記録の歴史
NPBシーズン盗塁刺ランキングTOP20
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盗塁を何度も試みれば、アウトになる回数も増える。歴代の盗塁刺記録を、成功した盗塁数や試合数と重ねて見てみる。
概要
NPB一軍公式戦「盗塁刺【シーズン記録】」(2025年度終了現在)。公式歴代一覧は22盗塁刺以上の19記録を公開しているため、今回はこの19記録をすべて掲載。21盗塁刺以下の全シーズンの順位は網羅できず、厳密な歴代20位までの確定表ではない。年度・所属・出場試合はNPB公式による。
「盗塁刺」は盗塁を企てて失敗した場合の記録で、盗塁の成功数とは別に数えられる。2025年の両リーグ最多盗塁刺はセ・リーグが9、パ・リーグが10だった。数が多いからといって単純に走塁技術が劣るとは限らないため、成功した盗塁数や企図数、成功率、試合数を合わせて比べる[1][2][3][14]。
詳細
NPBシーズン盗塁刺ランキング(公式掲載19記録)
NPBが公開する2025年度シーズン終了時点の「盗塁刺【シーズン記録】」では、1位は1956年の河野旭輝29盗塁刺、2位タイは1983年の高橋慶彦と1984年の高木豊で28盗塁刺。15位に22盗塁刺が5記録並ぶため、公式掲載の記録は合計19シーズンとなる。今回は公開済みの19件をすべて掲載した。21盗塁刺の全記録が確認できないため、厳密なTOP20の全体とは区別している[1]。
順位、選手名、球団、年度、盗塁刺、試合数はNPBの公式歴代一覧に準拠。100試合換算=盗塁刺÷出場試合数×100を小数第1位で表示した記事独自指標。盗塁成功数・出塁機会・代走起用等は補正していない。21盗塁刺以下の記録について網羅的な順位を確定できないため、この一覧は「NPB公式が掲載した19記録」である[1]。
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◇2025年のリーグ最多と比べる
1956年の29盗塁刺に対し、2025年はセ・リーグ最多の近本光司が9盗塁刺、パ・リーグ最多の五十幡亮汰が10盗塁刺だった。その差はそれぞれ20、19で、最多盗塁刺の絶対数は約3.2倍、2.9倍。ただしリーグの盗塁企図数も異なるため、走力・成功率を直接比較した数値ではない[1][2][3]。
◇上位19記録の平均と比べても差がある
NPBが公開する19シーズンの盗塁刺数を単純平均すると24.1。最多の29はこの平均より4.9多い。ただし、これは「22盗塁刺以上を記録した突出した19シーズンだけ」の平均であり、一般的な野球選手やリーグの平均盗塁刺ではない[1]。
試合数で割ると順位の見え方が変わる
◇盗塁刺が最も多い選手が最多頻度とは限らない
歴代最多の河野は144試合で29盗塁刺、100試合あたり約20.1。一方、1996年の村松有人は108試合で26盗塁刺、100試合あたり約24.1と、上位例の中で高い頻度だった。高木豊の1984年も117試合で28盗塁刺、100試合あたり約23.9。試合数が違えば、合計の順位だけでは分からない面がある[1][9][11]。
100試合換算は出場試合数に対する盗塁刺の割合にすぎない。盗塁に挑戦する機会がどれだけあったか、盗塁成功率が何%かを示す数字ではない。公式順位を付け替えるものではない[1]。
盗塁刺が多くても、盗塁王になることがある
◇1956年の河野旭輝は85盗塁も記録
1956年の河野は阪急で144試合に出場し、85盗塁でパ・リーグの盗塁王になった。同年の29盗塁刺と合わせると盗塁企図は114回、単純計算の盗塁成功率は約74.6%。成功数はNPB歴代シーズン4位、盗塁刺は歴代1位であり、ひときわ積極的に走ったシーズンだった[1][4][5]。
◇盗塁刺2位タイの2人は成功数が違う
1983年の高橋慶彦は70盗塁に対し28盗塁刺で、98企図中の成功率は約71.4%。1984年の高木豊も28盗塁刺だが、成功した盗塁は56で84企図中約66.7%となる。盗塁刺が同数でも盗塁数・企図数が違えば、成功率や走塁の役割は違って見える[1][6][7]。
◇1996年の村松有人も盗塁王だった
1996年の村松はダイエーで108試合に出場して58盗塁、26盗塁刺を記録した。84企図で成功率は約69.0%。翌1997年も42盗塁、23盗塁刺で公式歴代一覧に入っている。同じ選手が複数年続けて上位に入っている点も見逃せない[1][8][11]。
盗塁企図=盗塁+盗塁刺。成功率=盗塁÷(盗塁+盗塁刺)×100。数字は小数第1位で表示。各年の盗塁数はNPB年度別成績、盗塁刺は公式歴代一覧を基準とした。盗塁と盗塁刺に数えられない走塁死を含む割合ではない[1][5][6][7][8][9][10]。
◇1972年の福本豊は106盗塁で成功率80%超
1972年の福本豊は106盗塁という現在も残るNPBシーズン最多記録の一方で、盗塁刺25でも歴代5位タイ。盗塁企図131回のうち106回成功し、成功率は約80.9%だった。失敗の本数だけなら大きい数字だが、成功数も突出している。通算では1065盗塁と299盗塁刺がともにNPB最多で、長年の積極的な走塁を反映している[1][4][9][12][13]。
1956年に上位記録が集中している
◇公式掲載19記録のうち5件は同じ年
1956年には河野旭輝29、近鉄・小玉明利24、阪急・バルボン23、南海・森下正夫22、阪神・吉田義男22の5記録が並ぶ。NPB公式の上位19記録のうち約26%が1956年に集中している。1956年パ・リーグは8球団・各154試合制で、阪急のチーム盗塁数は277だった。当時の試合数とリーグ環境は現代と大きく異なる[1][5]。
◇失敗が成功を上回った選手もいた
同年の小玉明利は151試合に出場して16盗塁、24盗塁刺。盗塁の成功と失敗に限定して合計40企図とすると、成功率は40.0%だった。一方、河野は85盗塁・29盗塁刺で約74.6%。同じ年、同じ24~29盗塁刺でも、成功数が違えば全く異なる走塁成績となる[1][5]。
◇1956年のパ・リーグは現代より試合数が多い
1956年パ・リーグは8球団が各154試合を実施し、阪急はチーム277盗塁を記録した。盗塁刺の数字が大きい背景として出場機会の多さや盗塁企図の多さが影響した可能性はあるものの、試合数だけで1956年の集中をすべて説明することはできない。各選手の盗塁機会やリーグ全体の失敗率を復元した比較ではない[5]。
同じ選手が何度も公式上位に登場する
◇福本豊は3シーズンでランクイン
福本は1972年25盗塁刺、1974年23盗塁刺、1979年24盗塁刺で公式の上位19件に3度登場。野球殿堂博物館は1970年から1982年までの13年連続盗塁王や1972年のMVPを紹介している。成功数が多い打者ほど失敗も一定数出ることはあり、シーズン記録を積極性の側面と合わせて読むべき例だ[1][12]。
◇高橋慶彦・高木豊・岡嶋博治・村松有人も複数年
高橋慶彦は1982年24と1983年28、高木豊は1983年22と1984年28、岡嶋博治は1958年23と1959年25、村松有人は1996年26と1997年23盗塁刺を記録。それぞれの記録は同じ選手でも別のシーズンとして掲載されるため、上位19記録は19人を指すわけではない[1][11]。
近年の盗塁刺記録から見える違い
◇1997年以降、公式の掲載ラインに届いた例はない
NPB公式の22盗塁刺以上の一覧で最も新しいのは1997年の村松有人による23盗塁刺。2000年以降に22盗塁刺以上を記録したシーズンは、2025年終了時点の公式一覧には載っていない。2025年の各リーグ最多9・10盗塁刺は、掲載下限の22盗塁刺にも届かない[1][2][3]。
◇2025年は五十幡亮汰と近本光司の成功率も異なる
2025年のパ・リーグ最多盗塁刺10を記録した日本ハム・五十幡亮汰は盗塁25で、企図35に対する成功率は約71.4%。セ・リーグ最多盗塁刺9の阪神・近本光司は盗塁32で企図41、成功率約78.0%だった。盗塁刺が多いか少ないかだけでなく、成功数と併せて初めて試みの結果を比較できる[2][3][15][16]。
◇盗塁刺と単なる走塁死は同じではない
盗塁刺は公認野球規則の記録規定に従って判定される。例えば盗塁を試みていた走者が送球を落とした失策でアウトを免れた場合でも、規則上は盗塁刺が記録され得る。逆に、走者が次の塁へ進んでアウトになったあらゆるプレーが盗塁刺になるわけではない。数値だけで個々のプレーの内容まで断定しない[14]。
このランキングで分かること
盗塁刺は単純な「走塁の下手さランキング」ではない。1956年の河野旭輝は盗塁刺の歴代1位であると同時に85盗塁の盗塁王、1972年の福本豊も25盗塁刺に対して106盗塁を成功させた。一方で小玉明利のように成功数より失敗数が多い年もある。成功数・失敗数・企図数・出場試合を切り分けることで、同じ盗塁刺数が持つ意味の違いが伝わる。
◇集計条件と注意
NPB一軍公式戦「盗塁刺【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了現在、22盗塁刺以上の公式掲載19記録を使用した。21盗塁刺以下を含む歴代20位までの完全な順位は、NPBの公開一覧のみでは確定できないため、記事ではその範囲を明示する。「100試合換算」「企図」「成功率」「上位19記録の平均」は公式の試合・盗塁・盗塁刺から独自に算出した補助指標。2026年の途中成績は含めない。資料確認日:2026年10月9日[1]。