NPBシーズン被本塁打ランキングTOP20

1シーズンで最も多く本塁打を浴びた投手は誰なのか。歴代記録を投球回や現代の水準と比較すると、同じ被本塁打でも違う姿が見えてくる。

概要

NPB一軍公式戦「被本塁打【シーズン記録】」を2025年度シーズン終了時点で集計。18位に37本の記録が6つ並ぶため、20位以内に相当する全23シーズンを掲載する。順位・選手名・球団・年度・投球回はNPB公式に従い、HR/9は記事内で計算する。二軍・MLB・ポストシーズンは対象外。

被本塁打は、投手が相手打者に本塁打を許した数。長い投球回を投げれば被本塁打の機会も増えるが、投球回が同じでも許す本数は異なる。この記事では、歴代上位の単純な本数に加え、9イニングあたりの被本塁打数(HR/9)、2025年の最多被本塁打、同じ球団の同年記録や勝利数を比べる。被本塁打だけで失点数や投手の能力を決めつけない[1][2][3]。

詳細

NPBシーズン被本塁打ランキングTOP20

NPB公式のシーズン被本塁打記録(2025年度シーズン終了現在)では、1977年の池谷公二郎が48本で1位。2位タイは42本の4記録で、その差は6本。18位タイの37本は6記録あるため、TOP20相当の全23シーズンを掲載する。歴代記録は同じ投手でも年度ごとに別の1件として数える[1]。

順位選手名球団年度被本塁打投球回HR/9
1池谷公二郎広島1977482261.91
2金田留広東映1971422681.41
2高橋里志広島197742284.21.33
2井本隆近鉄198042205.21.84
2山田久志阪急198542222.11.70
6鈴木啓示近鉄1968413591.03
6柳田豊近鉄198041211.11.75
6小野和義近鉄198641195.11.89
9平松政次大洋197640260.11.38
10真田重男松竹195039395.20.89
10鈴木啓示近鉄197139291.11.20
10遠藤一彦大洋198439276.21.27
10山内孝徳南海198639211.11.66
14安田猛ヤクルト197638229.11.49
14池谷公二郎広島1979381682.04
14村田辰美近鉄1980381362.51
14郭源治中日198538230.11.48
18金田留広東映197037316.11.05
18山田久志阪急1971372701.23
18成田文男ロッテ197237233.21.43
18東尾修西鉄197237309.21.08
18平松政次大洋197437243.21.37
18橘健治近鉄198037146.12.28

HR/9は被本塁打÷投球回×9(小数第2位表示)。投球回の「.1」は1/3回、「.2」は2/3回であり、通常の小数として計算していない。順位は被本塁打の合計数を基準にしたNPB公式のもので、HR/9は比較用の独自計算値。選手名・球団名は当時の公式略称に合わせた[1]。

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歴代最多は現代のシーズンとどれくらい違うか

◇2025年の両リーグ最多記録との比較

2025年のセ・リーグでは東克樹、井上温大、バウアーが15被本塁打で最多。パ・リーグでは小島和哉の20被本塁打が最多だった。歴代最高の48本は2025年セ最多の3.2倍、パ最多の2.4倍。ただし、これは異なる年度の最多記録を並べただけで、当時と現代の投手の能力差を表すものではない[1][2][3]。

比較対象年度被本塁打投球回HR/9
歴代シーズン1位1977482261.91
2025年パ最多2025201451.24

2025年パ最多はロッテの小島和哉。2025年セ最多は3投手同数であり、表では投球回とHR/9を個別に比較しない。上表の投球回と被本塁打からHR/9を算出した。2025年はあくまで参考値で、NPB公式の歴代TOP20には含めない[1][2][3][4]。

◇9イニングあたりでも比較する

池谷の1977年は226投球回で48被本塁打、HR/9は約1.91。一方、小島の2025年は145回で20被本塁打、HR/9は約1.24。年間本数の比率は2.4倍だが、投球回で換算した比率は約1.54倍まで縮まる。もっとも、両者が対戦した打者、球場、使用球などを補正した比較ではない[1][4]。

投球回で割ると、ランキングの顔ぶれが変わる

◇合計最多より高頻度で打たれたシーズン

被本塁打数だけで上位を並べた場合、投球回が大きく異なる記録が同じ表に入る。そこで、歴代20位タイまでの23記録だけを対象に、HR/9の高い順に並べ直した。これは被本塁打を投球量で補正した比較であり、NPB全投手の歴代被本塁打率ランキングではない[1]。

HR/9順選手名・年度被本塁打投球回HR/9
1村田辰美(1980)381362.51
2橘健治(1980)37146.12.28
3池谷公二郎(1979)381682.04
4池谷公二郎(1977)482261.91
5小野和義(1986)41195.11.89
6井本隆(1980)42205.21.84
7柳田豊(1980)41211.11.75
8山田久志(1985)42222.11.70

この表は被本塁打のシーズン歴代TOP20相当(23記録)に限ったHR/9上位8記録。打席数や対戦打者の本塁打率、先発・救援の役割などは補正していない[1]。

◇最多は48本だが、HR/9の首位は別の投手

1980年の村田辰美は136投球回で38被本塁打、HR/9が約2.51。被本塁打数では14位タイだが、この23記録の中では最も高い。逆に1950年の真田重男は395回2/3で39本、HR/9は約0.89と小さい。被本塁打の「多さ」と「頻度」は別々に考える必要がある[1][10][11]。

◇同じ42被本塁打でも投球回は幅広い

2位タイの4記録に限っても、投球回は205回2/3から284回2/3まで差がある。井本隆の1980年は42被本塁打・205回2/3でHR/9約1.84。一方、高橋里志の1977年は284回2/3で同じ42本、HR/9は約1.33。年間合計が同じでも、投球量を考慮した見え方は異なる[1]。

投手・年度被本塁打投球回HR/9球団
金田留広(1971)422681.41東映
高橋里志(1977)42284.21.33広島
井本隆(1980)42205.21.84近鉄
山田久志(1985)42222.11.70阪急

1977年の広島で起きていたこと

◇最多被本塁打投手はその年の奪三振王

1977年の池谷公二郎は44登板・226投球回で48被本塁打という歴代最多記録を残した。同時に176奪三振でセ・リーグの最多奪三振を記録しており、11勝16敗、防御率5.22、自責点131だった。前年には20勝・207奪三振で最多勝と最多奪三振に輝いていたが、翌年は被本塁打と防御率が大きく変化した[1][5][7][14][15]。

◇同じ広島の高橋里志は42被本塁打で20勝

1977年に42本の本塁打を許した高橋里志も、同じ広島東洋カープの投手だった。高橋は44登板・284回2/3を投げて20勝14敗、防御率3.73。同年のセ・リーグ最多勝を獲得している。つまり同じ球団から、被本塁打歴代1位と2位タイの記録が同年に生まれ、そのうち一人は最多奪三振、一人は最多勝だった[1][6][7]。

◇同じ年に被本塁打を90本記録した2人

池谷の48本と高橋の42本を合わせると90本。これは1977年の広島投手陣全体の被本塁打数ではなく、この2投手だけの合計である。チームは130試合で51勝67敗12分の5位だった。2人がリーグのタイトルを獲得した事実と、チーム全体の成績を分けて理解する必要がある[5][6][7]。

1980年の近鉄は4人が歴代上位に入った

◇4人だけで計158被本塁打

1980年の近鉄バファローズからは、井本隆42、柳田豊41、村田辰美38、橘健治37の4シーズンが同じランキングに入っている。4人の被本塁打を合計すると158本。23記録中4件を同じ年・同じチームが占めた。なお、158本は4人の合計であり、チーム全体の被本塁打数を示すものではない[1]。

投手名被本塁打投球回HR/9歴代順位
井本隆42205.21.842位タイ
柳田豊41211.11.756位タイ
村田辰美381362.5114位タイ
橘健治37146.12.2818位タイ

◇本塁打の多いチームはリーグ優勝も果たした

同年の近鉄はチーム打撃成績で239本塁打、791得点を記録し、パ・リーグ優勝を果たした。チーム防御率は4.96で、130試合の勝敗は68勝54敗8分。4人の投手が被本塁打の歴代上位に入りながら、チームとしては強力な攻撃力で多くの得点を挙げたシーズンだった。ただし、個別の被本塁打がチームの勝敗にどう作用したかまではこの数字から断定できない[8][16]。

◇村田辰美と井本隆でも成績は異なる

1980年の井本隆は42被本塁打でも15勝8敗、防御率4.37。村田辰美は38被本塁打で7勝7敗、防御率6.22だった。同じチームの被本塁打上位投手でも、投球回、勝利数、防御率の組み合わせは大きく違う。特に村田のHR/9約2.51は、本数だけの順位では見えにくい突出した頻度である[9][10]。

何度も歴代上位に現れる投手

◇同じ選手が複数シーズンランクインする

池谷公二郎、金田留広、山田久志、鈴木啓示、平松政次はそれぞれ2シーズンがTOP20相当に入っている。同じ投手が記録を積み重ねても、通算被本塁打ランキングとは異なり、シーズン記録の順位では年度ごとに1件として数える。23記録に登場する投手は18人である。なお、池谷が38本を記録して再びランクインした1979年には、広島がリーグ優勝を果たしている[1][13]。

◇山田久志は284勝の大投手でも42被本塁打

1985年の山田久志は42被本塁打でシーズン歴代2位タイ、1971年にも37被本塁打で18位タイに入った。しかし、山田は阪急で通算284勝を挙げ、3年連続MVP、最多勝3回などの実績も残した。被本塁打が多いシーズンがあることと、キャリア全体で優れた投手だったことは矛盾しない[1][12]。

◇真田重男は39被本塁打で39勝

1950年の真田重男は395回2/3を投げて39本塁打を許したが、同年の最多勝投手でもあり39勝12敗だった。被本塁打と勝利数がたまたま同じ「39」という珍しい重なりもある。同年には小鶴誠が51本塁打・161打点で主要タイトルを獲得しており、強打者が活躍したシーズンでもあった[1][11]。

1970年代から1980年代に記録が集中した

◇23記録のうち21件が1970~1986年

公式ランキングの年度を数えると、23記録のうち21件は1970~1986年に集中している。この期間以外では1950年の真田重男、1968年の鈴木啓示だけで、1987年以降に歴代20位タイへ入った記録はない。チームの打撃力、球場、ボール、投手起用、時代の本塁打環境などの差が考えられるが、原因の寄与割合を公式ランキングだけから示すことはできない[1]。

◇被本塁打と失点・自責点は同じではない

被本塁打は打者に本塁打を打たれた回数であり、1本が必ず1失点になるわけではない。塁上に走者がいる場合は複数得点となる一方、被本塁打以外の長打、四球、失策によっても失点は生まれる。被本塁打の多さをそのまま自責点や防御率に換算することはできない。数字を評価する場合は、投球回や与四球、失点・自責点も別に確認する必要がある[5][9][10]。

このランキングで分かること

年間被本塁打の歴代記録は、投球回による積み上げと本塁打を許す頻度が重なってできたもの。同じ42被本塁打でも、投球回の差でHR/9は大きく変わる。最多の池谷は奪三振王、2位タイの高橋は最多勝、1980年の近鉄は複数の投手が上位に入りながらリーグ優勝した。投手を「打たれた本数だけ」で判断するのではなく、投球量・同年の活躍・チーム状況を合わせると、記録の見え方が大きく変わる。

◇集計条件と注意点

対象はNPB公式「被本塁打【シーズン記録】」の2025年度シーズン終了時点の上位20位タイ全23シーズン。同一投手の別年度は別件として計算する。投球回の小数表記は1/3回単位で計算し、HR/9=被本塁打÷投球回×9として小数第2位に丸める。2025年の被本塁打最多は別年度の参考値であり歴代の順位には加えない。球場・時代・守備・打者構成などは補正していない。確認日:2026年10月10日[1][2][3]。

何がすごいのか

  • 最多被本塁打は48本。2025年パ・リーグ最多の20本の2.4倍だが、投球回あたりでは約1.54倍になる。
  • 18位タイの37本に6記録が並ぶため、TOP20は23シーズン。1977年の広島から1位と2位タイが同時に生まれた。
  • 1980年近鉄は4投手がTOP20相当の記録を残し、4人で158被本塁打ながらチームはリーグ優勝した。

出典