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「球界初」と紹介された外国人選手
1983年に巨人へ加入したスミスは開幕時38歳。MLBで通算314本塁打を記録した両打ちの強打者だった。2021年の『週刊ベースボール』記事は、その1983年の年俸を1億5600万円と紹介する。ただし、獲得担当者の証言を伝えた別記事は1億円未満の条件を示している。高額年俸で来日した事実と「史上初」の認定は分けて扱う[1][2][14]。
◇MLB通算314本塁打を携えた来日
スミスは1966年にレッドソックスでメジャー初出場。カージナルス、ドジャース、ジャイアンツでプレーした。米国野球殿堂博物館の記事によれば、来日前の1982年にも18本塁打を放っていた。翌年もサンフランシスコ側に契約の意向があったが、より好条件を提示した読売へ移った。高額契約は、日本での1年の成績を評価した昇給ではなく、来日前の実績を買った獲得だった[3]。
| 対象範囲 | 選手名 | 球団 | 対象年 | 推定年俸 |
|---|---|---|---|---|
| 回顧記事が球界初と紹介 | レジー・スミス | 巨人 | 1983 | 1億5600万円(回顧記事) |
| 日本人選手で初の1億円超 | 落合博満 | 中日 | 1987 | 1億3000万円 |
| 日本人投手で初の到達 | 東尾修 | 西武 | 1987 | 1億円 |
スミスの1億5600万円は2021年の回顧記事の紹介額。同じ1983年の年俸について、別の関係者取材は35万ドル(約8050万円)と説明する。両方を確定年俸とは扱わない。落合は日本人選手初として報道され、東尾の1億円はちょうど大台への到達である[1][6][10][14][19]。
| 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 102 | 323 | 263 | 48 | 75 | 6 | 0 | 28 | 165 | 72 |
| 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 長打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | 0 | 0 | 3 | 51 | 6 | 61 | 4 | .285 | .627 |
NPB一軍公式戦。出塁率はNPBの当該年の掲載欄が空欄のため、公式掲載値としては補わない[2]。
263打数で28本塁打は、約9.39打数に1本というペースだった。安打75本のうち本塁打が約37.3%を占める。規定打席403には80打席届かず、打率.285を規定打席到達者のランキングには入らない。巨人は72勝50敗8分でリーグ優勝し、スミスの28本塁打はチーム156本の約17.9%だった[2][5]。
◇優勝を決めた日に3本塁打6打点
1983年10月11日の巨人対ヤクルト25回戦(後楽園球場)。スミスは5番・右翼で4打数3安打6打点、安打はすべて本塁打だった。1回の3ラン、3回の2ラン、8回のソロで巨人の7得点のうち6点を挙げ、7対5で勝利してリーグ優勝を決めた[4][15][20]。
| 回 | 相手投手 | 打撃結果 | 試合での意味 |
|---|---|---|---|
| 1回裏 | 松岡弘 | 中本③ | 先制3ラン |
| 3回裏 | 黒田真二 | 中本② | 同点から勝ち越す2ラン |
| 8回裏 | 中本茂樹 | 右本① | 追加点となるソロ |
③②①は打点。この表は3本の本塁打だけを抜き出したもので、全打席の結果表ではない。25・26・27号。球数や本塁打以外の打席結果は補っていない[15]。
| 年 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983 | 巨人 | 102 | 323 | 263 | 75 | 28 | 72 | .285 |
| 1984 | 巨人 | 84 | 263 | 231 | 59 | 17 | 50 | .255 |
翌1984年は84試合、打率.255、17本塁打、50打点。2年合計で186試合、45本塁打、122打点、打率.271だった。故障なども重なり、この年限りで退団・現役引退となった。その後は指導者として活動し、打撃を教える側でも野球に携わった[2][3][4]。
◇スミスの年俸は2つの資料で大きく異なる
スミスの年俸には、2021年の回顧記事が紹介する1億5600万円と、獲得担当者から聞いた条件として2025年の別記事が紹介する35万ドル(約8050万円)という食い違いがある。後者では初年度の年俸は1億円未満となる。どちらかを契約書上の実額と認定せず、以降の比較では1億5600万円を「回顧記事の掲載額」と明示して扱う[1][14]。
日本人初は、三冠王を3度獲得した落合
落合は1986年に2年連続3度目の三冠王を獲得し、年末にロッテから中日へ移った。1987年の推定年俸は1億3000万円で、日本人選手の1億円突破第1号として紹介されている。前年の9700万円から3300万円、約34.0%の増額。契約は1986年12月26日、年俸の対象は1987年だ[6][8][19]。
◇首位打者、三冠王、それでも残った壁
落合は東芝府中から1978年ドラフト3位でロッテ入りし、1979年に一軍デビュー。1981年に初の首位打者、1982年に初の三冠王を獲得した。Sportivaの記事によると、1981年の年俸540万円から、翌年1600万円、初の三冠王の翌年5400万円へ上昇した。しかし、三冠王を一度取ればすぐ1億円になるという時代ではなかった[7][8]。
| 年 | 球団 | 推定年俸 万円 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1979 | ロッテ | 360 | .234 | 2 | 7 |
| 1980 | ロッテ | 360 | .283 | 15 | 32 |
| 1981 | ロッテ | 540 | .326 | 33 | 90 |
| 1982 | ロッテ | 1600 | .325 | 32 | 99 |
| 1983 | ロッテ | 5400 | .332 | 25 | 75 |
| 1984 | ロッテ | 5940 | .314 | 33 | 94 |
| 1985 | ロッテ | 5940 | .367 | 52 | 146 |
| 1986 | ロッテ | 9700 | .360 | 50 | 116 |
| 1987 | 中日 | 13000 | .331 | 28 | 85 |
年俸は後年の一覧[9]とSportiva[8]。1982年1600万円と1985年5940万円はSportivaの記事から確認。成績はNPB[7]。金額は契約金を含まず、その年のシーズン年俸として掲載する。たとえば1982年の三冠王は、翌1983年の昇給の背景となる。
◇2年連続三冠王から、1対4のトレード
1985年は打率.367、52本塁打、146打点。1986年も打率.360、50本塁打、116打点で、2年連続3度目の三冠王となった。1986年の推定9700万円は、前の5940万円から大きく上がった額だったが、まだ1億円には届いていない[7][8]。
転機は1986年末の中日移籍。中日は牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂の4選手をロッテへ送り、落合1人を獲得した。12月26日に結んだ契約の推定年俸が1億3000万円。対象は1987年シーズンであり、「1986年に契約」と「1987年の1億円プレーヤー」は矛盾しない[6]。
| 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 125 | 519 | 432 | 83 | 143 | 33 | 0 | 28 | 260 | 85 |
| 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 長打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 4 | 0 | 4 | 81 | 2 | 51 | 10 | .331 | .602 |
出塁率.435。NPB一軍公式戦のシーズン成績[7]。
移籍初年は打率.331、28本塁打、85打点。首位打者は.333の篠塚利夫と正田耕三で、落合は打率3位だった。出塁率.435で最高出塁率を獲得し、三冠王の翌年も高い打撃成績を残した。中日は68勝51敗11分で2位、チーム本塁打168本はリーグ最多だった[6][16]。
翌1988年は130試合、打率.293、32本塁打、95打点で、中日のリーグ優勝に貢献。1989年は打点王、1990年は本塁打王と打点王となった。その後は巨人、日本ハムでもプレーして1998年に現役を終え、通算2371安打、510本塁打、1564打点、打率.311を残した。大台に到達した年以降も活躍を続けた[6][7]。
関連記事選手・キャリア推定年俸が初めて1000万円を超えた選手は誰?東尾も同じオフに1億円へ
東尾は落合の契約の3日後に、年俸1億円で更改したと、本人が出演した番組の記事は紹介する。日本人投手初の1億円プレーヤーであり、「同じ対象シーズンに初到達した投手」として外せない。一方、1億3000万円の落合と違い、金額が1億円ちょうどなので、厳密な「1億円超」の答えには入れない[8][10]。
1987年の東尾は15勝9敗、防御率2.59でパ・リーグMVPを獲得した。東尾本人は後年、契約交渉で1億円にこだわった経緯を明かしている。年俸が1億円ちょうどだった点と、1986年末の契約だった点は落合との比較で区別する[10][17][18][19]。
◇当時の”1億円”の価値
2021年の回顧記事が載せたスミスの1億5600万円を2025年の物価に換算すると約2億2000万円、1987年の落合の推定1億3000万円は約1億7500万円に相当する。これはそれぞれの報道額を前提にした購買力の目安であり、実際の契約額や現代の球団の査定額を示すものではない[11][14]。
| 選手名 | 対象年 | 当時の推定年俸 | 当時の指数 | 2025年の指数 | 2025年の物価で換算 |
|---|---|---|---|---|---|
| レジー・スミス | 1983 | 1億5600万円(回顧記事) | 81.0 | 114.0 | 約2億1956万円 |
| 落合博満 | 1987 | 1億3000万円 | 84.6 | 114.0 | 約1億7518万円 |
計算は「当時の金額×比較先の指数÷当時の指数」。スミスは15600万円×114.0÷81.0=約21955.6万円、落合は13000万円×114.0÷84.6=約17517.7万円となる。丸めると約2億2000万円と約1億7500万円。いずれも全国消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」、2020年=100の同じ系列を使った[11]。
2026年の年平均はまだ確定していないため、比較先は直近の通年である2025年。異なる系列の「総合」111.9は混ぜない。物価換算は日常の財やサービスの価格変化を平均した購買力の目安で、現在のプロ野球選手の年俸相場や、特定の土地・住宅の値上がり率とは異なる[11]。
| 比較する年 | 1年勤続者の民間平均給与 | 比べる推定年俸 | 平均給与に対する倍率 |
|---|---|---|---|
| 1983 | 329万2000円 | スミス 1億5600万円 | 約47.4倍 |
| 1987 | 371万8000円 | 落合 1億3000万円 | 約35.0倍 |
国税庁の総括表、男女計の1年勤続者の平均給与。賞与を含む税引き前の給与収入と、報道された推定年俸を比べる。15600÷329.2、13000÷371.8で計算。NPB選手の平均年俸や、給与所得控除後の所得・手取りとの比較ではない[1][6][12]。
巨人の主力の年俸と比べても大きかった
2021年の『週刊ベースボール』が紹介する1983年の巨人の日本人主力の推定年俸は、江川卓4400万円、西本聖3120万円、原辰徳2700万円。スミスの1億5600万円を採用すれば江川の約3.55倍、原の約5.78倍だが、スミス本人の年俸に異説があるため、確定した収入差ではない[1][14]。
野村が語った「1億円」の内訳
野村克也は著書で、落合より前に1億円を受け取っていたと振り返った。ただし、その説明はプレーイングマネージャーとしての選手年俸と監督報酬の合算によるものだ。本記事が比較する「選手のシーズン年俸」とは分ける[13]。
スミスの金額にも異説がある
東京プロ野球記者OBクラブの2025年の記事は、巨人の獲得担当・岩本堯から聞いた話として、スミスの契約を2年、1年目35万ドル・2年目40万ドルと紹介する。記事中の円換算は約8050万円・約9200万円で、いずれも1億円未満である。『週刊ベースボール』の1億5600万円との差は、年俸の範囲や契約条件の相違を確認できず、解消していない[1][14]。
以上から、スミスは「後年の野球専門誌で球界初の1億円超と紹介された選手」であって、当時の契約年俸が1億円を超えたと立証された人物ではない。さらに、その回顧記事だけで外国人を含む全選手を遡って調べ尽くしたことにはならない。現在の結論は報道史上の紹介例に限定し、NPB初の契約額の確定記録とは区別する。日本人初の落合については報道と本人対談を組み合わせて確認した[1][6][14][19]。
対象範囲と計算の扱い
対象はNPB選手のシーズン年俸で、外国人選手を含む。契約金、広告収入、兼任監督の報酬、複数年契約の総額は合算しない。競技成績はNPB一軍公式戦。年俸額は報道の推定値・回顧資料・関係者の証言を区別した。1983年スミスの年俸は資料間で不一致のため、実額も「NPB史上初」という順位も未確定。1983年以前の外国人選手を含む契約書・当時の新聞原紙による網羅的な確認が必要である。資料確認日:2026年10月24日。
スミスの本塁打頻度は263打数÷28本、安打に占める本塁打の割合は28÷75、チーム本塁打に占める割合は28÷156で計算。規定打席は130試合×3.1=403打席。打撃結果表の本塁打方向と得点の経緯は専門記録サイトの二次集計を用い、確認できない打席結果や球数を補っていない[2][5][15]。