記録の歴史
NPBシーズン与死球ランキングTOP20
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投手が打者にボールを当てる「与死球」。歴代最多はどれほど多いのか。投球回で割った頻度や、勝敗・奪三振との関係も比べる。
概要
NPB一軍公式戦の与死球【シーズン記録】。2026年度シーズン終了現在のNPB公式一覧に掲載された「17与死球以上」の22記録を対象とし、16位タイの7記録をすべて含める。投球回は公式記録、9投球回あたりの与死球(HBP/9)は本記事で計算。二軍・MLB・ポストシーズンは除外。
与死球は投手が打者に死球を与えた回数であり、打者側の「死球」と対応する記録。ただし、与四球や暴投とは別の項目で、当てた理由や故意・偶然の内訳を表すものではない。投球回が長いほど打者と対戦する機会も多くなり得るため、ここでは通算ではなく1シーズンの順位を示したうえで、HBP/9や同年の投手成績を比べる[1]。
詳細
NPBシーズン与死球ランキングTOP20
NPB公式では1968年の東映・森安敏明による22与死球が歴代最多。2位は2002年の近鉄・パウエルによる21与死球で、3位には20与死球の3記録が並ぶ。16位の17与死球に7記録が並んでいるため、20位相当までの掲載件数は22になる[1]。
順位・与死球・投球回・年度・所属はNPB公式「与死球【シーズン記録】」による。HBP/9=与死球÷投球回×9(小数第2位)。「341.2」の「.2」は3分の2回、「.1」は3分の1回で、通常の十進小数ではない。ランキングは2026年度シーズン終了時点[1]。
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◇2026年の両リーグ最多は10~11与死球
2026年はセ・リーグでヤクルトの山野太一が10与死球、パ・リーグではソフトバンクの松本晴、オリックスの九里亜蓮、ロッテのジャクソンが各11与死球で最多だった。歴代最多の22与死球はパ・リーグ最多の2倍、セ・リーグ最多の2.2倍となる。ただし、試合数や投球回、相手打者の数が違うため、投手の能力差を直接示す倍率ではない[1][2][3]。
2026年の最多与死球は各リーグのリーダーズで確認。比較表の「—」は複数投手のうち代表を示す行や、個人年度別の投球回を本表に採用していない欄で、投球回がゼロという意味ではない。HBP/9の計算は森安の行だけに適用[1][2][3]。
◇2位との差は1与死球だけ
通算記録と違い、シーズン与死球数の歴代1位22と2位21の差はわずか1つ。3位20与死球までの5シーズンが2与死球差の中に集中する。件数だけを見ると大接戦だが、投球回で割ると大きな違いが現れる[1]。
同じ与死球数でも投球回によって意味が変わる
◇歴代1位と投球回100回の記録を比較
森安敏明は1968年に341回2/3を投げて22与死球。HBP/9は約0.58だった。一方、1975年の渡辺秀武は100投球回で17与死球、HBP/9は1.53。通算の件数で森安の方が多いが、投球回あたりでは渡辺の方が約2.64倍高い。投球の荒さや意図まで単独で確定できる指標ではない[1][8]。
◇与死球数TOP22内でのHBP/9上位
HBP/9の順位は本記事で掲載した22シーズンだけを並べ直したものであり、NPB全投手・全年度の与死球率ランキングではない。球数、対戦打者数、球種、起用法、時代差は補正しない[1]。
◇投球回の長さと与死球数は必ずしも比例しない
1956年の秋山登は379回2/3で19与死球、1963年の稲川誠は338回1/3で17与死球だった。一方、1972年の河原明は140回で19与死球、渡辺秀武は100回で17与死球。多く投げた結果として数が増える場合と、短い投球回でも与死球が集中する場合が混在する[1]。
年ごとの投手成績から見る歴代上位
◇森安敏明は22与死球の年に250奪三振
1968年の森安敏明は67登板、341回2/3で22与死球を記録。同時に16勝23敗、250奪三振、防御率3.37だった。最多与死球の数字だけでは投球回や三振を奪った量は見えない。翌1969年も17与死球で16位タイに入り、2年続けて歴代一覧に登場した[1][4]。
◇2002年パウエルは最多勝・最多奪三振
2002年の近鉄・パウエルは216回2/3で21与死球と歴代2位。同年17勝でパ・リーグ最多勝、182奪三振でもリーグ最多だった。死球を多く与えたシーズンとリーグタイトルを獲得したシーズンが一致している例であり、与死球数だけから投手全体の成績を評価できない[1][5][6]。
◇1980年の仁科時成は17勝と18与死球
1979年の仁科時成は19与死球、1980年は18与死球、1981年も18与死球で、3年連続して歴代TOP20相当に入っている。1980年には208回2/3で17勝8敗・防御率3.19、17完投を記録した。1シーズンだけの偶然ではなく、数年間にわたり与死球の大きい数値が続いた事例といえる[1][7]。
◇1970~1972年の河原明も3年連続
西鉄の河原明は1970年20与死球、1971年18与死球、1972年19与死球で3年連続ランクイン。3年間の合計は57与死球で、同期間の投球回は547回2/3。これは本記事による集計値であり、公式の単年ランキング順位とは別である。1970年は13勝19敗、1971年は4勝16敗、1972年は5勝12敗だった[1][9]。
◇バリントンは2011年に13勝・防御率2.42
2011年広島のバリントンは204回1/3を投げて18与死球で歴代10位タイ。13勝11敗、防御率2.42を残し、同年セ・リーグ2位の与死球11を7つ上回った。被安打もリーグ最多の183だったが、それでも多くの先発機会を任された一年だった[10][11]。
◇2021年の石川柊太は17与死球
2021年のソフトバンク・石川柊太は156回1/3で17与死球。パ・リーグでは同年2位の今井達也が11与死球だったため、6つの差があった。石川は6勝9敗、防御率3.40、134奪三振。2026年現在の現役選手一覧にも名前があり、2021年の記録は近年の単年事例となる[12][13]。
与死球と四球・暴投は異なる記録
◇死球を受けた打者と与えた投手
打者が受けた死球は打者側の記録になり、投手の「与死球」は相手打者に死球を与えた数。ボールが打者に当たった場面でも、ルール上の判定条件があるため、すべての接触が自動的に死球の記録となるわけではない。投手が故意に当てたかどうかは集計値だけでは判断できない[14]。
◇与四球はストライクゾーン外の球による出塁
与四球は四球で打者を一塁に進めた記録で、与死球とは別項目。四球目の投球が打者に当たって死球と判定されれば、四球ではなく死球として記録する。暴投やボークも別の公式記録である。したがって与死球数を与四球に合算したり、失点と同一視したりはしない[14]。
◇打者が出塁しても必ず失点するわけではない
死球は走者を増やし得るものの、与死球1つが即1失点や1自責点になるわけではない。残った走者がその後に生還するかなど、試合の展開によって結果は異なる。与死球の累計は相手に走者を与えた場面の数であり、投手の総合力を直接測る成績ではない。
ランキングの年代と繰り返し登場する選手
◇1950年代から2020年代までの記録が並ぶ
22記録の年度は1956年から2021年までに広がる。1960年代・1970年代の記録が多数を占めるものの、2002年のパウエルとホッジス、2011年のバリントン、2021年の石川柊太も入っている。戦前の極端な投球回に記録が集中する与四球ランキングとは分布が異なる[1]。
◇同じ投手が何度も登場
河原明と仁科時成がそれぞれ3シーズン、森安敏明と深沢恵雄が各2シーズン入っている。22記録に登場する異なる投手は16人。同じ「TOP20」でも、20人の名前を並べた表ではなく「同じ投手の別年度を含む22のシーズン記録」である[1]。
このランキングで分かること
シーズン与死球の数だけで投手の実力や「危険さ」を順位づけることはできない。森安敏明の長い投球回の中での22与死球、渡辺秀武の100回で17与死球、最多勝・最多奪三振と両立したパウエル、3年連続して上位に入った河原明や仁科時成など、記録の背景はさまざま。投球回あたりの頻度と当時の成績を並べて初めて、一つの数字の見え方が変わる。
◇集計条件と注意点
NPB公式「与死球【シーズン記録】」の2026年度シーズン終了現在、17与死球以上の全22シーズン。16位タイの7件を省略しない。与死球/9回(HBP/9)は実際の投球回を分母とする本記事の独自計算で、登板数・対戦打者・球数・捕手・年代などは補正しない。与死球数は意図、危険性、失点、自責点を示す数字ではない。資料確認日:2026年10月10日[1]。