NPBシーズン犠打ランキングTOP20

1シーズンで最も多く犠打を記録した選手は誰なのか。歴代の送りバント記録を、出場試合数や同年のライバル、通算記録とともに比べる。

概要

NPB一軍公式戦「犠打【シーズン記録】」の2025年度終了時点の歴代20位以内を対象とする。18位の50犠打に6シーズンが並ぶため、同順位を省略せず全23記録を掲載する。球団名・年度・試合数は当時のNPB公式一覧に合わせる。2026年の記録は含めない。

犠打は、主に走者を進めるためのバントとして記録され、犠飛とは別の部門である。打率の計算では犠打は打数に含まれない。2025年の両リーグ最多犠打はセ・リーグ44、パ・リーグ24だった。今回は歴代順位に加え、出場試合数あたりの回数や同年2位との差、通算の積み重ね方を比較する[1][2][3][13]。

詳細

NPBシーズン犠打ランキングTOP20

NPB公式の2025年度終了時点では、歴代1位は2001年の宮本慎也による67犠打、2位は1991年の川相昌弘による66犠打。その差はわずか1である。3位は62犠打が4シーズン並び、18位の50犠打にも6シーズンの同順位があるため、TOP20相当の23記録をすべて掲載する[1]。

順位選手名球団年度犠打試合100試合換算
1宮本慎也ヤクルト20016712553.6
2川相昌弘巨人19916612652.4
3田中浩康ヤクルト20116214243.7
3今宮健太ソフトバンク20136214343.4
3今宮健太ソフトバンク20146214443.1
3中島卓也日本ハム20166214343.4
7平野恵一阪神20105913942.4
8川相昌弘巨人1990589461.7
8田中賢介日本ハム20075814440.3
10和田豊阪神19885612744.1
10川相昌弘巨人19965612644.4
12森本稀哲日本ハム20105511547.8
13本多雄一ソフトバンク20115314436.8
14今宮健太ソフトバンク20175214136.9
15平野謙中日19825112540.8
15田中浩康ヤクルト20075113238.6
15原拓也西武20115110449.0
18平野謙西武19905012340.7
18平野謙西武19915012540.0
18宮本慎也ヤクルト20035014035.7
18本多雄一ソフトバンク20105014434.7
18菊池涼介広島20135014135.5
18大和阪神20145012141.3

公式順位・選手・球団・年度・犠打・試合数はNPB「犠打【シーズン記録】」に従う。「100試合換算」は犠打÷本人の出場試合数×100を小数第1位で表示した記事独自の参考値。犠打の失敗・企図回数や打席での機会は含まず、公式順位は犠打の絶対数で決まる[1]。

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最多犠打は最近の記録とどれくらい違うのか

◇2025年の両リーグ最多との比較

2025年は、セ・リーグの中野拓夢が44犠打、パ・リーグの海野隆司が24犠打でそれぞれリーグ最多だった。歴代1位の67犠打との差は23・43犠打。2025年パ・リーグ最多の約2.8倍に相当する。ただし球団の試合数だけでなく、打順・進塁を狙う場面・戦術も異なるため、単純にバント技術の優劣を表すものではない[1][2][3]。

比較対象犠打年度歴代1位との差
歴代シーズン最多672001—
2025年 セ・リーグ最多44202523
2025年 パ・リーグ最多24202543

◇歴代上位23シーズンの平均と比べる

18位タイまでの23記録の犠打数を単純平均すると約55.7犠打。歴代最高の67犠打は、この上位記録だけの平均を約11.3犠打上回る。ここでの平均は歴代上位だけを対象としたもので、NPB全打者のシーズン平均ではない。全選手の一般的な犠打数の平均値と混同しないようにしたい[1]。

試合数で割ると「バントの密度」が変わる

◇1990年の川相昌弘は94試合で58犠打

1990年の川相昌弘は94試合で58犠打を記録した。100試合換算では約61.7犠打で、2001年の宮本慎也(125試合67犠打、約53.6)や1991年の川相本人(126試合66犠打、約52.4)を上回る。この数字は「出場した試合あたりの記録密度」であり、犠打成功率やバント技術を直接評価したものではない[1][5]。

選手・年度犠打試合100試合換算
川相昌弘(1990)589461.7
宮本慎也(2001)6712553.6
川相昌弘(1991)6612652.4
原拓也(2011)5110449.0
森本稀哲(2010)5511547.8
今宮健太(2013)6214343.4
今宮健太(2014)6214443.1

100試合換算=年間犠打÷年間出場試合×100。打席数・バントを指示された回数・実際に走者がいた場面やバントの成功率は補正していない。短期間の出場選手は換算値が高くなりやすい可能性もある[1]。

◇同じ62犠打でも試合数はほぼ同じ

2011年の田中浩康は142試合、2013年の今宮健太は143試合、2014年の今宮は144試合、2016年の中島卓也は143試合で、それぞれ62犠打を記録した。3位タイの4シーズンはすべて142~144試合に出場している。上位2人の67・66犠打と比べ、絶対数は近いが、1試合あたりの頻度はやや低い。[1]。

宮本慎也の記録と2001年のヤクルト

◇67犠打と129安打を両立

2001年の宮本慎也は125試合578打席で、67犠打に加えて477打数129安打、打率.270、74得点を残した。犠打は打数に含まれないので「67回バントした分、打率が下がる」という関係ではない。犠打が記録された打席と安打を記録した打数を区別して読む必要がある[1][4][13]。

◇記録達成シーズンにチームも日本一

この年のヤクルトは76勝58敗6分でセ・リーグ優勝し、日本シリーズでは近鉄に4勝1敗で日本一になった。球団公式の2000年代回顧も、宮本のシーズン67犠打を日本新記録として紹介している。一方、この資料だけで「宮本の犠打が優勝を生んだ」という因果関係までは断定できない。[6]。

◇同じ2001年のセ・リーグ2位と比べる

2001年セ・リーグの犠打では宮本が67犠打、広島の東出輝裕が49犠打で、1位と2位は18犠打差だった。同年のタイトル争いにおいても宮本は単独で突出していた。順位と2位の値は個人年度別の記録を照合しており、単なる通算のイメージによる比較ではない[4][16]。

通算記録では川相昌弘が歴代1位

◇年間トップと通算トップは同じ選手ではない

シーズン1位は宮本慎也だが、通算犠打の歴代1位は川相昌弘の533犠打。宮本は通算408犠打で3位、2位には平野謙の451犠打が入る。一年の最大値と、長く役割を続けて積み上げた値では順位が異なる。[1][12]。

◇1990・1991・1996年と三度の歴代上位

川相は1990年に58、1991年に66、1996年に56犠打を記録し、このTOP20相当の一覧に3シーズン登場する。1991年は126試合で66犠打を記録しながら110安打・打率.251を残した。通算犠打533という数字は、こうした複数のシーズンの積み重ねによるものでもある[1][5][12]。

◇2003年にはMLB通算記録を上回る

NPBの2003年セ・リーグ表彰では、川相が当時のメジャーリーグ通算犠打記録を上回ったことに対する会長特別賞が記載されている。「533犠打」はNPB通算記録として確定した数字だが、海外リーグのすべてを通した世界記録だと無条件に断定するのではなく、公式表彰の記述に従って紹介する[7][12]。

同じシーズンでもリーグ内の差は大きい

◇2013年の今宮健太は2位に24犠打差

2013年パ・リーグの犠打部門では今宮健太が62、2位の安達了一が38で24犠打差。翌2014年は今宮62に対して安達45で17犠打差だった。今宮は2年連続で同じ62犠打を達成したが、同年2位との差は同じではない。リーグ内でどれほど突出したかは年ごとに変わる[10][11]。

◇2011年は両リーグに歴代級の選手

2011年はセ・リーグで田中浩康が62犠打(同リーグ2位は木村昇吾37犠打)、パ・リーグでは本多雄一53犠打と原拓也51犠打が並んだ。この1年間だけでTOP20相当の23記録のうち3件が生まれた。ただし両リーグで試合数や打順・チーム戦術が異なるので、個人の数字だけで球団の戦術まで断定はできない[8][9][1]。

年度・リーグ最多犠打同リーグ2位差
2001年 セ宮本 67東出 4918
2011年 セ田中浩康 62木村昇吾 3725
2013年 パ今宮 62安達 3824
2014年 パ今宮 62安達 4517

同じリーグ・同じ年度の犠打1位と2位を比較。2001年は両選手の個人年度別成績、2011・2013・2014年はNPBリーグ別リーダーズを使用した。差は記事独自計算。全年度の犠打王の平均を表す表ではない[4][8][10][11][16]。

何度も上位に出る選手と年代の違い

◇川相・今宮・平野謙はそれぞれ3度ランクイン

23記録を選手別に数えると、川相昌弘・今宮健太・平野謙がそれぞれ3シーズン、宮本慎也・田中浩康・本多雄一がそれぞれ2シーズン入っている。今宮の2013・2014年の62犠打のように2年続けて同じ数字を出す選手もいれば、平野謙のように中日と西武で50犠打以上を記録した選手もいる[1]。

◇歴代上位23記録は1982年以降に集中

公式シーズン犠打ランキングの50犠打以上の23記録は、1982年の平野謙51犠打以降に限られている。一方、1930~70年代の犠打の扱いや作戦がすべて同条件だったとする資料ではない。記録が生まれた年代の集中は示せるが、投手・野手の技術進歩や戦術変化の原因をこの数字だけで断定することはできない[1]。

◇最新のTOP20相当記録は2017年

対象の23記録で最も新しいのは2017年の今宮健太52犠打で、それ以後は2025年終了時点まで50犠打以上の年間記録がない。2025年の両リーグ最多が44犠打と24犠打だったことも、その差を示す参考材料である。NPB公式ランキングは50犠打以上の掲載一覧なので、49犠打以下を含む完全な歴代順位と同一視してはいけない[1][2][3]。

犠打と犠飛、バントの成功率は別

◇犠打は打数から除かれる

NPB公式の記録計算方法では、打率=安打÷打数であり、犠打と犠飛、四死球は打数から除外される。犠打を記録した打席も打席数には含まれるため、年間の打数だけを見て送りバントの機会を数えることはできない。犠打と犠飛もそれぞれ別の公式記録項目である[13][14]。

◇犠打数だけではバント成功率が分からない

公式のシーズン犠打ランキングは記録された犠打の数であり、すべてのバント企図数を一覧にしたものではない。したがって、67犠打という数字をそのまま「67回試みて67回成功した」と読むことはできない。また犠打が多いことだけで、送りバントという戦術がチームの勝敗にどれだけ有効だったかは結論できない[1][13]。

このランキングで分かること

シーズン犠打は、打撃機会がある中で走者を進める打撃を何度公式に記録したかを示す数字である。宮本の67犠打と川相の66犠打はわずか1差だが、川相の1990年は出場試合あたりで見るとさらに高頻度となる。今宮は2年連続62犠打を達成し、同じ数でもリーグ2位との差が変わった。単純な本数だけでなく、試合数、ライバルとの比較、通算での継続性と分けて読むと、それぞれの記録の違いがよく見える。

◇集計条件と注意

基準はNPB公式「犠打【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了現在。18位タイの50犠打を含む23シーズンを対象とし、2026年の記録は加えていない。「100試合換算」「同年2位との差」「23記録の平均」は公式の犠打・出場試合数等から記事独自に算出。バント失敗や企図数は集計しておらず、成功率やチームの戦術効果は評価しない。資料確認日:2026年10月9日[1]。

何がすごいのか

  • 歴代最多は67犠打(2001年)。2025年の両リーグ最多(44と24)との差は23・43犠打。
  • 1990年の川相昌弘は94試合で58犠打。100試合換算61.7で、最多記録の宮本(53.6)を上回る。
  • 18位タイの50犠打に6件あり、TOP20相当は23シーズン。今宮の62犠打は2013・2014年と2年連続。

出典