概要
NPB一軍公式戦の「無四球試合【シーズン記録】」。NPB公式「2025年度シーズン終了現在」の8無四球試合以上、22記録すべてを対象とする。17位に8試合が6記録並ぶため、TOP20相当は22シーズン。数字・名称はNPB公式の当時表記に準拠し、2026年の記録は集計に含めない。
無四球試合は、四球を与えずに完投した試合。2025年の両リーグ最多は各3試合だった。失点しても成立するため、完投・完封勝・勝敗と分けて比較する。年代による投手起用の違いにも留意する[1][2][3]。
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四球を与えずに投げ切った試合を、1シーズンで最も多く記録した投手は誰か。完投・完封・勝敗と比べると意外な違いが見える。
NPB一軍公式戦の「無四球試合【シーズン記録】」。NPB公式「2025年度シーズン終了現在」の8無四球試合以上、22記録すべてを対象とする。17位に8試合が6記録並ぶため、TOP20相当は22シーズン。数字・名称はNPB公式の当時表記に準拠し、2026年の記録は集計に含めない。
無四球試合は、四球を与えずに完投した試合。2025年の両リーグ最多は各3試合だった。失点しても成立するため、完投・完封勝・勝敗と分けて比較する。年代による投手起用の違いにも留意する[1][2][3]。
NPB公式では、1948年の野口二郎が13無四球試合で歴代1位。1979年の高橋直樹が11試合で2位、3位は10試合の7記録となる。17位に8試合が6記録並ぶため、TOP20相当の22シーズンをすべて載せる。1950年代に限らず、1980年代にも複数の上位記録が生まれている[1]。
| 順位 | 投手 | 球団 | 年度 | 無四球 | 登板 | 無四球/登板 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 野口二郎 | 阪急 | 1948 | 13 | 41 | 31.7% |
| 2 | 高橋直樹 | 日本ハム | 1979 | 11 | 37 | 29.7% |
| 3 | 小山正明 | 阪神 | 1958 | 10 | 53 | 18.9% |
| 3 | 土橋正幸 | 東映 | 1959 | 10 | 63 | 15.9% |
| 3 | 土橋正幸 | 東映 | 1961 | 10 | 63 | 15.9% |
| 3 | 小山正明 | 阪神 | 1962 | 10 | 47 | 21.3% |
| 3 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 1967 | 10 | 44 | 22.7% |
| 3 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 1978 | 10 | 37 | 27.0% |
| 3 | 江川卓 | 巨人 | 1982 | 10 | 31 | 32.3% |
| 10 | 野口二郎 | 阪急 | 1947 | 9 | 56 | 16.1% |
| 10 | 白木義一郎 | 東急 | 1949 | 9 | 35 | 25.7% |
| 10 | 白木義一郎 | 東急 | 1950 | 9 | 37 | 24.3% |
| 10 | 別所毅彦 | 巨人 | 1956 | 9 | 54 | 16.7% |
| 10 | 杉浦忠 | 南海 | 1959 | 9 | 69 | 13.0% |
| 10 | 村山実 | 阪神 | 1966 | 9 | 38 | 23.7% |
| 10 | 北別府学 | 広島 | 1988 | 9 | 27 | 33.3% |
| 17 | 白木義一郎 | 東急 | 1947 | 8 | 59 | 13.6% |
| 17 | 服部受弘 | 中日 | 1949 | 8 | 44 | 18.2% |
| 17 | 藤本英雄 | 巨人 | 1950 | 8 | 49 | 16.3% |
| 17 | 杉浦忠 | 南海 | 1960 | 8 | 57 | 14.0% |
| 17 | 権藤博 | 中日 | 1961 | 8 | 69 | 11.6% |
| 17 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 1977 | 8 | 39 | 20.5% |
注:順位・無四球試合数・登板数はNPB公式。右端は無四球試合÷全登板数×100の独自計算であり、救援登板も含むため「先発登板に占める割合」ではない。17位タイ6記録は省略していない[1]。
関連記事選手・キャリア無冠のシーズンMVP ⑦2025年はセ・リーグが広島の床田寛樹、パ・リーグが西武の今井達也で各3無四球試合。歴代最多13試合との差は10試合、約4.3倍である。2025年の完投最多はセ・リーグ床田6回、パ・リーグ伊藤大海6回。完投機会そのものが少ない現在と、1人で多くの試合を投げ切った時代では、単純な個人能力比較はできない[1][2][3][13][14]。
| 対象 | 無四球試合 | 完投 | 登板 | 比較ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 野口二郎 1948 | 13 | 24 | 41 | 歴代1位 |
| 高橋直樹 1979 | 11 | 21 | 37 | 歴代2位 |
| 床田寛樹 2025 | 3 | 6 | — | セ・リーグ最多 |
| 今井達也 2025 | 3 | 5 | — | パ・リーグ最多 |
注:完投・登板はNPB個人年度別成績および公式リーダーズによる。「—」は登板数を省いた表示であり、登板がなかった意味ではない。投手起用の違いを考慮し、単純な能力差の根拠にはしない[2][3][4][5][13][14]。
野口二郎は1948年、阪急で41登板・24完投・13無四球試合、14勝16敗、297投球回を記録した。同年の完封勝はわずか3で、防御率は2.94。つまり13無四球試合のうち、少なくとも10試合は完封勝ではない。無四球の多さと失点の少なさ、勝敗は別々に見る必要がある[4]。
前年1947年には56登板・33完投・9無四球試合、翌1949年には30登板・6完投・1無四球試合。1948年の13試合は通算の中でも突出しており、24完投の約54.2%が無四球試合に該当する。計算は13÷24で、無四球試合が完投記録の一種であることに着目した参考値だ[4]。
野口は1942年の19完封勝でも歴代1位タイに名を残すが、これは1948年の最多無四球試合とは別の年度。野球殿堂博物館は野口を延長28回を完投した鉄腕投手として紹介している。二つの最多記録が同一年度ではない点が興味深い[15][1]。
日本ハムの高橋直樹は1979年、37登板・21完投・11無四球試合・20勝11敗、254回2/3を投げ、年間与四球は23。無四球試合は完投の約52.4%だった一方で、完封勝は2にとどまった。完封しなくても打者への四球を与えず投げ切るケースが多かったことが分かる[5][17]。
同年のパ・リーグ投手成績では、高橋は防御率2.75で規定投球回到達者の3位、20勝は最多勝の山田久志21勝に次ぐ数字だった。年間23与四球という制球の安定と、11度の無四球完投は関連するものの、年間与四球だけで各試合の無四球数が決まるわけではない[5][17]。
| 投手・年度 | 完投 | 無四球 | 完封勝 | 無四球/完投 |
|---|---|---|---|---|
| 野口二郎 1948 | 24 | 13 | 3 | 54.2% |
| 高橋直樹 1979 | 21 | 11 | 2 | 52.4% |
| 江川卓 1982 | 24 | 10 | 6 | 41.7% |
| 北別府学 1988 | 13 | 9 | 1 | 69.2% |
| 土橋正幸 1959 | 21 | 10 | 1 | 47.6% |
| 土橋正幸 1961 | 25 | 10 | 9 | 40.0% |
注:個人年度別成績にある完投・無四球・完封勝を比較した。割合は無四球試合数÷完投数×100、小数第1位。異なる試合群なので「無四球かつ完封勝」の重複回数はこの表からは確定しない[4][5][6][7][8]。
巨人の江川卓は1982年に31登板、24完投、10無四球試合、6完封勝、19勝12敗。無四球試合は完投の約41.7%にあたり、同年の年間与四球は24、263回1/3を投げて196奪三振だった。1981年は3無四球試合だったため、翌年には一挙に増えたことになる[6]。
広島の北別府学は1988年、27登板・13完投・9無四球試合、1完封勝、11勝12敗で209回2/3を投げた。無四球試合÷完投は約69.2%となり、歴代1位の野口の54.2%を上回る。ただしこれは表に選んだ投手の比較であり、NPB全投手の歴代最高割合を意味しない。野球殿堂博物館も北別府の制球力を高く評価している[7][16]。
東映の土橋正幸は1959年と1961年、ともに10無四球試合。1959年は21完投・1完封勝・27勝、1961年は25完投・9完封勝・30勝だった。同じ「無四球10」でも、完封勝には1対9の大きな差がある。1959年は339投球回で43与四球、1961年は393投球回で45与四球だった[8]。
小山正明は阪神で1958年と1962年に各10無四球試合。1958年は24完投・4完封勝、1962年は26完投・13完封勝だった。1962年は27勝・防御率1.66と好成績だったが、無四球試合の「10」という数字そのものは1958年と同じである[9]。
鈴木啓示も近鉄で1967年と1978年に各10無四球試合。1967年は44登板・19完投・4完封勝、1978年は37登板・30完投・8完封勝だった。1977年の8無四球試合も17位タイに入り、三つのシーズンを歴代上位に残している[1][10]。
白木義一郎は1947年8、1949年9、1950年9無四球試合で3シーズンがランクイン。1949年は24完投、1950年は23完投で、いずれも9無四球試合を記録した[1][11]。
南海の杉浦忠は1959年に9無四球試合、1960年に8無四球試合。1959年には38勝4敗・19完投・9完封勝・防御率1.40という投手三冠につながる好成績を残しているが、「9無四球」と「9完封」が同じ試合であったとまではこの集計表から判断できない[1][12]。
NPB公式の通算無四球試合は鈴木啓示が78で最多、小山正明が73で2位、野口二郎が57で3位。単年最高は野口の13だが、通算の頂点は鈴木となり、シーズンの突出度と長い現役生活の蓄積は評価軸が異なる。なお通算ページには2026年終了現在の更新表示があるため、通算値と本記事の2025年度終了時点のシーズン一覧を混在させないよう注記する[18]。
無四球試合で問うのは四球を与えずに投げ切ったかどうかで、安打や得点を許したかどうかとは別。完封勝は相手を無得点に抑えたうえで勝利した記録で、完全試合は走者を一人も出さない試合を指す。したがって1948年の野口や1979年の高橋のように、無四球試合が多くても完封勝が少ない年度があり得る。死球・被安打・失点も投球成績ではそれぞれ別項目として集計される[4][5]。
公式歴代一覧の22記録で最も新しい年度は1988年の北別府学。8無四球試合以上のシーズン記録としては1989年以降が載っていない。ただし、この一覧だけでその原因を特定することはできない。少なくとも2025年は両リーグの最多が各3で、最多完投数も6という事実から、完投機会の減少が背景の一つと考えられる。投手の制球力自体が昔より低下したと断言する根拠にはならない[1][2][3][13][14]。
単年最多の野口二郎は13無四球試合でも14勝16敗、完封勝は3。2位の高橋直樹も11無四球試合に対し完封勝は2だった。一方、同じ無四球10でも土橋正幸の完封勝は年度によって1と9に分かれた。無四球試合は「勝利の多さ」「無失点の多さ」とは独立した、試合を最後まで投げながら四球を出さなかったという特殊な記録である。
対象はNPB公式「無四球試合【シーズン記録】」2025年度終了現在の8無四球試合以上、全22シーズン。17位に6記録並ぶため20件で切らない。ランキング表の「無四球/登板」は全登板(救援含む)を分母にした独自計算。比較表の「無四球/完投」も記事の独自計算であり、制球力の歴代統計順位を示すものではない。年度・チーム・名前はNPB公式表記。2026年度は集計対象外。資料確認日:2026年10月9日[1]。
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