NPBシーズン完封勝ランキングTOP20

1シーズンに最も多く相手を無得点に抑えて勝利した投手は誰か。完封の歴代記録を、完投数や投球回、当時の試合数と比べる。

概要

NPB一軍公式戦の「完封勝【シーズン記録】」。2025年度シーズン終了時点のNPB公式一覧に掲載された10完封勝以上の23記録を対象とする。13位の10完封勝が11件同順位のため、歴代TOP20相当は23シーズンである。2026年の途中成績は含まない。

完封勝とは、投手が相手の得点を許さず一試合を最後まで投げ切って勝利する記録。完投しても失点があれば完封勝にはならない。2025年のセ・パ両リーグの最多はともに3完封勝だった。戦前には年間の試合数や投手の登板・先発起用が大きく異なるため、完封勝そのものの数に加えて、完投に占める割合やリーグの投高打低、同年のライバルとの差を比較する[1][2][3]。

詳細

NPBシーズン完封勝ランキングTOP20

NPB公式の2025年度終了時点では、1942年の野口二郎と1943年の藤本英雄が各19完封勝で歴代1位タイ。3位は1940年の須田博の16完封勝、4位は1962年の小山正明の13完封勝となる。13位の10完封勝が11件あるため、20位以内に該当する23シーズンを省略せず載せた。球団・投手名は当時の公式登録表記に合わせている[1]。

順位投手名球団年度完封勝登板完封勝/登板
1野口二郎大洋1942196628.8%
1藤本英雄巨人1943195633.9%
3須田博巨人1940165529.1%
4小山正明阪神1962134727.7%
5林安夫朝日1942127116.9%
5林安夫朝日1943123831.6%
5川崎徳次巨人1948124725.5%
5権藤博中日1961126917.4%
9森弘太郎阪急1941114822.9%
9金田正一国鉄1958115619.6%
9米田哲也阪急1958114524.4%
9村山実阪神1965113928.2%
13スタルヒン巨人1939106814.7%
13亀田忠黒鷲1940105617.9%
13中尾輝三巨人1941104124.4%
13野口二郎大洋1941104820.8%
13広瀬習一巨人1942103231.2%
13野口二郎西鉄1943105119.6%
13若林忠志阪神1943105219.2%
13川崎徳次巨人1947105119.6%
13若林忠志阪神1947104323.3%
13中谷信夫南海1948104920.4%
13伊藤芳明巨人1963103925.6%

順位・完封勝・登板数はNPB公式による。「完封勝/登板」は完封勝数÷全登板数×100とした記事独自の参考値。分母には救援登板も含まれるため、先発登板に対する完封率ではない。13位タイは11記録すべて収録した[1]。

関連記事投手最多勝投手で最も悪い防御率最多勝はエース級投手の勲章だが、勝利数は味方打線の援護にも左右される。では、リーグ最多の白星を挙げながら、防御率が最も高かった投手は誰なのか。

歴代最高と現在ではどれほど違うのか

◇2025年の最多は両リーグとも3完封勝

2025年セ・リーグの最多完封勝は阪神の村上頌樹と広島の床田寛樹が各3回。パ・リーグは西武の今井達也と日本ハムの金村尚真が各3回だった。歴代最高の19回とは16回差で約6.3倍にあたる。ただし当時と現在ではチーム試合数・投手起用・打撃環境が異なり、この差を単純に投手の能力差とは考えられない[1][2][3]。

区分投手・年度完封勝登板説明
歴代1位タイ野口二郎 19421966チーム105試合
歴代1位タイ藤本英雄 19431956チーム84試合
2025年 セ最多村上頌樹/床田寛樹各3—143試合制
2025年 パ最多今井達也/金村尚真各3—143試合制

NPB公式の年度別記録と2025年のリーグ別「完封勝利」リーダーズを参照。— は本比較表で登板数を掲載していないことを表し、出場記録がない意味ではない[1][2][3][4][5][6]。

◇チームの年間試合数も同じではない

1942年は大洋も東京巨人も年間105試合、1943年の東京巨人は84試合だった。各19完封をチーム年間試合数で単純に割ると、野口の1942年は18.1%、藤本の1943年は22.6%に相当する。2025年の最多3完封を143試合で割ると2.1%。これは「当該投手が出場した試合での完封率」ではなく、チームの公式戦日程に対する個人記録の規模を比べた値である[4][5][6]。

同じ19完封勝でも、完投と勝利数が違う

◇1942年の野口二郎は41完投・40勝

野口二郎は1942年に66登板、41完投、19完封勝、40勝17敗を記録し、527回1/3を投げた。完投41のうち19が完封勝なので、完投の約46.3%が無失点の勝利だった計算になる。年間105試合のうち野口が投げた試合は66、さらに40勝を記録しているため、投手の役割そのものが現代とは大きく異なる[4][7]。

野口は同年の最多勝利40勝と最多奪三振264のタイトルも獲得。野球殿堂博物館によると延長28回を投げ切った「鉄腕」として知られ、打者としても野手で出場した。長い投球量を重ねたシーズンが、19完封という記録の背景にある[4][7]。

◇1943年の藤本英雄は防御率0.73も記録

藤本英雄は1943年に56登板、39完投、19完封勝、34勝11敗、432回2/3、防御率0.73を残した。完投39に対する完封勝19の割合は約48.7%で、野口の前年よりわずかに高い。0.73はNPBのシーズン防御率記録でも歴代最高であり、同年は最多勝利・最多奪三振にも名を残した[5][8]。

藤本は1943年5月22日にノーヒットノーランを達成したほか、同年8月から9月にかけて62イニング連続無失点を記録したと野球殿堂博物館が紹介している。19完封勝を「偶然の一度きりの活躍」ではなく、シーズンを通じた投球の安定性と合わせて理解できる[8][9]。

年度・投手完封勝完投勝利投球回防御率
野口二郎 1942194140527.11.193
藤本英雄 1943193934432.20.73
須田博 19401641384360.97
小山正明 1962132627352.21.66
権藤博 1961123235429.11.70

投球回「.1」は3分の1回、「.2」は3分の2回を示すNPB公式表記。防御率はNPB掲載値。完封数は公式歴代一覧、その他の投手成績は各年度のNPB公式記録で確認した[1][4][5][10][11][12]。

完投の多さと完封勝の多さは一致しない

◇歴代最多47完投の別所昭は完封勝が7

1947年の別所昭は47完投でNPBシーズン完投記録の歴代1位だが、完封勝は7回だった。対して1942年の野口二郎は41完投から19完封勝、1943年の藤本英雄は39完投から19完封勝。同じ試合を最後まで投げ切ることでも、相手を無得点に抑えるかどうかで記録は変わる。完投と完封勝は別々の指標である[13][14]。

投手・年度完投完封勝完投に占める完封勝
別所昭 194747714.9%
林安夫 1942441227.3%
野口二郎 1942411946.3%
藤本英雄 1943391948.7%
小山正明 1962261350.0%
村山実 1965261142.3%

割合は完封勝数÷完投数×100、小数第1位表示。完投のうち無失点で勝利した記録の割合を示す補助指標で、先発登板に対する完封率ではない。1947年の別所昭は後年「別所毅彦」に改名した人物[4][5][11][12][13][14][15]。

◇年間の登板数だけでは比較できない

例えば1943年の林安夫は38登板で12完封勝、1942年は71登板で同じ12完封勝だった。前年は44完投・541回1/3、翌年は27完投・294回。どちらも完封勝は12で並ぶが、登板数・投球回・完投数の構成は違う。完封勝の合計だけでは投手への負担を読み切れない[4][5][16]。

当時のリーグ内ではどれほど突出していたか

◇1942年・1943年は最多と次点が7完封差

1942年の完封勝は野口二郎19、次点の林安夫12で7差。1943年は藤本英雄19、次点の林安夫12で、やはり7差だった。1943年は84試合制の中で、この2人だけで合計31完封勝を記録した(所属チームは別々)。相手の打線や守備、チームの投球機会の条件もあるため、単純な個人能力の点数差ではない[4][5]。

◇1962年は小山正明が13完封勝

阪神・小山正明は1962年に47登板・26完投・13完封勝・27勝・防御率1.66。チームは133試合を戦い、リーグ優勝した。同じ阪神の村山実は25勝・6完封勝で、2人は合計19完封勝。小山は同年の最高勝率・最多奪三振のタイトルに加えて沢村賞も受賞している。年による起用の違いはあるが、1960年代にも歴代上位の完封勝が生まれた[11][17]。

◇1961年の権藤博は新人で12完封勝

中日・権藤博は1961年に69登板・32完投・12完封勝・35勝、429回1/3、防御率1.70、310奪三振を記録。新人王、最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振を獲得し、沢村賞も受賞した。野球殿堂博物館は当時の激しい登板ぶりを「権藤、権藤、雨、権藤」と紹介している。完封勝数とともに登板・投球回の異常な多さを読む必要がある[12][18]。

同じ投手が何度も記録を残している

◇野口二郎は1941~1943年に3回ランクイン

野口は1941年10完封、1942年19完封、1943年10完封で3年連続ランクイン。所属は大洋(1941・1942年)、西鉄(1943年)へ変わっている。川崎徳次は1947年10完封・1948年12完封、若林忠志は1943年と1947年に各10完封。歴代TOP20相当の23シーズンは、23人の別々の投手を表すものではない[1]。

◇1940年の須田博はスタルヒンと同じ投手

1940年に16完封勝で歴代3位に入る「須田博」は、1939年に10完封勝を記録した「スタルヒン」と同一人物。NPBの公式在籍者名簿には1940年9月から1944年まで「須田博」に改名したことが記載される。登録名が違っても2人と数えず、歴代一覧は公式の当時の表記を尊重した[1][10][19]。

◇直近の歴代上位は1965年の村山実

歴代一覧に載る最も新しい年度は1965年の村山実で、39登板・26完投・11完封勝・25勝13敗、防御率1.96。1958年の金田正一と米田哲也も11完封勝で並び、1963年の伊藤芳明は10完封勝。少なくともNPB公式の10完封以上の一覧では、1966年以降のシーズンは掲載されていない[1][15]。

完封勝と「チームの完封」、無四球試合の違い

◇継投による完封と一人で投げ切った完封勝は違う

チームが複数投手の継投で相手を0点に抑えることはあっても、1人の投手がその試合を最後まで投げ切った「完封勝」とは異なる。本ランキングはあくまでNPB公式の投手個人の完封勝数を対象とする。完封勝の数だけをもとに、チーム全体の無失点試合数を数えてはいけない[1]。

◇無四球試合も別の記録

1948年の野口二郎はシーズン13無四球試合の記録を持つが、1948年の完封勝ランキングには10完封以上のシーズンとしては入っていない。無四球試合は四球を与えないこと、完封勝は相手に得点させず勝つことで、判定条件が異なる。無四球の多さと完封勝の多さを同じ記録として扱わない[1][7][20]。

このランキングで分かること

同じ19完封勝でも、1942年の野口二郎は527回1/3・40勝、1943年の藤本英雄は432回2/3・防御率0.73と、背景の投球量や失点の少なさに違いがある。また、完投最多の投手が完封勝でも最多とは限らない。1930~60年代の投手起用や年間試合数の差まで含めると、単なる勝利数のランキングとは異なる記録の面白さが見えてくる。

◇集計条件と注意

対象はNPB公式「完封勝【シーズン記録】」にある2025年度終了現在の10完封勝以上、全23シーズン。歴代13位に10完封勝が11件同順位であるため20件に切り詰めない。試合数に占める個人完封数、完投に占める完封勝の割合、完封勝/登板は記事独自の比較指標。年間の全登板数には救援登板も含むため、先発登板ベースの完封率ではない。球団と投手の名前は記録時点の公式表記に従い、2026年途中成績は含まない。資料確認日:2026年10月9日[1]。

何がすごいのか

  • 歴代1位は1942年の野口二郎と1943年の藤本英雄で各19完封勝。2025年の最多3完封の約6.3倍。
  • 同じ19完封勝でも完投数は41と39、勝利は40と34。藤本は防御率0.73の歴代最高記録も持つ。
  • 歴代13位に10完封勝が11件並ぶため、TOP20相当は23シーズン。最新のランクインは1965年。

出典