記録の歴史
NPBシーズン犠飛ランキングTOP20
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シーズンで最も多く犠牲フライを記録したのは誰なのか。歴代の犠飛記録を、試合数・打点・同年のライバルと比べてみる。
概要
NPB一軍公式戦「犠飛【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了時点の公式掲載全記録を対象にする。NPBの歴代一覧は11犠飛以上の13シーズンまでで、10犠飛以下の全件を網羅した20位までの順位は確認できない。本記事は公式掲載13記録のみを掲載し、未確認の順位・同順位は推定で補わない。
犠飛は、得点に結びつくフライが一定の条件を満たすと記録される打撃結果で、送りバントの犠打とは別の公式記録。2025年のリーグ最多はセ・リーグ7犠飛、パ・リーグ9犠飛だった。年間で10犠飛を超える例は多くないため、歴代公式掲載の13記録を試合数や打点、リーグ内の順位とともに比較する[1][2][3][14]。
詳細
◇NPBシーズン犠飛ランキングTOP20
NPB公式の2025年度シーズン終了時点の歴代シーズン犠飛1位は1970年の大杉勝男、15犠飛。2位は2018年の中田翔による13犠飛で、3位タイは12犠飛が4シーズン並ぶ。公式一覧が公開しているのは11犠飛以上の13記録までであり、10犠飛以下の20位相当の全順位を確定できない。そこで以下は「公式掲載13記録」として示す[1]。
順位・選手名・当時の球団・年度・犠飛・出場試合数はNPB公式に準拠。100試合換算=犠飛÷出場試合×100(小数第1位まで)は記事独自の補助値。走者三塁の機会や犠飛の企図回数を補正しておらず、打者の技術そのものの指標ではない[1]。
関連記事チーム・試合1シーズンの最も高いチーム防御率投手陣が失点を重ね、1シーズンのチーム防御率が歴代最大(ワースト)となったのはどの球団か。投打の成績と当時のリーグ状況から振り返る。年間15犠飛はどれくらい珍しいのか
◇2025年の両リーグ最多と比べる
2025年のセ・リーグ最多犠飛はDeNAの蝦名達夫と山本祐大が並ぶ7、パ・リーグ最多は楽天の宗山塁で9だった。歴代1位の15との差はそれぞれ8と6。年間15犠飛は2025年のセ最多の約2.14倍、パ最多の約1.67倍となる。ただしシーズンや打順・得点機会の違いは補正していない[1][2][3]。
◇公式掲載13記録の平均
11犠飛以上の公式掲載13シーズンの犠飛数を単純平均すると約11.8。1位の15犠飛は、その上位記録だけの平均を約3.2上回る。この平均は「特に多く犠飛を記録したシーズンだけ」を集計したもので、NPB全打者の年間平均値ではない[1]。
試合数で割ると上位の顔ぶれが変わる
◇100試合換算では上位の差が縮まる
1970年の大杉は130試合15犠飛で100試合換算約11.5。1975年の佐々木恭介は117試合12犠飛で約10.3、1998年の清原和博は116試合11犠飛で約9.5、2018年の中田は140試合13犠飛で約9.3となる。実際の試合数を揃えると「絶対数では2位」の中田より、3位タイの佐々木が上に来る[1]。
ランキング本体の順位を入れ替えたものではない。出場試合数は犠飛の機会数と一致せず、打順・走者の出塁状況・途中出場等は調整していない。犠飛という結果の記録密度を見るための便宜的な計算である[1]。
歴代1位の大杉勝男と1970年の東映
◇15犠飛だけでなく、44本塁打・129打点
1970年の大杉は130試合556打席、492打数167安打で打率.339、44本塁打・129打点を記録。15犠飛に加え、パ・リーグの本塁打・打点の両部門トップだった。犠飛の多さを「単打中心」「長打が少ない打者」と結びつけることはできない[1][4][5]。
◇最多本塁打・最多打点でもチームは5位
1970年の東映フライヤーズは54勝70敗6分で6球団中5位だった。個人では大杉が44本塁打・129打点、張本勲が打率.383で首位打者に輝いている。強力な個人成績と犠飛の歴代記録が同じ年に生まれても、それだけでチーム順位が決まるわけではない[5]。
2位の中田翔は2018年に13犠飛
◇13犠飛・25本塁打・106打点
2018年の中田は140試合で13犠飛。ほかに25本塁打、106打点、打率.265を残した。犠飛の数だけを見ると大杉に2届かないが、同じ年のパ・リーグ2位は吉田正尚の8犠飛で、リーグ内では5の差をつけている[1][6][7]。
◇同じ2018年のリーグ内では5犠飛差
2018年のパ・リーグ犠飛は中田13、吉田正尚8、森友哉7の順だった。犠飛は出場機会や三塁走者がいる状況に依存するため、この「5犠飛差」は中田が置かれた状況も含む結果だが、同年の部門内でも突出していたことは確かである[7]。
11・12犠飛の打者は長距離砲だけではない
◇佐々木恭介とローズの打撃像
1975年の佐々木恭介は117試合で12犠飛。13本塁打・69打点・打率.305だった。1996年の横浜・ローズは126試合12犠飛で16本塁打・86打点・打率.304。二人とも犠飛が多い一方、本塁打数では1970年の大杉や1995年の江藤に及ばない。同じランキングにさまざまな打者タイプが混在している[1][8][9]。
◇江藤智は1995年に39本塁打・106打点
1995年の広島・江藤智は127試合12犠飛、39本塁打・106打点でセ・リーグの本塁打王と打点王を獲得した。犠飛と本塁打は別の打撃結果だが、打点に貢献する機会が多かった強打者のシーズンが歴代犠飛上位にも残っている[1][10][11]。
◇2013年の今江敏晃は10本塁打で11犠飛
2013年の今江は132試合で11犠飛、10本塁打、74打点、打率.325を記録。犠飛の数が本塁打数を上回るシーズンも歴代掲載記録の中にある。この例は「長距離砲だけの記録」という見方にはならないことを示している[1][12]。
二つの部門の数の関係を示す表で、犠飛数だけから得点圏に走者がいた回数や打点を挙げた打撃機会の割合を算出するものではない。打撃成績は各選手のNPB個人年度別成績、年度別成績による[4][6][8][9][10][12]。
2年連続で歴代上位に入った選手
◇中島裕之は2010・2011年に11犠飛
公式掲載13記録の中で、別の年度に2度登場するのは中島裕之だけ。2010年は130試合、2011年は144試合に出場し、両年とも11犠飛だった。2010年は同リーグ2位の金泰均9犠飛に2差、2011年は同2位タイの中田翔・山﨑武司8犠飛に3差。絶対数が同じでも、その年のリーグ内での差は変わる[1][13][15]。
◇直近の公式掲載記録は2018年
NPB公式の11犠飛以上13記録のうち、最も新しいのは2018年の中田翔。2019~2025年のシーズンはこの公式一覧に入っていない。ただし10犠飛以下の詳細な歴代分布はこのページには載っておらず、「犠飛の出る場面そのものが過去より減った」といった原因までは断定できない[1]。
犠飛と犠打は何が違うのか
◇犠飛は打数に含まれないが出塁率の分母に入る
NPB公式の計算方法によると、打率は安打数÷打数で、犠飛は犠打や四死球と同じく打数から除外される。一方、出塁率では犠飛が分母に含まれるため、犠飛によって打者が出塁しない場合、出塁率の数値は下がりうる[14]。
◇犠飛が成立するのは得点の場面
基本的には無死か一死で、飛球の処理に伴って三塁走者などが生還したとき、記録員が公認野球規則に基づき犠牲フライを記録する。例えば、二塁走者が三塁へ塁を進めただけの飛球では犠飛にならない[14][16]。
◇同じ「犠牲」でも通算とシーズンの顔ぶれが違う
シーズン犠飛1位は大杉の15だが、NPBの通算犠飛歴代1位は野村克也の113、2位は加藤英司105、3位は王貞治100。大杉の通算犠飛86は歴代9位で、単年最多と通算最多は一致しない。打撃機会を長く積み上げる通算記録と、特定の1年に集中するシーズン記録の違いを示している[1][17]。
◇犠飛と犠打は別の公式項目
前の記事で扱った犠打は主に送りバントで、シーズン記録の最多は2001年の宮本慎也67犠打。一方、今回の犠飛の最多は15で、両者の数字のスケールは大きく異なる。守備側がボールを処理する間に走者が進む点は共通しても、同じ定義の記録として合算すべきではない[1][14][18]。
このランキングで分かること
犠飛は「外野へフライを打つ力」だけを測る数字ではない。三塁に走者がいる得点機会、打球の結果、記録員の判断という条件が重なる。歴代1位の大杉や2位の中田は本塁打・打点も多いが、佐々木・ローズ・今江のように別のタイプの打者も上位に入る。通算では野村が首位となり、中島のように連続した年度で上位記録を残した選手もいる。犠飛数、試合数、打点、時代を併せて読むことで、そのシーズンの特徴が見えてくる。
集計条件と注意
対象はNPB一軍公式戦の「犠飛【シーズン記録】」で、公式一覧の2025年度シーズン終了現在に従う。NPB歴代ページは11犠飛以上の13シーズンを掲載しており、10犠飛以下を含む本当の「20位までの全記録」を確定した表ではない。今回の13件に未確認の7件を補わず、見出しのTOP20は記事シリーズの呼称として扱う。100試合換算と13記録平均、同年2位との差は記事独自計算。確認日:2026年10月9日[1]。