記録の歴史
NPBシーズン完投ランキングTOP20
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1シーズンで最も多く試合を投げ切った投手は誰か。歴代の完投数を、登板や投球回、当時の起用法と比較する。
概要
NPB一軍公式戦の「完投【シーズン記録】」。NPB公式2025年度シーズン終了現在の34完投以上・歴代20位以内の20記録を対象とする。19位の34完投が2件で、TOP20は20件ちょうど。2026年度の成績は対象外とする。
完投は先発投手が最後まで投げ抜く記録で、途中から1イニングだけ投げた救援登板とは意味が違う。2025年の両リーグの最多完投は、それぞれ6回。完投が当たり前ではなくなった現在から見ると、歴代上位に並ぶ記録はきわめて大きい。ただし時代によって先発・救援の役割や試合数が違うため、当時の登板数・投球回も併記して比べてみる[1][2][3]。
詳細
NPBシーズン完投ランキングTOP20
NPB公式の2025年度終了時点の完投ランキングでは、1947年の別所昭(のちの別所毅彦)が47完投で歴代1位。2位は1942年の林安夫と1947年の白木義一郎が44完投で並ぶ。19位に34完投の2シーズンがあるため、歴代20位以内は合計20記録となる。球団と名前は公式の当時の登録表記に合わせた[1]。
「完投/登板」は完投数÷シーズン登板数×100で計算した記事独自の参考値。分母には救援登板も含まれるため、「先発した試合の何%を完投したか」を示す完投率ではない。また完投数の多さだけで球数や休養日数を推定しない。順位・完投数・登板数はNPB公式記録に従う[1]。
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◇2025年の両リーグ最多は各6完投
2025年のセ・リーグ最多は広島・床田寛樹の6完投、パ・リーグ最多は日本ハム・伊藤大海の6完投。一方1947年の別所は47完投で、両者より41完投多く、約7.8倍となる。2025年は同年内の比較、1947年は別の試合制度・起用環境の記録であり、実力を直接比較する数字ではない[1][2][3]。
2025年の比較表ではNPBのリーグ別完投リーダーズから最多完投を抜粋。表の「—」は当記事で登板総数を載せていないという意味で、出場記録がないことを意味しない[1][2][3][4]。
◇20位以内で最も新しい記録でも1955年
ランキングの20記録は1939年から1955年までに集中し、最新のものでも1955年の金田正一による34完投。2リーグ制が始まった1950年以降の記録はこの1件だけで、それ以外はすべて1リーグ時代である。完投数の歴代上位を見たとき、「近年の先発投手が少ない」だけではなく、歴史的な投手起用の違いが極端に現れている[1]。
同じ1947年に歴代級の完投が3人
◇最多と同年2位との差は3完投
1947年は別所昭47完投、白木義一郎44完投、真田重蔵42完投が同じリーグに並んだ。別所は55登板・448回1/3・30勝19敗・防御率1.86で最多勝利と最多奪三振を獲得した一方、白木は59登板・439投球回・26勝25敗・防御率1.74。完投数の比較だけでは両者の投球内容が同じだったことにはならない[5][6]。
◇1942年も林安夫と野口二郎が上位に
1942年の林安夫は44完投・71登板、野口二郎は41完投・66登板。野口は40勝17敗、防御率1.193、527回1/3を投げた。林は32勝22敗、防御率1.01、541回1/3。林のほうが完投も投球回も多いが、勝利数は野口が上回った。完投数を勝ち星と取り違えないことも大切だ[7][8]。
投球回の「.1」は1/3回を表すNPB記法で、小数点以下の0.1回という意味ではない。1947年・1942年の年次成績およびNPBシーズン投球回記録を参照した[4][5][6][7][8][17]。
完投数と投球回は別の記録
◇541回1/3は歴代シーズン投球回1位
林安夫の1942年は44完投でシーズン完投数2位タイだが、投球回では541回1/3で歴代1位。野口二郎の1942年は527回1/3で歴代2位、別所昭の1947年は448回1/3で同7位に入る。完投数の順位と投球回の順位が異なるのは、完投以外の登板やイニングの長さも投球回に含まれるからだ[1][4]。
1942年の林は71試合に登板し、1登板あたり541回1/3÷71で約7.62回を投げた計算になる。1947年の別所は448回1/3÷55で約8.15回。計算から分かるのは実際の投球量の密度であって、1試合で常にその回数を投げたことや、現在の先発起用と同じ条件だったことを意味しない[4][5][8]。
◇完投数の順位で上位でも投球回には差がある
1946年の真田重蔵は43完投・464回2/3、同年の白木義一郎は43完投・440回。完投数は同じ4位タイだが、投球回に24回2/3の差がある。同じ年・同じ完投数でも投球機会の内訳までは一致しない[1][4][9]。
「1登板あたり」は正確な投球回に換算して総投球回÷登板数を求めた参考値。例えば541回1/3は541+1/3回で計算する。投手の実際の先発登板数や平均投球球数は表していない[4][5][8][9][13]。
完投と完封勝は同じではない
◇失点を許さずに勝つ完封は一部
完投は投手が試合の最後まで投げる記録であり、失点を許さない完封勝とは異なる。1942年の野口二郎は41完投に対して19完封勝で、歴代シーズン完封勝記録の最多に並ぶ。1943年の藤本英雄は39完投・19完封勝。1947年の別所昭は47完投・7完封勝だった。完投数の多さがそのまま完封の多さになるわけではない[1][10][5]。
「完封勝÷完投」は記録間の比率であって、無失点のまま終えた登板全体の評価ではない。完封勝の公式記録とNPB個人年度別成績を参照した[5][8][10]。
選手たちのエピソードと改名
◇別所昭はのちの別所毅彦
1947年に47完投を残した投手は、のちに巨人でも活躍した別所毅彦である。NPB在籍者名簿では1948年まで「別所昭」、1949年から「別所毅彦」と記録されている。1947年は最多勝利と最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞も受賞。通算では310勝に到達した。ランキングには記録当時の「別所昭」を採用した[5][11][16]。
◇須田博はスタルヒンと同一人物
1940年の巨人・須田博は41完投で歴代8位タイ、1939年のスタルヒンは38完投で12位タイ、1949年も35完投で17位タイに入る。NPBの名簿によればスタルヒンは1940年9月から1944年まで「須田博」と改名していた。したがってこれらは異なる3人ではなく、1人が別名義で残した3シーズンの成績である[1][12]。
◇真田重蔵と真田重男も同一人物
真田重蔵は1946年43完投、1947年42完投を記録。1948年は「真田重男」名義で34完投を残している。NPB在籍者名簿には1948年9月26日に改名したことが記録されており、異なる名前で登場しても同一選手。20シーズン分の記録は20人の別々の投手を意味しない[1][14]。
◇最後のランクインは1955年の金田正一
1955年の国鉄・金田正一は62登板・400投球回・34完投・9完封勝・29勝20敗だった。現代の完投数と比べると非常に多いが、これでも歴代19位タイにとどまる。金田は通算400勝・365完投・4490奪三振を記録し、通算完投はNPB最多となった。単年最高と通算最高は別の投手である[13][15]。
このランキングで分かること
歴代47完投という数字は、近年の両リーグ最多6完投と比べると約7.8倍。ただし本当に重要なのは「投手の能力差が7.8倍」という意味ではない点だ。1940年代には40完投以上のシーズンが複数あり、500投球回を超える投手もいた。さらに同じ完投数でも投球回や勝利数、完封勝は異なる。今とは大きく異なる先発・救援の役割や長い投球負担を、記録とともに知ることがこのランキングの面白さである。
◇集計条件と注意
対象はNPB公式「完投【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了現在の全20件(34完投以上)。19位タイの2シーズンは両方収録した。登板数に対する完投の割合・1登板あたり投球回・完封勝の割合は記事独自の計算であり、公式の順位と先発登板に対する完投率を示すものではない。1940年代の登録名と球団名は公式表記を優先し、改名した選手は本文で説明した。2026年の成績は含めない。確認日2026年10月9日[1]。