詳細
全国6球場で2日続けて中止
対象は2004年9月18日(土)・19日(日)。両日に同じ6カードが予定されていたため、1日6試合×2日で、一軍の中止は12試合となる[1][5]。
セ・リーグは、神宮のヤクルト―阪神、横浜スタジアムの横浜―広島、ナゴヤドームの中日―巨人。パ・リーグは、札幌ドームの日本ハム―近鉄、Yahoo! BB STADIUMのオリックス―ロッテ、福岡ドームのダイエー―西武だった[5]。
屋外球場だけでなく、札幌、名古屋、福岡のドーム球場でも開催がなくなった。同じ週末の全カードを対象にした中止であり、ある球場のグラウンドが使えなかった、という話ではない[5]。
球団名・球場名は当時のもの。両日とも試合開始前の中止で、勝敗や打席結果は存在しない。
◇合併問題から球団数の議論へ
NPBのパ・リーグ略史によると、6月13日にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併に向けた協議入りを発表し、9月8日のオーナー会議で統合が正式承認された[1]。
選手会の公式回顧は、パ・リーグが5球団になる見通しに加え、さらなる合併や1リーグ化の動きが取りざたされ、選手会とNPBが対立したと説明する。試合を止める判断の背景には、翌年以降にどの球団が残り、どんなリーグを続けるのかという問題があった[3]。
選手会の資料は、交渉当事者の立場からの回顧として使用する。各球団の経営資料を分析したものではない。
◇翌年からの新規参入をめぐり交渉決裂
当時の選手会長はヤクルトの古田敦也だった。2004年9月18日付紙面を復刻した日刊スポーツは、17日の交渉が約10時間続いた末に決裂し、18・19日のストライキ決行が決まったと伝える[4]。
報道では、翌年からの新球団参入に向けてどこまで取り組むか、その約束を合意文書にどう記すかが争点となった。選手会は合併凍結を求める段階から譲歩していたが、新規参入の時期と取り組みを明確にしたいという要求は残っていた。単に、その週末だけ野球を休むことが目的だったわけではない[4][6]。
文言をめぐる経緯は報道に基づく。当日の交渉議事録や、全ての提案文書の原本を照合したものではない。
◇試合のない球場で選手がファンに向き合った
週刊ベースボールの回顧によると、中止となった各球場では、選手たちが自主練習の後にサイン会を行い、ファンに理解を求めた。競技は行わなくても、選手とファンの接点まで消えたわけではなかった[6]。
古田は2018年の取材でも当時の決断を振り返っている。代表者は試合に出る選手であると同時に、球界再編の交渉を担う立場にあった。各地の試合中止と、現役選手による交渉・説明活動が並行していた点が、この事例の特徴といえる[7]。
◇中止の翌日は公式戦が再開
9月20日の日程資料には、両リーグの計6試合の結果が載っている。神宮ではヤクルトが阪神に4対3で勝利し、札幌ドームでは日本ハムがダイエーに13対12で勝った。中止後に公式戦が行われた日と、中止日を分けて確認できる[5]。
札幌ではSHINJOが9回裏に左翼席へ打球を放ったが、一塁走者を追い越してアウトになったため、満塁本塁打にはならなかった。NPBは記録を単打・打点1と記す。大きな再編問題の翌日に、別の珍しいプレーが起きたことも球史に残っている[1]。
9月20日は同日の公式日程であり、18・19日の全カードを振り替えた日とは扱わない。パ・リーグでは対戦相手が変わっている[5]。
◇球団数は維持されても元の形には戻らなかった
古田の回顧を掲載した日刊スポーツは、9月23日に新規参入をめぐる合意に至った経緯を紹介する。その後、NPBは11月2日に楽天野球団の新規参入を承認した。一方、12月1日にはオリックスと近鉄の統合により、球団名がオリックス・バファローズとなった[1][7]。
12球団の枠が維持されたことと、近鉄が単独の球団として存続したことは同じではない。選手会も、翌2005年の交流戦導入などと併せて、この再編を公式資料で振り返っている[1][3]。
ストライキだけで後の全ての改革が起きたと断定することはできない。ただ、試合中止を翌年の球団構成までつながる出来事として読むと、その影響が当日の興行だけにとどまらなかったことが分かる。これは公式年表と当事者の回顧を照合した考察である。
◇件数の数え方とシーズンの記録
NPBのパ・リーグ略史は、一軍の12試合に加え、イースタン・リーグ5試合も中止になったと記す。「ストで12試合中止」は一軍だけを数えた表現で、記載された二軍分まで合わせると17試合になる。対象を変えると件数も変わるため、記事の答えと本文では範囲を明記する[1]。
2004年の公式年度別成績で、最終的な一軍の試合数は、セ・リーグ全球団が138試合、パ・リーグ全球団が133試合と確認できる。これは公式戦の試合数で、プレーオフと日本シリーズは含めない[8][9]。
中止カードに別の日の結果を補い、試合があったものとして勝敗や個人成績を作ることはしない。
確認範囲と資料上の限界
資料確認日:2026年10月13日。中心となる対象は2004年9月18・19日のNPB一軍公式戦。中止日・理由・件数・史上初という位置付けはNPB公式略史、予定カードと開催地・再開日の結果は専門日程資料で確認した[1][2][5]。
交渉の具体的な経緯は当時の新聞紙面の復刻と回顧記事、背景とその後の評価は選手会の公式回顧を用いる。NPB・選手会双方の全議事録、球団ごとの損失額、全会場のファン行事、払い戻しの実施細目は確認していない[3][4][6][7]。
「史上初」はNPB公式の記載に従う。「現在まで唯一」とするには、その後の全件調査が必要なため、ここでは断定しない。年表の二軍中止5試合は参考として示し、一軍12試合の集計に混ぜない[1]。