詳細
◇受賞回数と受賞位置数
| 受賞位置 | 受賞年 | 受賞回数 |
|---|---|---|
| 遊撃手 | 1988 | 1回 |
| 二塁手 | 1995・1996・1997 | 3回 |
| 三塁手 | 2003 | 1回 |
| 合計 | 異なる守備位置は3種類 | 5回 |
同じ二塁手での3回を、位置数では1と数える。したがって「受賞5回」と「受賞位置3ポジション」は別とする[A1][A5]。
立浪の受賞位置が増えた道のり
◇高卒新人が遊撃手の名手に
1988年、PL学園から入団した立浪は遊撃手として受賞し、新人王も獲得した。高卒新人でのゴールデングラブ賞受賞は、野球殿堂博物館でも特記される実績だ。打撃成績は打率.223、4本塁打、18打点だったが、22盗塁も記録。打者として完成する前に、守備で評価を得ていた[A5][A6][A7]。
◇肩の事情から二塁へ
SPAIAの回顧記事は、1992年の二塁転向について、右肩の不安を抱えた立浪が自ら希望したと紹介している。その後、1995〜1997年に二塁手として3年連続受賞。遊撃から二塁への変更が、受賞歴の終わりにはならなかった[B1][A1]。
◇内野の再編を経て三塁へ
山田久志監督は日刊スポーツの回顧記事で、2002年に立浪を三塁へ戻し、福留孝介を外野へ転向させるなど、守備位置を組み直した経緯が語られている。立浪の三塁での受賞は翌2003年。個人の状態だけでなく、チーム全体の配置変更の中で、新たな受賞位置が加わった[B2][A1]。
◇受賞したシーズンの成績
| 年 | 受賞位置 | 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 失策数 | 守備率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | 遊撃手 | 110 | 75 | .223 | 4 | 18 | 22 | 10 | .974 |
| 1995 | 二塁手 | 126 | 147 | .301 | 11 | 53 | 10 | 7 | .989 |
| 1996 | 二塁手 | 130 | 165 | .323 | 10 | 62 | 2 | 8 | .988 |
| 1997 | 二塁手 | 133 | 133 | .269 | 14 | 55 | 8 | 11 | .983 |
| 2003 | 三塁手 | 135 | 140 | .280 | 13 | 80 | 2 | 15 | .946 |
各年とも中日。「試合」はシーズン全体の出場試合数。失策数・守備率は、各年に受賞した位置での成績で、他の位置との合計ではない。打撃・走塁成績はNPB、守備成績は「日本プロ野球記録」の年度別・位置別記録を参照した。1995年は二塁手で7失策(遊撃手での1失策を含めた年間合計は8失策)[A7][B6]。
◇同じ年に2000安打も達成
3ポジション目を受賞した2003年には、7月5日の巨人戦(東京ドーム)で通算2000安打に到達した。最終的には通算2480安打、487二塁打を記録。守備位置を変えて出場を続けた歩みは、栄えある通算打撃成績にも重なっている[A6][A9]。
◇投票結果と本人の振り返り
2003年の三塁手部門では、立浪が有効投票163票中118票を獲得した。次は片岡篤史の7票で、「該当者なし」は35票。守備率など一つの数字で自動的に決まる賞ではなく、記者投票によって選ばれたことも押さえたい[A4][A8]。
2026年10月5日掲載の記事は、東海テレビの番組で立浪が三つの位置での受賞を振り返り、三塁での受賞を「ご褒美的なところかな」と表現した発言を紹介している。[B5]。
◇複数ポジションの受賞者全員
以下は2025年までの全18人。同じ選手が複数年受賞しても人数は1人。受賞順に位置と年を並べ、受賞回数も添えた。「さまざまな位置を守った選手」ではなく、「複数の部門で実際に受賞した選手」の一覧である[A1][A2][A3]。
| 選手名 | 位置数 | 受賞位置と年 | 受賞回数 |
|---|---|---|---|
| 立浪和義 | 3 | 遊撃手:1988 二塁手:1995〜1997 三塁手:2003 | 5回 |
| 坂本勇人 | 2 | 遊撃手:2016〜2017・2019〜2021 三塁手:2024 | 6回 |
| 宮本慎也 | 2 | 遊撃手:1997・1999〜2003 三塁手:2009〜2012 | 10回 |
| 小久保裕紀 | 2 | 二塁手:1995 一塁手:2010〜2011 | 3回 |
| 小笠原道大 | 2 | 一塁手:1999〜2002・2006 三塁手:2003 | 6回 |
| 岡本和真 | 2 | 三塁手:2021〜2022 一塁手:2024 | 3回 |
| 浅村栄斗 | 2 | 一塁手:2013 二塁手:2019 | 2回 |
| 片岡篤史 | 2 | 一塁手:1996 三塁手:1997〜1998 | 3回 |
| 石井琢朗 | 2 | 三塁手:1993〜1995 遊撃手:1998 | 4回 |
| 石毛宏典 | 2 | 遊撃手:1981〜1983・1985〜1986 三塁手:1987〜1988・1991〜1993 | 10回 |
| 稲葉篤紀 | 2 | 外野手:2006〜2009 一塁手:2012 | 5回 |
| 藤田平 | 2 | 遊撃手:1973・1975 一塁手:1981 | 3回 |
| 西岡剛 | 2 | 二塁手:2005 遊撃手:2007・2010 | 3回 |
| 西村徳文 | 2 | 二塁手:1985 外野手:1990 | 2回 |
| 金子誠 | 2 | 二塁手:1998〜1999 遊撃手:2009 | 3回 |
| 鈴木大地 | 2 | 二塁手:2017 三塁手:2020 | 2回 |
| 高田繁 | 2 | 外野手:1972〜1975 三塁手:1976〜1977 | 6回 |
| 鳥谷敬 | 2 | 遊撃手:2011・2013〜2015 三塁手:2017 | 5回 |
西岡剛の2007年の登録名はTSUYOSHI。別人として分けず、西岡の遊撃手での受賞に含めた。受賞回数には旧名称「ダイヤモンドグラブ賞」時代も含む[A1][A4]。
◇多い組み合わせと珍しい組み合わせ
◇最も多いのは三塁手と遊撃手
二つの位置の組み合わせを数えると、最多は「三塁手+遊撃手」の6人。ここでは、3ポジションの立浪も、その中に含まれる三つのペアにそれぞれ数える。受賞した位置全体が二つだけの選手に限定すると、このペアは5人になる[A1][A2][A3]。
| 受賞位置のペア | 人数 | 該当選手 |
|---|---|---|
| 三塁手+遊撃手 | 6人 | 立浪和義/坂本勇人/宮本慎也/石井琢朗/石毛宏典/鳥谷敬 |
| 一塁手+三塁手 | 3人 | 小笠原道大/岡本和真/片岡篤史 |
| 二塁手+遊撃手 | 3人 | 立浪和義/西岡剛/金子誠 |
| 一塁手+二塁手 | 2人 | 小久保裕紀/浅村栄斗 |
| 二塁手+三塁手 | 2人 | 立浪和義/鈴木大地 |
| 一塁手+遊撃手 | 1人 | 藤田平 |
| 一塁手+外野手 | 1人 | 稲葉篤紀 |
| 二塁手+外野手 | 1人 | 西村徳文 |
| 三塁手+外野手 | 1人 | 高田繁 |
ペアの延べ人数は20人分=2位置の17人×1組+3位置の1人×3組。実人数18人との違いは、この重複による。三つの位置を合わせた「二塁手+三塁手+遊撃手」は、立浪一人だけである[A1][A2][A3]。
◇位置を変えながら経験で補う
宮本慎也は、賞の公式インタビューで、最後に受賞した2012年には体力が落ちていたものの、経験で増えた引き出しや、若い時期の練習が支えになったと話している。遊撃手と三塁手で計10回受賞した宮本の振り返りからは、長いキャリアの中で守備の持ち味も変わることが分かる[A1][A10]。
ここからは本記事の考察になる。遊撃で培った捕球・送球の技術を生かせることは、三塁との組み合わせが多い一因と考えられる。ただし、年齢や故障のほか、他の選手との配置の兼ね合いでもコンバートは起こる[B1][B2][A10]。
◇投手や捕手との組み合わせはなかった
集計範囲では、投手部門や捕手部門の受賞者が別の位置でも受賞した例はなかった。珍しさの最小単位を「実例のあるペア」とすれば、1人しかいないのは一塁手+遊撃手、一塁手+外野手、二塁手+外野手、三塁手+外野手の四組である[A1][A2][A3]。
内野と外野の両方で受賞した三人
◇高田繁 外野手から三塁手へ
高田は外野手で1972〜1975年に4年連続受賞し、三塁手へ移った1976・1977年にも受賞した。賞の創設が1972年なので、それより前の好守を受賞回数として足すことはしない。この一覧では、高田が最初に内外野の両部門をそろえている[A1][A4]。
週刊ベースボールの回顧記事は、巨人が張本勲を補強した1976年、高田を三塁へ回し、ジョンソンを本来の二塁へ置いた布陣を紹介する。自分だけの問題ではなく、打線と守備を両立させるチームの再編だった。高田はこの年、打率.305、13本塁打、58打点、17盗塁。守備の転向と打撃の好成績を同じシーズンに残した[B3][A11]。
◇西村徳文 二塁手から外野手へ
西村の受賞は、1985年の二塁手と1990年の外野手。内野から外野への転向で両部門をそろえたのは、この三人では西村だけだった。VICTORYの紹介記事は、1989年の骨折と、その間の若手の台頭を経て、中堅へ転向したと説明している[A1][B4]。
1990年には打率.338で首位打者も獲得した。117試合、148安打、3本塁打、38打点、35盗塁で、守備の配置が変わっても走攻両面の強みを示したシーズンだった[A12][A13]。
◇稲葉篤紀 外野手から一塁手へ
稲葉は2006〜2009年に外野手で4年連続受賞し、2012年には一塁手部門を獲得。公式インタビューでは、一塁は簡単だと思われがちでも、ボールに触る機会が多く、プレーに細かい注意を求められることを話している[A1][A10]。
2012年の一塁守備は103試合、刺殺912、補殺50、失策3、併殺65、守備率.997。パ・リーグの規定到達者の中で一塁手の守備率トップだった。ただし、その順位だけでゴールデングラブ賞が自動的に決まったわけではない[A14][A15][A4]。
◇藤田平は一塁手と遊撃手
内外野の組み合わせではないが、藤田の「遊撃手+一塁手」も該当者は一人。遊撃手で1973・1975年、一塁手で1981年に受賞した。守備の賞から経歴をたどると、外野への転向ばかりでなく、同じ内野でも役割の異なる位置をまたいだ選手が見えてくる[A1][A2]。
記録の読み方と集計の範囲
◇便利に守れることと受賞位置の多さは別
賞は記者投票で決まり、野手にはその位置で一定以上の試合に出場する資格条件がある。複数の位置を日替わりで守る選手は、守備能力が高くても、その位置の候補資格や投票上の評価を得るとは限らない。この記録は「何種類の位置を守れたか」そのものではなく、複数の位置で受賞まで到達した実績を測る[A4]。
たとえば小久保裕紀は、二塁手で1995年、一塁手で2010・2011年に受賞している。2010年の公式インタビューでは、派手な好プレーより、取れるアウトを確実に取ることを重視したと語った。最初と次の受賞が15年離れていても、位置数では二つ。回数と位置数を分けることで、長く違う役割に適応した経歴も読み取れる[A1][A16]。
◇集計条件
対象は日本プロ野球の1972年のダイヤモンドグラブ賞創設から、2025年の三井ゴールデン・グラブ賞まで。セ・パ両リーグを合わせ、移籍や登録名変更があっても同一人物は一人にまとめた。実際の受賞部門を数え、過去の守備成績から受賞を遡及認定することはしない。外野は左翼・中堅・右翼を区別せず一部門。MLBなど他国の賞や、受賞せず守っただけの位置は含めない[A1][A2][A3][A4]。
主催者の年度別受賞者一覧を位置ごとにまとめ、1972〜2024年はポジション別一覧との突き合わせでも一致を確認。2025年はNPBの受賞者発表を加えた。人数・組み合わせの頻度は、これらを用いた本記事独自の集計である。2026年分は確認時点で未発表のため対象外。確認日は2026年10月6日[A1][A2][A3]。
◇資料の食い違いと推察の扱い
SPAIAの立浪の回顧記事には受賞回数を4回とする記述があるが、公式一覧では5回なので、回数は公式記録を採用した。VICTORYの西村紹介には「内野と外野の両方での受賞は史上初」とする趣旨の記述があるが、主催者の受賞歴には、それ以前の高田の実績がある。本記事では、その最初の受賞者に関する記述を採用せず、コンバートの経緯を知る二次資料として参照した。球団事情・故障などの背景は資料に記された範囲で紹介し、組み合わせの多さの理由は本文で考察と明示した[A1][B1][B4]。