詳細
◇高卒新人が181回で自責点28
高卒新人の堀内は33登板、181回、自責点28で防御率1.39を記録。2位の阪神・村山実の1.55を抑えてトップに立った。16勝2敗、勝率.889で最高勝率となり、新人王と沢村賞も受賞した[1][2][3]。
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 勝率 | 完投 | 完封勝 | 無四球 | 対打者 | 投球回 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 33 | 16 | 2 | .889 | 14 | 7 | 1 | 714 | 181 |
| 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 125 | 5 | 69 | 4 | 117 | 5 | 0 | 34 | 28 | 1.39 |
1966年セ・リーグの上位3位まで。防御率は当時の資格条件を満たす投手、勝利・奪三振は規定投球回未到達者も対象。勝利の数値は勝、奪三振は個。堀内の行を赤字太字で示す[2][9][10]。
◇181回で自責点28
防御率は28×9÷181=1.392265…で、表示は1.39。34失点のうち自責点は28で、防御率は自責点を使って計算する。1966年の規定投球回は球団試合数と同じ134回。堀内はこれを47回上回り、7完封勝利を記録した[1][2][17]。
1966年の防御率2位は阪神・村山実の1.55、3位は同・若生智男の1.96。堀内は2位に表示上0.16の差をつけた。一方、最多勝と最多奪三振は24勝・207奪三振の村山が獲得した[2]。高卒新人の比較では、1956年の西鉄・稲尾和久も19歳で防御率1.06、21勝を記録している。堀内の受賞年齢は稲尾より1歳若い[18][19]。
◇先発だけでなく救援でも登板
33登板のうち先発22試合、救援11試合。先発した22試合では14完投、うち7完封勝利だった。救援にも登板しながら181回を投げたのが、1966年の堀内の特徴だ[1][17]。
◇優勝した巨人の若い投手
巨人は89勝41敗4分、2位中日に13ゲーム差をつけて優勝した。チーム防御率2.24もリーグ1位で、堀内の1.39はさらに0.85低い。城之内邦雄21勝、堀内16勝、渡辺秀武13勝、中村稔11勝と、4投手が2桁勝利を挙げている[1][2]。
| 順位 | 球団 | 試合 | 勝利 | 敗北 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 巨人 | 134 | 89 | 41 | 4 | .685 | ― | 2.24 |
| 2 | 中日 | 132 | 76 | 54 | 2 | .585 | 13.0 | 2.54 |
| 3 | 阪神 | 135 | 64 | 66 | 5 | .492 | 25.0 | 2.52 |
| 4 | 広島 | 136 | 57 | 73 | 6 | .438 | 32.0 | 3.45 |
| 5 | 大洋 | 130 | 52 | 78 | 0 | .400 | 37.0 | 3.74 |
| 5 | サンケイ | 135 | 52 | 78 | 5 | .400 | 37.0 | 3.16 |
1966年セ・リーグ最終成績。球団名は当時の名称を略記。大洋とサンケイは同勝率の5位。引き分け再試合制だったため球団ごとの試合数が異なる[2][5]。
リーグMVPは打率.344の長嶋茂雄で、堀内は新人王と最優秀防御率を獲得。巨人はこの年、1965~1973年の9年連続日本一(V9)の2年目を迎えた[2][3][5]。
◇44イニング無失点と開幕13連勝
5月30日の大洋戦で3安打完封の2勝目。そこから6月22日まで44イニング連続無失点を記録し、7月27日の阪神戦で開幕13連勝に到達した。33登板のうち14完投・7完封という新人離れした成績につながった[1][3][5][7][8]。
◇初登板で6回2失点の勝利
一軍初登板は4月14日の中日戦(中日球場)。初先発で6回2失点(自責点1)に抑え、9対2の勝利で初白星を挙げた。本人は後年、緊張をほぐすため、試合前の投球練習の最初の球をバックネットへ投げたと回想している。打者に投じた試合開始後の第1球ではない[6]。
◇5月30日に1対0の完封勝利
5月30日の大洋11回戦(川崎球場)で9回3安打、6奪三振、2四球の完封勝利。7回の土井正三による1点を守り、2勝0敗とした[5][7]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 |
| 大洋 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1966年5月30日、大洋対巨人11回戦、川崎球場。スコアと試合別投手・打撃成績は二次集計による[7]。
堀内は打席でも4打数2安打で、二塁打を1本記録した。唯一の打点を挙げたのは土井正三。勝利投手本人も打線の一員として出場していた[7]。
◇44イニング連続無失点
5月30日から6月22日までの44イニング連続無失点は、野球殿堂博物館が紹介する記録。週刊ベースボールの回顧記事では、この間の3試合連続完封にも触れている[3][5]。
◇7月27日に開幕から13連勝
阪神甲子園球場での阪神16回戦。巨人は初回に王貞治の2点本塁打で先制したが、堀内はその裏に3点を失い逆転された。その後は失点を許さず、9回5安打、7奪三振、4四球、自責点3で完投。巨人は7対3で勝ち、堀内は13勝0敗となった[8]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 巨人 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 7 | 11 | 0 |
| 阪神 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 1 |
1966年7月27日、阪神対巨人16回戦、阪神甲子園球場。王はこの試合2本目となる8回のソロ本塁打で勝ち越し、堀内自身も1安打1打点を記録した[8]。
開幕13連勝とは、開幕後の登板で敗戦投手にならないまま通算13勝を挙げたことを指す。7月31日の広島戦で初黒星を喫し、シーズンは16勝2敗で終えた[1][5]。
◇翌年はノーヒットノーランと3打席連続本塁打
1967年は12勝2敗、防御率2.17で2年連続の最高勝率を獲得。10月10日の広島戦ではノーヒットノーランと3打席連続本塁打を同じ試合で記録した。1972年には26勝で最多勝とMVPを獲得したが、最優秀防御率の受賞は1966年の1度だけだった[1][3][11][12][13]。
| 年 | 年末年齢 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 投球回 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966 | 18歳 | 33 | 16 | 2 | 181 | 117 | 28 | 1.39 |
| 1967 | 19歳 | 23 | 12 | 2 | 149 | 82 | 36 | 2.17 |
| 1968 | 20歳 | 40 | 17 | 10 | 206 2/3 | 142 | 76 | 3.30 |
| 1969 | 21歳 | 41 | 14 | 13 | 236 2/3 | 160 | 82 | 3.11 |
| 1970 | 22歳 | 42 | 18 | 10 | 282 2/3 | 228 | 65 | 2.07 |
| 1971 | 23歳 | 40 | 14 | 8 | 226 | 155 | 78 | 3.11 |
| 1972 | 24歳 | 48 | 26 | 9 | 312 | 203 | 101 | 2.91 |
| 1973 | 25歳 | 39 | 12 | 17 | 221 | 113 | 111 | 4.52 |
| 1974 | 26歳 | 46 | 19 | 11 | 276 2/3 | 127 | 82 | 2.66 |
| 1978 | 30歳 | 35 | 12 | 9 | 201 | 113 | 79 | 3.54 |
| 1979 | 31歳 | 24 | 4 | 7 | 86 1/3 | 59 | 64 | 6.70 |
| 1983 | 35歳 | 11 | 1 | 0 | 19 2/3 | 9 | 9 | 4.12 |
すべて巨人の一軍公式戦成績。年齢は各年12月31日時点の満年齢。防御率はNPB公式の掲載値を採用した。過去の一部年度は現在の一般的な四捨五入と差があり、1979年は86回1/3・自責点64からの計算値約6.67に対して公式表示が6.70となっている。1979年の差の理由は未確認[1]。
◇1967年は防御率2.17でも12勝2敗
2年目は23登板、149回、自責点36、防御率2.17、12勝2敗。勝率.857で2年連続の最高勝率となった。最優秀防御率は阪神・権藤正利の1.40で、堀内の連覇はならなかった[1][11]。
◇10月10日には広島戦でノーヒットノーラン
1967年10月10日、後楽園球場での広島22回戦。堀内は9回無安打無失点で11対0の勝利を挙げ、打者としても3打席連続本塁打を放った。NPB公式の無安打無得点試合一覧にも、この3本塁打が記載されている[3][13]。
同年の打撃成績は54打数13安打、4本塁打、12打点、打率.241。その4本塁打のうち3本を、ノーヒットノーランの1試合で放ったことになる。背番号も入団時の21から、1967年に18へ変わった[1][5]。
◇1972年は26勝で最多勝とMVP
1972年は48登板、312回、26勝9敗、203奪三振、防御率2.91。最多勝、最高勝率、MVP、2度目の沢村賞を獲得した。ただし、この年の最優秀防御率はヤクルト・安田猛の2.08。堀内の防御率タイトルは新人年の1回だけだった[1][3][12]。
◇最優秀防御率は新人年の1度だけ
1966~1978年に13年連続で2桁勝利を記録。通算560登板、203勝139敗6セーブ、1865奪三振、防御率3.27。沢村賞は2度、最高勝率3度、最多勝1度に対し、最優秀防御率は1966年の1度だった[1][3]。
1983年まで現役で出場し、2008年に野球殿堂入り。18歳のタイトルを出発点として、V9期の主力投手へとつながるキャリアを築いた[1][3]。
集計範囲と年齢の扱い
対象はNPB一軍公式戦のシーズン最優秀防御率。1リーグ時代とセ・パ両リーグを含み、二軍・オープン戦・日本シリーズ・MLBは除く。年齢は受賞年12月31日時点の満年齢で計算した。1948年1月16日生まれの堀内は、1966年の公式戦期間中も年末も18歳だった[1][2][3][4]。
歴代最優秀防御率の受賞年は記録専門サイトの一覧を参照し、堀内の個人成績・生年月日・受賞歴はNPB公式と野球殿堂博物館で照合した。歴代全投手の資格を原スコアから独立に再集計したものではない。1966年のリーグ順位表はセ・リーグのみを対象とした[1][2][3][4][9][10]。
2026年の最優秀防御率はセ・リーグが村上頌樹(1.85)、パ・リーグが平良海馬(1.36)で、18歳の最年少記録は更新されていない。1966年の個別試合の詳しい投打成績は記録専門サイトの二次集計に依拠する。資料確認日:2026年10月21日[7][8][14][15]。