記録の歴史
NPB通算無四球試合ランキングTOP20
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四球を与えずに試合を投げ切る無四球試合。歴代の通算上位投手は、どのように記録を積み上げたのか。完投数やシーズン記録と比較する。
概要
NPB一軍公式戦の通算無四球試合。2026年度シーズン終了現在のNPB公式「無四球試合【通算記録】」上位20投手を対象とする。完投・完封勝の公式通算記録、無四球試合のシーズン記録、2025・2026年度のリーグ最多、2026年10月7日時点の現役通算記録と比較する。二軍、MLB、ポストシーズンは含めない。
無四球試合は、投手が四球を与えずに試合を投げ切った記録で、単に「1試合の登板で四球ゼロだった回数」とは異なる。四球を与えないことと無失点で抑えることも別であり、ここでは通算順位に完投数と登板数を重ねて、記録を作った投球機会の違いを見る[1][2][3]。
詳細
NPB通算無四球試合ランキングTOP20
NPB公式の歴代通算ランキング1位は鈴木啓示の78試合、2位は小山正明の73試合、3位は野口二郎の57試合。7位、9位、15位に同順位があり、18位の28試合には杉浦忠・城之内邦雄・山内孝徳の3投手が並ぶ。今回は歴代20位以内の全20投手を同じ表に収めた[1]。
無四球試合、登板、実働期間、順位はNPB公式の通算記録。100登板あたり=通算無四球試合÷通算登板×100。先発だけでなく救援登板も分母に含むため、投手の制球力を単独で評価する数字ではない。★は歴代1位を示す[1]。
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通算最多の78無四球試合は2位の73より5多く、18位タイの28とは50の差がある。上位20投手の単純平均は約40.0試合で、最多記録はそれより約38.1試合多い。50試合以上を記録したのは鈴木・小山・野口の3人で、60試合以上は鈴木と小山に限られる[1]。
上位20投手の無四球試合合計÷20で平均を算出。NPBの全投手の平均ではない。基準は2026年度終了現在のNPB公式表[1]。
完投数と重ねると別のランキングになる
◇最多完投の金田正一は無四球試合7位タイ
通算完投1位は金田正一の365、無四球試合1位の鈴木啓示は340完投で歴代3位。ところが無四球試合は鈴木78に対して金田39と、ちょうど2倍の差がある。小山正明も290完投で73無四球試合を記録しており、「最後まで投げ切った数」と「四球なしで投げ切った数」は同じ順位にならない[1][2]。
完投に占める割合=通算無四球試合÷通算完投×100。NPB公式に掲載された両部門の値から独自に計算した参考値で、公式の「無四球率」という指標ではない。対象は比較用に選んだ10投手であり、全投手の頻度順位ではない[1][2]。
◇白木義一郎と土橋正幸は「完投中の割合」で目立つ
白木義一郎は160完投のうち39試合が無四球で約24.4%、土橋正幸は134完投のうち46試合で約34.3%。一方、金田正一は365完投・39無四球試合で約10.7%だった。無四球試合の絶対数だけではなく、完投した試合の中でどれほど記録したかを見ると、別の投手の特徴が際立つ[1][2]。
◇登板数を分母にすると救援起用の影響も受ける
白木は242登板で39無四球試合、金田は944登板で39無四球試合。100登板あたりは前者約16.1試合、後者約4.1試合となる。しかし通算登板数には途中から投げた救援登板も含まれる。長年の投手起用や役割の差を補正した数字ではないため、本文では完投に対する割合も併記した[1][2]。
シーズン最多は13試合、近年の最多は数試合
◇1948年の野口二郎が年間13無四球試合
NPB公式のシーズン最高は1948年の野口二郎(阪急)の13試合、2位は1979年の高橋直樹(日本ハム)の11試合。10試合の記録には小山正明、土橋正幸、鈴木啓示の複数シーズンに加え、1982年の江川卓も並ぶ。シーズン記録が最も高い投手と、通算記録が最も高い投手は異なる[4]。
1948~1988年のシーズン記録はNPB公式シーズン歴代表(2025年終了現在)。年度の登板は「その年の登板数」。2025・2026年リーグ最多はNPB各年度の公式リーダーズに基づく。表中の「—」は登板数をここでは比較していないことを示す[4][5][6][7][8]。
◇長い現役期間の通算記録と単年のピークは別物
野口二郎は1948年に13無四球試合を記録したが、通算では57で3位。対して通算最多の鈴木啓示は1967年と1978年に各10無四球試合を記録し、20年間のNPBキャリアで計78に達した。1年に集中して記録を出すことと、何年も安定して積み上げることでは評価の観点が変わる[1][4]。
ランキング上位投手の意外なエピソード
◇鈴木啓示は近鉄一筋で78無四球試合
鈴木は1966~1985年に近鉄一筋で登板し、317勝、通算3,061奪三振を記録した。野球殿堂博物館も「歴代1位の最多無四球試合78」を業績として紹介している。1968年と1971年にはノーヒットノーランを達成。制球力に関わる無四球記録と、強力な投球内容のエピソードを併せ持つ[1][9]。
◇小山正明は320勝と高い制球力を長年維持
小山は1953~1973年に阪神、東京・ロッテ、大洋で登板し、通算320勝、3159奪三振を記録。野球殿堂博物館は投球を「針の穴を通す」と評された抜群の制球力と紹介する。1958年と1962年には10無四球試合を記録し、通算でも73で2位となった[1][4][10]。
◇野口二郎は無四球試合の年間最多と延長28回完投
野口は1948年に13無四球試合を記録し、現在もシーズン記録の1位。さらに1942年には延長28回を1人で完投したと野球殿堂博物館が紹介している。投手を継投せず長いイニングを任せた時代背景を考える上でも、通算3位57無四球試合は興味深い記録である[1][4][11]。
◇土橋正幸は完投数のわりに無四球試合が多い
土橋は455登板・134完投に対して46無四球試合で歴代4位。完投の約34.3%が無四球試合だった計算になる。1959年と1961年には、それぞれ年間10無四球試合を記録した。特定のシーズンだけの偶然ではない点も、通算順位の高さから読み取れる[1][2][4]。
◇山田久志はサブマリン投法で通算42無四球試合
山田は阪急一筋20年間で284勝・654登板を記録したアンダースロー投手。野球殿堂博物館によれば17年連続2桁勝利、12年連続開幕投手を務めた。通算42無四球試合で歴代6位に入り、長期にわたる先発起用と記録が重なっている[1][12]。
◇北別府学は1988年に年間9無四球試合
北別府は1976~1994年に広島一筋で投げ、通算213勝。野球殿堂博物館も抜群の制球力を評価している。1988年には年間9無四球試合を記録し、通算36で高橋直樹と並ぶ9位。昭和末期にもシーズン記録上位に残る投球を見せた[1][4][13]。
◇金田正一は歴代最多400勝・365完投でも無四球は39試合
金田はNPB歴代最多の400勝、365完投、5,526回2/3を投げ、通算与四球も最多の1,808を記録している。一方、無四球試合は39で白木義一郎と7位タイ。優れた投手であっても、投げた球数や投球回、勝負のスタイルによって四球記録は大きく異なることを示す対比である[1][2][14][15]。
◇藤本英雄は日本プロ野球初の完全試合も達成
藤本は通算367登板・35無四球試合で11位。1950年には日本プロ野球史上初の完全試合を達成し、その試合は92球だったと野球殿堂博物館が伝える。完全試合は無四球試合より条件が厳しい別の記録だが、両方の記録で知られる投手である[1][16]。
現役投手と比較すると時代の変化が分かる
◇現役最多でも14無四球試合
NPB公式の2026年10月7日時点では、現役最多は涌井秀章の14無四球試合。石川雅規13、田中将大12、岸孝之11、大野雄大と加藤貴之が各10で続く。歴代20位ライン28の半分が現役最多で、歴代1位と現役最多には64試合の差がある[1][17]。
現役順位はNPB公式「無四球試合【通算記録(現役選手)】」の2026年10月7日時点。歴代表は2026年度シーズン終了現在で、両者の集計時点表示には若干の違いがある[1][17]。
◇現代は無四球の投球でも完投しなければ数えられない
近年は先発投手を途中で交代し、救援投手につなぐ起用も一般的である。先発が7回まで四球を出さなくても、その時点で交代すれば通算無四球試合の記録にはならない。記録の差を投手個人の制球技術だけで説明することはできず、完投機会の減少や登板の役割の違いも考慮する必要がある。
このランキングから分かること
通算無四球試合は、与四球の少なさだけを競うランキングではない。最後まで投げ切る起用、登板を重ねる期間、ボール球を使う投球の違いが記録の成立に関わる。鈴木啓示の通算78試合と野口二郎の年間13試合、白木義一郎や土橋正幸の高い完投中割合を比べると、同じ「無四球」の数字に複数の投手像が隠れていることが分かる。
集計条件:NPB一軍公式戦の「無四球試合【通算記録】」を採用。2026年度シーズン終了現在の上位20人を同順位込みで掲載。シーズン歴代表は2025年度終了時点、現役通算は2026年10月7日時点。100登板あたり=無四球試合÷通算登板×100、完投に占める割合=無四球試合÷通算完投×100。いずれも計算上の参考指標であり、NPB公式の独立した順位ではない。確認日:2026年10月9日。