗塁多い。2025年のパ・リーグ最多の約3.0倍だが、時代・投手の牽制・捕手・リーグの盗塁傾向が異なるため能力差そのものではない[1][2][3]。
◇上位21シーズンの平均でも差は大きい
20位タイまでの21記録の盗塁数を単純平均すると約74.1盗塁。歴代1位の106盗塁はその平均より約31.9盗塁多い。ここでの平均は「歴代上位21シーズンだけの平均」であり、NPB全選手のシーズン平均や通常の盗塁王の平均ではない[1]。
1試合あたりに換算しても福本豊の突出度は大きい
◇122試合で106盗塁
1972年の福本豊は122試合出場で106盗塁。100試合あたり約86.9盗塁となり、同じ福本による1973年の95盗塁(123試合、約77.2)や1974年の94盗塁(129試合、約72.9)を上回る。1位の最多数だけでなく、出場試合に対する集中度も大きい[1]。
100試合換算は記事独自に計算した数で、打席数、代走起用、試合途中の交代、盗塁を仕掛ける機会を考慮していない。公式ランキングは盗塁数で決まり、換算値によって順位は変えない[1]。
◇時代ごとにリーグ戦の試合数も異なる
1956年のパ・リーグは各チーム154試合、1972年のパ・リーグは各チーム130試合、1983年セ・リーグも130試合、2004年セ・リーグは138試合だった。各選手の出場試合も異なるため、絶対数と試合あたりの盗塁を並べて見ることに意味がある。ただし当時のリーグ全体の盗塁機会や盗塁戦術まで公平に補正した比較ではない[4][5][6][7]。
盗塁数と盗塁成功率は別の記録
◇歴代最多盗塁にも盗塁刺がある
1972年の福本豊は106盗塁の一方で盗塁刺25も記録し、両方を合わせた131企図に対する成功率は約80.9%。1956年の河野旭輝は85盗塁・盗塁刺29で約74.6%、1974年の福本豊は94盗塁・盗塁刺23で約80.3%だった。盗塁数が多い年には盗塁刺も増える場合があり、成功した本数だけでは試みた回数が分からない[1][8]。
企図=盗塁+盗塁刺、成功率=盗塁÷(盗塁+盗塁刺)×100、小数第1位表示。対象年の盗塁刺はNPB公式「盗塁刺【シーズン記録】」で確認できる4例を掲載。盗塁刺に含まれない走塁死まで加えた割合ではない[1][8]。
◇盗塁刺の歴代1位もシーズン盗塁4位の河野旭輝
1956年の河野旭輝は85盗塁で歴代4位だが、盗塁刺29も同年のNPBシーズン最多記録になっている。成功85と失敗29は「多く仕掛けたシーズン」の両面であり、単に失敗だけを見ても評価できない。2025年の盗塁王との比較も、公式盗塁数だけの比較と成功率の比較を混ぜずに読む必要がある[1][8]。
チームの盗塁数と一人の盗塁数を比較する
◇1972年の阪急はチーム202盗塁
1972年の阪急はリーグ優勝(80勝48敗2分)し、チーム全体では202盗塁を記録した。そのうち福本豊一人の106盗塁は約52.5%を占める。また同年の福本は打率.301、142安打、14本塁打、99得点も記録し、パ・リーグ最優秀選手に選ばれた。盗塁だけが独立した記録ではなく、出塁や得点ともつながったシーズンだった[4][9]。
◇2004年の赤星は阪神の盗塁の約3分の2
2004年の赤星憲広は138試合で64盗塁し、セ・リーグの盗塁王になった。阪神のチーム盗塁は96個で、赤星が約66.7%を占める。1972年の阪急はチームとして202盗塁しており、一人の本数だけではチーム全体の走塁傾向を同一尺度で測れないことも分かる[7][1]。
チーム内割合=本人の盗塁÷同年の所属チームの総盗塁×100。盗塁の数値はNPB年度別のチーム打撃記録に基づき、割合は記事独自に計算したものである[4][7]。
同じ選手が何度も歴代上位に登場する
◇福本豊は21記録のうち8シーズン
TOP20相当の21シーズンのうち、福本豊の記録は8件。1970年75盗塁・1971年67盗塁・1972年106盗塁・1973年95盗塁・1974年94盗塁・1975年63盗塁・1976年62盗塁・1978年70盗塁が並ぶ。野球殿堂博物館によれば、1970年から1982年まで13年連続で盗塁王となり、通算では1065盗塁を残している[1][9]。
◇福本以外にも複数ランクイン
高橋慶彦は1983年70盗塁と1985年73盗塁、金山次郎は1950年74盗塁と1952年63盗塁で2度ずつ入る。高橋は1983年の広島(130試合中124試合に出場)で70盗塁を記録し、1985年は73盗塁でリーグ盗塁王。打率やチームの得点力と切り離して、盗塁数の歴代上位という観点から見た顔ぶれである[1][6][10]。
◇盗塁歴代1位を支えた継続力とMVP
福本は1972年、通算でも上位に残る年間106盗塁を記録して最優秀選手となった。1970年から盗塁王を13年続け、通算1065盗塁はNPB歴代1位。シーズン最多と通算最多を同じ選手が持つ珍しい部門である[1][9][11]。
近年の記録から見る「盗塁王の水準」
◇21世紀に入って歴代20位圏へ届いた例
この21記録の中で最も新しいのは2004年の赤星憲広による64盗塁。2025年の近本光司32盗塁、周東佑京35盗塁はそれより少なく、歴代20位タイの62盗塁には届かなかった。なお赤星は2005年に60盗塁を記録しているが、公式TOP20相当の対象外に位置する。直近の盗塁王の数値は年によって異なり、60盗塁以上を通常の盗塁王の水準とは言えない[1][2][3]。
◇出塁機会・捕手・投手・走塁戦術が絡む
盗塁を記録するには、まず進塁可能な走者として出塁し、次の塁を盗む必要がある。盗塁数は走者の走力だけでなく、打席機会や出塁、試合の状況、相手バッテリー、企図の方針にも関係するため、盗塁数の単純順位を「走力そのもののランキング」と読み替えることはできない。成功率の例も公式盗塁刺の数値が確認できるシーズンだけで比較した。
このランキングで分かること
シーズン盗塁は走った回数そのものではなく、成功させた回数の記録である。福本の106盗塁は最近の盗塁王の約3倍に達し、試合数で割っても極端に高い。これに対し1956年の河野は盗塁刺でも最多、2004年の赤星は所属チームの盗塁の約3分の2を一人で記録した。盗塁数・成功率・チーム内割合を分けて読むと、違う時代の走塁記録の異常さが見えてくる。
◇集計条件と注意
NPB公式「盗塁【シーズン記録】」の2025年度終了時点の20位まで(20位タイの2シーズンを含む計21件)を集計した。「100試合換算」「盗塁成功率」「チーム内割合」「TOP21平均」は公式の盗塁・盗塁刺・試合・チーム成績から記事独自に計算した値であり、公式順位を変えない。時代別に試合数・盗塁機会・ルールの環境が異なる。2026年度は対象外。確認日:2026年10月9日[1]。