NPB初の「1億円プレーヤー」は誰?

プロ野球の「1億円プレーヤー」は誰から始まったのか。外国人を含む高額年俸の報道と、日本人初の契約を比べる。

一般的には?

「1億円プレーヤー」は年俸1億円以上を指し、ちょうど1億円も含む。本記事は契約金や広告収入を除いたシーズン年俸を対象に、報道で紹介された推定額を比較する。ただし、外国人を含む「球界初」と「日本人初」は別であり、回顧記事の紹介額が実際の契約条件と食い違う例もある。契約締結の年と対象シーズンも区別する[1][6][14]。

1983年の民間給与所得者の平均給与
329.2万円

答え

回顧記事で「球界初」と紹介された選手の推定額(異説あり)レジー・スミス・1983年/1億5600万円(回顧記事の紹介額)

2021年の『週刊ベースボール』回顧記事は、1983年に巨人へ加入したレジー・スミスを推定年俸1億5600万円で「史上初」の1億円超と紹介している。しかし、獲得担当者の説明を伝える別資料では1年目35万ドル(約8050万円)とされ、1億円に届かない。スミスを契約年俸上の「NPB史上初」と確定することはできない。一方、日本人選手初として広く報じられるのは、1986年12月26日に翌1987年の推定年俸1億3000万円で中日と契約した落合博満だ。この記事では両者の記録と、根拠の違いを明示する[1][6][14][19]。

年
1983年
選手
レジー・スミス
チーム
読売ジャイアンツ
カテゴリ
選手・キャリア

普通と比べると

1983年の民間給与所得者の平均給与
329.2万円
1983年の回顧記事掲載額(異説あり)
15,600万円

回顧記事の掲載額を採った場合、約47.4倍。

15600÷329.2=約47.4。1983年の民間平均給与329万2000円(国税庁)と、2021年の回顧記事が掲載したスミスの推定1億5600万円を比較した仮定値。別資料に年俸8050万円説があり、確定した給与倍率ではない。NPB選手の平均年俸との比較でもない[1][12][14]。

詳細

「球界初」と紹介された外国人選手

1983年に巨人へ加入したスミスは開幕時38歳。MLBで通算314本塁打を記録した両打ちの強打者だった。2021年の『週刊ベースボール』記事は、その1983年の年俸を1億5600万円と紹介する。ただし、獲得担当者の証言を伝えた別記事は1億円未満の条件を示している。高額年俸で来日した事実と「史上初」の認定は分けて扱う[1][2][14]。

◇MLB通算314本塁打を携えた来日

スミスは1966年にレッドソックスでメジャー初出場。カージナルス、ドジャース、ジャイアンツでプレーした。米国野球殿堂博物館の記事によれば、来日前の1982年にも18本塁打を放っていた。翌年もサンフランシスコ側に契約の意向があったが、より好条件を提示した読売へ移った。高額契約は、日本での1年の成績を評価した昇給ではなく、来日前の実績を買った獲得だった[3]。

NPB初と日本人初を分ける
対象範囲選手名球団対象年推定年俸
回顧記事が球界初と紹介レジー・スミス巨人19831億5600万円(回顧記事)
日本人選手で初の1億円超落合博満中日19871億3000万円
日本人投手で初の到達東尾修西武19871億円

スミスの1億5600万円は2021年の回顧記事の紹介額。同じ1983年の年俸について、別の関係者取材は35万ドル(約8050万円)と説明する。両方を確定年俸とは扱わない。落合は日本人選手初として報道され、東尾の1億円はちょうど大台への到達である[1][6][10][14][19]。

1983年は102試合で28本塁打
試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点
1023232634875602816572
盗塁盗塁刺犠打犠飛四球死球三振併殺打打率長打率
2003516614.285.627

NPB一軍公式戦。出塁率はNPBの当該年の掲載欄が空欄のため、公式掲載値としては補わない[2]。

263打数で28本塁打は、約9.39打数に1本というペースだった。安打75本のうち本塁打が約37.3%を占める。規定打席403には80打席届かず、打率.285を規定打席到達者のランキングには入らない。巨人は72勝50敗8分でリーグ優勝し、スミスの28本塁打はチーム156本の約17.9%だった[2][5]。

◇優勝を決めた日に3本塁打6打点

1983年10月11日の巨人対ヤクルト25回戦(後楽園球場)。スミスは5番・右翼で4打数3安打6打点、安打はすべて本塁打だった。1回の3ラン、3回の2ラン、8回のソロで巨人の7得点のうち6点を挙げ、7対5で勝利してリーグ優勝を決めた[4][15][20]。

回相手投手打撃結果試合での意味
1回裏松岡弘中本③先制3ラン
3回裏黒田真二中本②同点から勝ち越す2ラン
8回裏中本茂樹右本①追加点となるソロ

③②①は打点。この表は3本の本塁打だけを抜き出したもので、全打席の結果表ではない。25・26・27号。球数や本塁打以外の打席結果は補っていない[15]。

翌年も17本塁打、2年で45本
年球団試合打席打数安打本塁打打点打率
1983巨人102323263752872.285
1984巨人84263231591750.255

翌1984年は84試合、打率.255、17本塁打、50打点。2年合計で186試合、45本塁打、122打点、打率.271だった。故障なども重なり、この年限りで退団・現役引退となった。その後は指導者として活動し、打撃を教える側でも野球に携わった[2][3][4]。

◇スミスの年俸は2つの資料で大きく異なる

スミスの年俸には、2021年の回顧記事が紹介する1億5600万円と、獲得担当者から聞いた条件として2025年の別記事が紹介する35万ドル(約8050万円)という食い違いがある。後者では初年度の年俸は1億円未満となる。どちらかを契約書上の実額と認定せず、以降の比較では1億5600万円を「回顧記事の掲載額」と明示して扱う[1][14]。

日本人初は、三冠王を3度獲得した落合

落合は1986年に2年連続3度目の三冠王を獲得し、年末にロッテから中日へ移った。1987年の推定年俸は1億3000万円で、日本人選手の1億円突破第1号として紹介されている。前年の9700万円から3300万円、約34.0%の増額。契約は1986年12月26日、年俸の対象は1987年だ[6][8][19]。

◇首位打者、三冠王、それでも残った壁

落合は東芝府中から1978年ドラフト3位でロッテ入りし、1979年に一軍デビュー。1981年に初の首位打者、1982年に初の三冠王を獲得した。Sportivaの記事によると、1981年の年俸540万円から、翌年1600万円、初の三冠王の翌年5400万円へ上昇した。しかし、三冠王を一度取ればすぐ1億円になるという時代ではなかった[7][8]。

年球団推定年俸 万円打率本塁打打点
1979ロッテ360.23427
1980ロッテ360.2831532
1981ロッテ540.3263390
1982ロッテ1600.3253299
1983ロッテ5400.3322575
1984ロッテ5940.3143394
1985ロッテ5940.36752146
1986ロッテ9700.36050116
1987中日13000.3312885

年俸は後年の一覧[9]とSportiva[8]。1982年1600万円と1985年5940万円はSportivaの記事から確認。成績はNPB[7]。金額は契約金を含まず、その年のシーズン年俸として掲載する。たとえば1982年の三冠王は、翌1983年の昇給の背景となる。

◇2年連続三冠王から、1対4のトレード

1985年は打率.367、52本塁打、146打点。1986年も打率.360、50本塁打、116打点で、2年連続3度目の三冠王となった。1986年の推定9700万円は、前の5940万円から大きく上がった額だったが、まだ1億円には届いていない[7][8]。

転機は1986年末の中日移籍。中日は牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂の4選手をロッテへ送り、落合1人を獲得した。12月26日に結んだ契約の推定年俸が1億3000万円。対象は1987年シーズンであり、「1986年に契約」と「1987年の1億円プレーヤー」は矛盾しない[6]。

1987年は打率3位と最高出塁率
試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点
125519432831433302826085
盗塁盗塁刺犠打犠飛四球死球三振併殺打打率長打率
14048125110.331.602

出塁率.435。NPB一軍公式戦のシーズン成績[7]。

移籍初年は打率.331、28本塁打、85打点。首位打者は.333の篠塚利夫と正田耕三で、落合は打率3位だった。出塁率.435で最高出塁率を獲得し、三冠王の翌年も高い打撃成績を残した。中日は68勝51敗11分で2位、チーム本塁打168本はリーグ最多だった[6][16]。

翌1988年は130試合、打率.293、32本塁打、95打点で、中日のリーグ優勝に貢献。1989年は打点王、1990年は本塁打王と打点王となった。その後は巨人、日本ハムでもプレーして1998年に現役を終え、通算2371安打、510本塁打、1564打点、打率.311を残した。大台に到達した年以降も活躍を続けた[6][7]。

関連記事選手・キャリア推定年俸が初めて1000万円を超えた選手は誰?かつて高額年俸の象徴だった「1000万円プレーヤー」。その大台を初めて超えた選手は誰か。年俸資料の食い違いと当時の物価から探る。

東尾も同じオフに1億円へ

東尾は落合の契約の3日後に、年俸1億円で更改したと、本人が出演した番組の記事は紹介する。日本人投手初の1億円プレーヤーであり、「同じ対象シーズンに初到達した投手」として外せない。一方、1億3000万円の落合と違い、金額が1億円ちょうどなので、厳密な「1億円超」の答えには入れない[8][10]。

1987年の東尾は15勝9敗、防御率2.59でパ・リーグMVPを獲得した。東尾本人は後年、契約交渉で1億円にこだわった経緯を明かしている。年俸が1億円ちょうどだった点と、1986年末の契約だった点は落合との比較で区別する[10][17][18][19]。

◇当時の”1億円”の価値

2021年の回顧記事が載せたスミスの1億5600万円を2025年の物価に換算すると約2億2000万円、1987年の落合の推定1億3000万円は約1億7500万円に相当する。これはそれぞれの報道額を前提にした購買力の目安であり、実際の契約額や現代の球団の査定額を示すものではない[11][14]。

2025年の物価にそろえる
選手名対象年当時の推定年俸当時の指数2025年の指数2025年の物価で換算
レジー・スミス19831億5600万円(回顧記事)81.0114.0約2億1956万円
落合博満19871億3000万円84.6114.0約1億7518万円

計算は「当時の金額×比較先の指数÷当時の指数」。スミスは15600万円×114.0÷81.0=約21955.6万円、落合は13000万円×114.0÷84.6=約17517.7万円となる。丸めると約2億2000万円と約1億7500万円。いずれも全国消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」、2020年=100の同じ系列を使った[11]。

2026年の年平均はまだ確定していないため、比較先は直近の通年である2025年。異なる系列の「総合」111.9は混ぜない。物価換算は日常の財やサービスの価格変化を平均した購買力の目安で、現在のプロ野球選手の年俸相場や、特定の土地・住宅の値上がり率とは異なる[11]。

掲載額を使った民間平均給与との比較
比較する年1年勤続者の民間平均給与比べる推定年俸平均給与に対する倍率
1983329万2000円スミス 1億5600万円約47.4倍
1987371万8000円落合 1億3000万円約35.0倍

国税庁の総括表、男女計の1年勤続者の平均給与。賞与を含む税引き前の給与収入と、報道された推定年俸を比べる。15600÷329.2、13000÷371.8で計算。NPB選手の平均年俸や、給与所得控除後の所得・手取りとの比較ではない[1][6][12]。

巨人の主力の年俸と比べても大きかった

2021年の『週刊ベースボール』が紹介する1983年の巨人の日本人主力の推定年俸は、江川卓4400万円、西本聖3120万円、原辰徳2700万円。スミスの1億5600万円を採用すれば江川の約3.55倍、原の約5.78倍だが、スミス本人の年俸に異説があるため、確定した収入差ではない[1][14]。

野村が語った「1億円」の内訳

野村克也は著書で、落合より前に1億円を受け取っていたと振り返った。ただし、その説明はプレーイングマネージャーとしての選手年俸と監督報酬の合算によるものだ。本記事が比較する「選手のシーズン年俸」とは分ける[13]。

スミスの金額にも異説がある

東京プロ野球記者OBクラブの2025年の記事は、巨人の獲得担当・岩本堯から聞いた話として、スミスの契約を2年、1年目35万ドル・2年目40万ドルと紹介する。記事中の円換算は約8050万円・約9200万円で、いずれも1億円未満である。『週刊ベースボール』の1億5600万円との差は、年俸の範囲や契約条件の相違を確認できず、解消していない[1][14]。

以上から、スミスは「後年の野球専門誌で球界初の1億円超と紹介された選手」であって、当時の契約年俸が1億円を超えたと立証された人物ではない。さらに、その回顧記事だけで外国人を含む全選手を遡って調べ尽くしたことにはならない。現在の結論は報道史上の紹介例に限定し、NPB初の契約額の確定記録とは区別する。日本人初の落合については報道と本人対談を組み合わせて確認した[1][6][14][19]。

対象範囲と計算の扱い

対象はNPB選手のシーズン年俸で、外国人選手を含む。契約金、広告収入、兼任監督の報酬、複数年契約の総額は合算しない。競技成績はNPB一軍公式戦。年俸額は報道の推定値・回顧資料・関係者の証言を区別した。1983年スミスの年俸は資料間で不一致のため、実額も「NPB史上初」という順位も未確定。1983年以前の外国人選手を含む契約書・当時の新聞原紙による網羅的な確認が必要である。資料確認日:2026年10月24日。

スミスの本塁打頻度は263打数÷28本、安打に占める本塁打の割合は28÷75、チーム本塁打に占める割合は28÷156で計算。規定打席は130試合×3.1=403打席。打撃結果表の本塁打方向と得点の経緯は専門記録サイトの二次集計を用い、確認できない打席結果や球数を補っていない[2][5][15]。

何がすごいのか

  • 2021年の回顧記事は1983年のスミスを球界初の1億円超と紹介するが、関係者取材の年俸額は1億円未満。「史上初」を確定できない理由が資料に残っている[1][14]。
  • スミスは1983年に263打数28本塁打。巨人の優勝決定試合では3本塁打6打点を挙げた。年俸に異説があっても、この打撃成績は公式記録で確認できる[2][15][20]。
  • 落合は3度の三冠王を経て1986年12月に契約。1987年の推定年俸1億3000万円で、日本人選手初の1億円超と報じられた[6][8][19]。

出典