通算で最も多くの借金を残した投手は?

通算の勝ち星だけでなく、勝利と敗北の差から投手の歩みを読む。長い現役生活を終えて、敗北が勝利を最も大きく上回ったのは誰だろうか。

一般的には?

投手の貯金は「勝利数−敗北数」。敗北が勝利を上回ればマイナスとなり、その差を借金と呼ぶ。NPBで通算100勝以上の145人は、一人平均で約+28.99の貯金を残している。平均には負け越した投手も含む。では、勝利数を限定せず全投手を見ると、最も大きな借金はいくつになるのだろうか[A21][A22]。

答え

投手の最多通算借金64敗分

答えは借金64。小林経旺は1948年から1958年のNPB一軍公式戦で46勝110敗を記録した。110−46=64で、敗北が勝利を64上回る。勝利−敗北では−64となり、確認した通算成績では歴代最小の勝敗差、すなわち最多の通算借金である[A1]。

年
1958年
選手
小林経旺
チーム
近鉄パールス(最終所属)
カテゴリ
投手

詳細

46勝110敗の差

小林の通算成績は284登板、46勝110敗、1444回2/3、549奪三振、防御率4.24、勝率.295。65完投、11完封勝も記録した。勝敗が付いたのは156登板分で、残る128登板には勝利・敗北のどちらも付いていない[A1]。

答えの年欄は最後の公式戦出場シーズンである1958、チーム欄は最終所属の近鉄パールスとした。借金64は一つの球団や一年だけの成績ではなく、NPBでの全所属期間を合計した通算記録である[A1][A23]。

通算借金の歴代TOP20

借金=敗北−勝利の大きい順に並べた。同数は同順位とし、同順位内は勝利数の多い順。20人全員が引退選手で、各数値はNPBの個人年度別成績から採用した。100勝に届かない投手もランキングに含めている[A1]。

順位選手名・実働期間借金・勝敗防御率・勝率登板・投球回・奪三振
1小林経旺 1948〜1958借金64 46勝110敗防御率4.24 勝率.295284登板 1444回2/3 549奪三振[A1]
2黒田勉 1956〜1965借金55 38勝93敗防御率3.70 勝率.290350登板 1156回2/3 730奪三振[A2]
3江田孝 1941〜1957借金50 97勝147敗防御率3.61 勝率.398370登板 2165回 447奪三振[A3]
4内藤幸三 1936〜1951借金49 92勝141敗防御率3.27 勝率.395368登板 2220回2/3 1031奪三振[A4]
5渋谷誠司 1962〜1969借金45 40勝85敗防御率3.71 勝率.320291登板 1049回 634奪三振[A5]
6大石正彦 1954〜1962借金44 62勝106敗防御率3.06 勝率.369326登板 1525回 743奪三振[A6]
7仲田幸司 1985〜1997借金42 57勝99敗防御率4.06 勝率.365335登板 1335回 1158奪三振[A7]
8近藤久 1936〜1940借金41 33勝74敗防御率3.25 勝率.308185登板 1021回2/3 500奪三振[A8]
9森井茂 1936〜1950借金40 53勝93敗防御率3.11 勝率.363233登板 1350回1/3 368奪三振[A9]
10園川一美 1986〜1999借金39 76勝115敗防御率4.32 勝率.398376登板 1543回1/3 1169奪三振[A10]
11権藤正利 1953〜1973借金37 117勝154敗防御率2.78 勝率.432719登板 2513回 1943奪三振[A11]
11武智文雄 1950〜1962借金37 100勝137敗防御率2.97 勝率.422401登板 2015回 773奪三振[A12]
11古谷倉之助 1936〜1942借金37 56勝93敗防御率2.48 勝率.376247登板 1445回2/3 558奪三振[A13]
14大脇照夫 1952〜1958借金36 35勝71敗防御率3.30 勝率.330223登板 951回1/3 407奪三振[A14]
15河原明 1968〜1975借金35 41勝76敗防御率4.25 勝率.350280登板 974回1/3 597奪三振[A15]
15畑福俊英 1936〜1943借金35 41勝76敗防御率2.78 勝率.350167登板 1107回2/3 373奪三振[A16]
15飯尾為男 1951〜1963借金35 35勝70敗防御率3.10 勝率.333319登板 1122回 545奪三振[A17]
18備前喜夫 1952〜1962借金34 115勝149敗防御率2.96 勝率.436446登板 2119回1/3 835奪三振[A18]
19前田幸長 1989〜2007借金32 78勝110敗防御率4.17 勝率.415595登板 1577回 1241奪三振[A19]
19福士勇 1939〜1942借金32 45勝77敗防御率2.33 勝率.369183登板 1100回2/3 334奪三振[A20]

借金が同数なら順位も同じ。19位は前田幸長と福士勇の2人で、次は21位となる。防御率・勝率は個人ページの表示値。投球回の1/3と2/3はアウト数による端数で、小数ではない。実働期間は最初と最後のNPB公式戦出場年。各行の出典は、その選手の個人年度別成績である。

敗戦数の最多とは違う

NPBの通算敗戦数最多は金田正一の298敗。しかし400勝しているため、勝敗差は+102で貯金となる。小林の110敗はそれより188少ないが、46勝との差が−64となり、借金の多さでは上回る。敗戦数だけを並べるランキングとは、見るものが異なる[A1][A26]。

2位の黒田勉は38勝93敗で借金55。小林との差は9である。一方、100勝以上の投手に限ると、最多借金は117勝154敗の権藤正利と100勝137敗の武智文雄で、ともに37となる。今回の答えを出す対象は全投手なので、小林を100勝未満という理由で除外しない[A2][A11][A12][A22]。

平均との比較に符号を付ける

通算100勝以上の145人のうち、勝ち越しは117人、勝敗同数は2人、負け越しは26人。全員の勝敗差を符号付きで足すと+4,203となり、一人平均は約+28.99である。負け越した投手を外した「貯金のある投手だけの平均」ではない[A21][A22]。

小林は46勝なので平均の母集団には入らない。その−64と、100勝以上の投手の平均+28.99を同じ勝敗差の軸に置くと、差は約92.99になる。プラスとマイナスをまたぐ比較であり、64÷28.99という倍率は使わない。時代をそろえた平均ではなく、長期に勝利を積んだ投手群との参考比較である[A1][A21][A22]。

18勝した年もある

最初の3年は合計7勝21敗で、借金14。1951年には55登板、293回を投げて18勝15敗と勝ち越し、借金を3減らした。11シーズンで唯一の勝ち越し年で、シーズン終了時の累計は25勝36敗、借金11となった[A1]。

翌1952年は50登板、321回2/3で12勝27敗。年別の借金15は小林自身で最大だった。防御率は前年の4.85から3.69へ下がり、完投は14から26、完封勝は3から6へ増えたが、勝敗差は+3から−15へ変わっている。防御率の改善がそのまま勝ち越しにつながるとは限らないことが、二年の数値から分かる[A1]。

年度所属球団年別勝敗・借金通算勝敗・借金投球成績
1948金星3勝9敗 年別借金+63勝9敗 累計借金6防御率2.37 17登板/129回 54奪三振
1949大陽3勝7敗 年別借金+46勝16敗 累計借金10防御率6.07 16登板/91回1/3 38奪三振
1950松竹1勝5敗 年別借金+47勝21敗 累計借金14防御率6.14 11登板/44回 20奪三振
1951松竹18勝15敗 年別借金-325勝36敗 累計借金11防御率4.85 55登板/293回 108奪三振
1952松竹12勝27敗 年別借金+1537勝63敗 累計借金26防御率3.69 50登板/321回2/3 159奪三振
1953洋松1勝5敗 年別借金+438勝68敗 累計借金30防御率6.84 13登板/49回1/3 12奪三振
1954洋松2勝6敗 年別借金+440勝74敗 累計借金34防御率4.06 21登板/93回 37奪三振
1955大洋2勝14敗 年別借金+1242勝88敗 累計借金46防御率4.10 27登板/125回 38奪三振
1956大洋4勝13敗 年別借金+946勝101敗 累計借金55防御率3.47 36登板/191回1/3 56奪三振
1957大洋0勝7敗 年別借金+746勝108敗 累計借金62防御率4.69 24登板/70回2/3 18奪三振
1958近鉄0勝2敗 年別借金+246勝110敗 累計借金64防御率4.14 14登板/36回1/3 9奪三振

年別借金は当年の敗北−勝利、累計借金は当年までの敗北−勝利。1951年の年別−3は貯金3に相当し、累計借金を減らす。全11年の勝利合計46、敗北合計110、年別借金の合計64は通算値と一致する。1949年の投手成績表の球団表示は大陽で、公式在籍者名簿には同年途中まで大映、その後大陽とある[A1][A23]。

27敗でも6度の完封勝

1952年の27敗は、NPBのシーズン敗戦数で歴代3位タイ。小林恒夫という当時の登録名で公式表に載っている。その一方で、6完封勝は通算11完封勝の半分以上を占める。年別の借金15と併せて、長い投球回や投げ切った試合も残した年だった[A1][A25]。

この年の松竹は34勝84敗2分け、勝率.288で7球団中最下位。小林の12勝は球団の勝利の約35.3%、27敗は球団の敗北の約32.1%に当たる。個人の防御率3.69は球団防御率4.05を下回り、投球回321回2/3は球団総投球回1068回の約30.1%だった。球団の成績と大きな投球負担は確認できるが、それだけで個々の敗戦の原因を決めることはできない[A1][A24]。

後半4年で借金30が加わる

1955年から1958年は合計6勝36敗で借金30。最終的な64の約46.9%が、この4シーズンで増えた。1957年と1958年は合わせて0勝9敗で、1956年終了時の借金55から、最終通算の64へ達した[A1]。

ここでの通算記録は確認時点の全期間の累計で、現役途中の試合ごとの最大借金を競うものではない。小林の年末累計では1958年の64が最大だが、シーズン中の勝敗の順序まではこの年別表から分からない[A1]。

左腕の特徴を成績から読む

小林は左投左打。台中商、台湾電力、上田栞製作所、国民リーグの大塚アスレチックスを経て、1948年に金星でNPBの公式戦に初出場した。国民リーグでの勝敗は、このNPB通算の46勝110敗には含めない[A1]。

通算549奪三振を1444回2/3で割った9回換算は約3.42個。奪三振549に対して与四球は559で、K/BBは約0.98となる。三振を大量に取る成績ではなく、勝敗差以外にも投球の傾向を読む材料がある。ただし、球種や球速はこの公式成績表からは判断できない[A1]。

参考指標の計算は、奪三振×9÷投球回、K/BB=奪三振÷与四球。1444回2/3は1444+2/3として計算し、小数第3位を四捨五入した。これらは小林個人の通算成績を読む指標で、100勝以上の平均貯金との比較には混ぜない[A1]。

三つの登録名で残る記録

公式在籍者名簿によると、1948年は小林恒夫、1949年は小林常夫、1950年から1954年は再び小林恒夫、1955年からは小林経旺を名乗った。名前が変わっても同じ選手の記録であり、別人として集計していない。1952年の27敗の表と現在の個人ページで表記が異なるのは、この改名による[A23][A25]。

在籍者名簿では金星、大映、大陽、松竹、洋松、大洋、近鉄という名称が並ぶ。途中移籍と球団名の変更を含むため、名称の数をそのまま独立した移籍回数とは数えない。通算成績表では、実際に投げた年度の表示に従って年別成績を記載した[A1][A23]。

借金上位にも残る別の達成記録

借金36で14位の大脇照夫は、1956年5月3日に奪三振0でノーヒットノーランを達成した投手でもある。通算35勝71敗という差と、一試合で安打も得点も許さなかった達成は同時に残っている。通算借金の順位だけで、その投手のすべての活躍が表されるわけではない[A14][A28]。

関連記事投手ノーヒットノーランで最も少ない奪三振数は?ノーヒットノーランといえば、三振を重ねる快投を思い浮かべる。では、安打も得点も許さずに勝った試合で、奪三振はどこまで少なくできるのだろうか。

集計範囲と確認日

対象はNPB一軍レギュラーシーズンの通算投手成績。戦前の1リーグ時代と交流戦を含む。MLBなど海外リーグ、国民リーグ、二軍、オープン戦、オールスター、日本シリーズ、CSは含めない。現役選手も確認対象とした。資料確認日は2026年10月10日。通算の現役成績はNPB公式掲載値で、通算ランキングは2026年度シーズン終了現在の表示を基準にした[A21][A22][A26][A27]。

借金ランキングはNPBの公式表の名称ではなく、公式の勝利・敗北から独自に算出した。候補探索には二次資料の敗戦順一覧も利用し、32以上の借金候補をNPB個人ページで照合した。TOP20の境界は借金32で、32敗未満の投手は勝利が0でもその境界に届かない。二次資料は候補確認に用い、掲載数値は一次資料に統一した[B1]。

何がすごいのか

  • 通算100勝以上の145人の平均勝敗差は約+28.99。小林の−64は、この平均より約92.99小さい[A1][A21][A22]。
  • 1951年には18勝15敗と勝ち越した。翌年は12勝27敗ながら321回2/3、26完投、6完封勝を記録している[A1]。
  • 借金は敗戦数だけでは決まらない。勝利・敗北の差を、防御率や投球回などと一緒に読む記事である[A1][A26]。

出典