同時獲得した人が最も少ないタイトルの組み合わせ

三冠王は難易度が高い最も有名な組み合わせだが、タイトルの取り合わせを変えると、さらに達成者が少ない組み合わせがある。

一般的には?

打率、本塁打、打点の三部門を同じシーズンに制するのが三冠王。ただし、冠の数が多いほど、いつでも達成者が少なくなるとは限らない。打撃と走塁、先発と救援のように、別の能力や役割を求められる記録の同時獲得は、違った難しさを持つ。今回は、同じ選手が同じリーグの同じシーズンに、二つ以上の記録部門で一位となった組み合わせを比べる。

打撃三冠王の達成者数
8人

答え

各組み合わせの達成者数1人

達成者の最少は1人。同率の組み合わせが複数あり、代表的な二冠は山田哲人の「本塁打王+盗塁王」と、イチローの「打点王+盗塁王」。投手では新浦寿夫の「最優秀防御率+最高勝率+最多セーブ」も、過去の部門一位を認める今回の条件で該当する[A3][A6][A10][B1][B2][B3][B4][B5][B6][B7][B8][B9][B10][B11][B12]。

年
1968年 1969年 1970年 1973年 1974年 1977年 1995年 2015年
選手
王貞治(1968年) 王貞治(1969年) 王貞治(1970年) 王貞治(1973年) 王貞治(1974年) 新浦寿夫(1977年) イチロー/平井正史(1995年) 山田哲人(2015年)
チーム
読売ジャイアンツ(1968年) 読売ジャイアンツ(1969年) 読売ジャイアンツ(1970年) 読売ジャイアンツ(1973年) 読売ジャイアンツ(1974年) 読売ジャイアンツ(1977年) オリックス・ブルーウェーブ(1995年) 東京ヤクルトスワローズ(2015年)
カテゴリ
選手・キャリア

普通と比べると

打撃三冠王の達成者数
8人
最少の同時獲得達成者数
1人

達成者数は三冠王の8分の1

計算:1÷8=0.125。どちらも2025年終了までの異なる選手の人数。同一選手の複数回達成は1人とし、三冠王の延べ12度とは比べない。これは歴代の達成者数の比較で、達成確率や競技上の難易度が8倍違うという意味ではない。部門ごとに記録が残る期間も異なる[A1]。

詳細

上の選手・年は、廃止された記録タイトルも含めた本調査の該当者。全員が同じ組み合わせを達成した、という意味ではない。現行の主要12部門による集計と、廃止部門を加えた集計は、以下で分けて示す。

◇集計の条件

◇人数と回数を分ける

同じ人が別の年にも達成した場合は、人数を増やさない。同率一位も認める。また、五部門を同時に獲得した選手は、そのうちの二部門、三部門、四部門の組み合わせにも含める。「その年に獲得したタイトルの全体が完全に一致すること」を条件にはしない。未達成の組み合わせは0人として最少にせず、実際に達成例があるもの同士を比べる。

◇現在の主要部門と廃止部門

区分集計する記録部門
打者の主要6部門打率、本塁打、打点、盗塁、安打、出塁率
投手の主要6部門防御率、勝利、勝率、奪三振、セーブ、最優秀中継ぎ
廃止部門を含める追加集計最多出塁数、最多勝利打点、セーブポイントによる最優秀救援

最優秀中継ぎは現行のホールドポイントだけでなく、旧制度のリリーフポイントや旧ホールドの受賞記録も同じ系統として扱う。セーブと、旧最優秀救援のセーブポイントは異なる記録なので、追加集計では別部門にする。同じ名前に見える賞でも、物差しが変わったことを隠さない[B11][B12]。

◇過去の一位をどこまで認めるか

表彰開始前でも、公表された歴代一覧に部門一位が掲載されている場合は認める。最多安打、最高出塁率、最多奪三振などがこれに当たる。率の部門は規定打席・投球回や当時のタイトル資格条件に基づく掲載者を採用し、少数の出場で残した高率を無条件に一位にはしない。勝率は、受賞者が明示される時代にはその選手を優先し、未表彰の時代は一覧に載る資格付きの一位を採用した[B1][B5][B6][B7][B9][B10]。

セーブは1974年以降、ホールド等の中継ぎ記録は資料に掲載がある年からを採用した。記録のない昔の試合へ現在の判定基準を当てはめ、セーブやホールドを新たに作ることはしていない。最多出塁数・最多勝利打点は、廃止前に実際にタイトルとして掲載された期間だけを集計した[B6][B11][B12][B13]。

◇一覧から組み合わせを作る

歴代一覧の各年・各リーグ・各選手について、該当する部門をまとめ、二つ以上のすべての部分集合を生成した。各組み合わせの異なる選手数を数えると、主要12部門では「達成者1人」が14組。廃止3部門を加えると38組になった。以下の一覧は本記事独自の集計であり、NPBが公表した組み合わせランキングではない[B1][B2][B3][B4][B5][B6][B7][B8][B9][B10][B11][B12][B13]。

◇現行部門で達成者が1人の組み合わせ

表は主要12部門の記録を過去へ遡って集計した14組の全件。名称は短くしたが、「打率」は首位打者、「出塁率」は最高出塁率などのリーグ一位を意味する。全件の歴代照合は[B1][B2][B3][B4][B5][B6][B7][B8][B9][B10][B11][B12]。該当シーズンの成績は[A2][A3][A4][A5][A6][A9][A10]。

同時に一位だった組み合わせ唯一の達成者年/リーグ
打点+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+安打+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+打点+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+打率+盗塁イチロー1995/パ
安打+打点+盗塁イチロー1995/パ
打点+打率+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+安打+打点+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+安打+打率+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+打点+打率+盗塁イチロー1995/パ
安打+打点+打率+盗塁イチロー1995/パ
出塁率+安打+打点+打率+盗塁イチロー1995/パ
本塁打+盗塁山田哲人2015/セ
出塁率+本塁打+盗塁山田哲人2015/セ
セーブ+勝率+防御率新浦寿夫1977/セ

◇同じ偉業を細分化した結果でもある

14組は、14人の選手や14シーズンの偉業を意味しない。イチローの五部門同時一位から11組、山田の三部門同時一位から2組、新浦から1組が生まれている。たとえば「打点+盗塁」に出塁率や安打を足しても、該当者はイチローのまま。そこで本文は、五部門や三部門を制したシーズンの姿を中心にたどる。

なお「打率+出塁率+盗塁」と「安打+出塁率+盗塁」は、打点を含まなくても1人になる組み合わせ。「本塁打+盗塁」だけが唯一の答え、と断定すると、こうした同率の組み合わせを落としてしまう。

◇打点を稼ぎながら盗塁でも頂点へ

◇イチロー オリックス・ブルーウェーブ 1995年

試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打
13061352410417923425
打点盗塁盗塁刺四球死球打率長打率出塁率
804996818.342.544.432

成績の出典はNPB個人年度別成績。首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率の五部門を同時に獲得した[A2][A3][A4]。

◇打点王は三人で分け合った

順位選手名球団打点
1イチローオリックス80
1初芝清千葉ロッテ80
1田中幸雄日本ハム80

イチローの80打点は単独最多ではなく、三人が同数で並んだ。一方、盗塁は49でリーグ最多。本記事では同率のタイトルも認めるため、二冠はそのまま成立する[A3]。

◇三冠王にも届きそうだった五冠の年

本塁打は25本で、本塁打王・小久保裕紀の28本まで3本差。三冠王には届かなかったが、打率は2位の堀幸一の.309を大きく上回った。前年の210安打に続き、この年も130試合に出場し、安打だけでなく得点を生む打撃と走塁までリーグの頂点へ広げた[A2][A3]。

◇神戸のチームが初めてつかんだ優勝

オリックスは9月19日、西武球場の西武戦で球団名変更後初のリーグ優勝を決め、82勝47敗1分で終えた。同じ年の球団史には、イチローの18死球と、平井正史の42セーブポイントがパ・リーグ新記録として残る。五冠の打者と、勝利を重ねる救援投手が同じ優勝チームにいた[A3][A20]。

日本シリーズではヤクルトに1勝4敗。五冠とリーグ優勝の年が、そのまま日本一の年だったわけではない。翌年の日本一と混同しない[A21]。

◇本塁打と盗塁で二つの王座

◇山田哲人 東京ヤクルトスワローズ 2015年

試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打
14364655711918339238
打点盗塁盗塁刺四球死球打率長打率出塁率
100344815.329.610.416

NPBの表彰一覧でも、本塁打38、盗塁34、出塁率.416の三部門を確認できる。三冠王の三部門とは別の取り合わせで、史上初の本塁打王と盗塁王の同時獲得だった[A5][A6][C1]。

◇走る機会と長打力を両立させる

本塁打を打った打席には、その後に盗塁する機会はない。それでも山田は、安打や四球で出た走者として盗塁を積み重ねた。34盗塁と4盗塁刺から計算した成功率は約89.5%。計算は34÷(34+4)で、盗塁を企図した記録だけを分母にしている。38本塁打と34盗塁は、単なる長打と脚力のイメージ以上に、試合で両方を実行した成績だった[A5]。

◇主要三部門を仲間で分け合った

山田は打率.329と183安打でもリーグ2位。首位打者と最多安打は川端慎吾の.336・195安打、打点王は畠山和洋の105打点だった。ヤクルトは76勝65敗2分で優勝し、同じ打線から異なる三人が打撃の主要三タイトルを獲得した。山田一人の成績だけでなく、チームの打線全体が印象に残る年でもある[A6][A7]。

◇日本シリーズで三打席連続の本塁打

10月27日の日本シリーズ第3戦では、初回に2ラン、3回にソロ、5回に逆転2ラン。1試合の中で三打席連続本塁打を放ち、一人で5打点を挙げた。ヤクルトは8対4で勝利。日本シリーズで三打席連続本塁打という記録自体には先例があるが、「1試合で三打席連続」という点が史上初だった。シリーズでの本塁打は、38本という公式戦の成績へ加えていない[A8]。

◇表彰の名前だけでは見えない三部門

◇新浦寿夫 読売ジャイアンツ 1977年

登板勝敗セーブ勝率投球回奪三振防御率
441139.786136962.32
完投完封被安打被本塁打与四球与死球失点自責点
51104106013835

最優秀防御率2.32と最高勝率.786はNPB年度別のリーグ・リーダーズに載る。セーブ9は、鈴木孝政と山本和行に並ぶリーグ最多だった。本記事では、この同率一位も現在の最多セーブに相当する記録として認める[A9][A10][B11]。

◇当時の救援タイトルの受賞者は別人

1977年のセ・リーグの救援表彰は、セーブだけでなく救援勝利を加えたセーブポイントによるもの。受賞したのは鈴木孝政で23SPだった。したがって新浦を「当時、セーブ王として表彰された」とは書けない。「現在の部門に相当する過去の一位を認める」という依頼の条件で初めて、この三部門の組み合わせになる[B11]。

◇先発と救援をまたぐ成績

5完投・1完封がありながら9セーブも残した。防御率の資格を満たす136回を投げ、11勝3敗と高い勝率も維持する。先発と救援が強く分業された時代の成績とは違い、複数の役割を担えることが、この組み合わせの背景に見える。これは成績からの読み取りであり、起用意図を証言で確定したものではない[A9]。

◇リーグ優勝の後には苦い最終戦

巨人は80勝46敗4分で優勝し、2位ヤクルトに15ゲーム差をつけた。しかし日本シリーズは阪急に1勝4敗。新浦は10月22日の第1戦で1回を無安打・無四球・無失点に抑えた一方、10月27日の第5戦では敗戦投手となり、加藤秀司に6回の2ランを許した。好成績で迎えた秋にも、勝利だけが並んだわけではない[A10][A11][A11補]。

選手名は当該年度の資料に合わせて「新浦寿夫」とする。現在のNPB個人年度別成績ページの見出しは「新浦壽夫」だが、同じ選手として集計した[A9][A10]。

◇廃止タイトルまで広げると見える二人

◇王貞治と最多出塁数

かつてセ・リーグには「最多出塁数」のタイトルがあった。首位打者とこれを同時に制したのは王貞治だけで、1968・1969・1970・1973・1974年の5シーズンが該当する。5回達成しても、今回の順位は「1人」。現在の最高出塁率とは、数と率という違いがある[A12][A13][A14][A15][A16][A17][B6]。

年試合打率本塁打打点安打四球死球出塁数
1968131.3264911914412110275
1969130.345441031561115272
1970129.32547931381196263
1973130.355511141521244280
1974130.332491071281588294

所属はすべて読売ジャイアンツ。出塁数=安打+四球+死球で、歴代の掲載値とも一致する。NPB個人年度別成績で空欄の当時の出塁率を、NPB掲載値であるかのように補っていない[A12][B6]。

1968年は初の首位打者と49本塁打。1969年は首位打者と本塁打王に加えて156安打が最多となり、1970年も138安打で最多となった。1973年は初の三冠王に152安打の最多も重ね、巨人はリーグ優勝。翌1974年も三冠王を継続したが、チームは中日に次ぐ2位だった。本人の同時獲得とチームの優勝は、同じようには続かなかった[A1][A13][A14][A15][A16][A17][B5]。

◇平井正史の最多セーブと最優秀救援

年登板勝敗セーブ投球回奪三振勝率防御率
1995531552785 1/382.7502.32

平井は27セーブと最高勝率.750に加え、最優秀救援42SPを獲得した。最多セーブ・最高勝率・最優秀救援SPの三つを別部門として扱えば、1人の組み合わせに入る。ただし、同じ救援成績に強く結び付く二指標を含むため、「独立した三つの能力で三冠」と読むのは適切ではない[A3][A18][A19][B11]。

この42SPは当時のパ・リーグ新記録として球団史にも残る。イチローと同じ1995年、打撃の珍しい五冠と救援の珍しい取り合わせが、一つの優勝チームに同居していた。新人王も受賞したが、今回は人数の集計へ加えていない[A19][A20]。

◇追加集計の結果と限界

◇廃止部門を加えて初めて1人になる組み合わせ

最小の組み合わせ達成者該当年
出塁数+打率王貞治1968・1969・1970・1973・1974
出塁数+出塁率+安打王貞治1969・1970・1973
出塁数+安打+本塁打王貞治1969・1970・1973
出塁数+安打+打点王貞治1973
セーブ+勝率+最優秀救援SP平井正史1995

「最小」は、その組み合わせから一部門を外すと達成者が複数になることをいう。より多くの部門を含む同率1人の組み合わせも認めている。表の王の4組を含む拡張形は計23組、平井は表の1組。主要12部門の14組へ、この24組を加えた合計が38組である[B1][B2][B3][B4][B5][B6][B7][B8][B9][B10][B11][B12][B13]。

◇追加24組を再現する条件

王の23組は、実際に一位だった部門だけから二つ以上を選び、①「出塁数+打率」、②「出塁数+出塁率+安打」、③「出塁数+安打+本塁打」、④「出塁数+安打+打点」のいずれかを含む組み合わせを重複なく数えたもの。達成年は1968・1969・1970・1973・1974年のうち、その組み合わせの全部門で一位だった年だけとなる。最多勝利打点を加えても、新たな1人の組み合わせは生じなかった。

◇資料の扱いと調査範囲

確認日:2026-10-06。対象は1936年秋から2025年終了までの日本プロ野球一軍のリーグ公式戦。春秋別のシーズンは別シーズン、二リーグ制では各リーグの一位を対象とする。2026年は未完了のため除外した。打撃と投手をまたぐ組み合わせも生成したが、採用した部門では新たな該当例はなかった。

部門ごとの歴代一覧は民間の記録集を横断集計し、該当者の年度成績・表彰・チーム成績をNPBと球団公式資料で照合した。全年度の全選手の原スコアカードを再集計した調査ではない。特に表彰前の出塁率やセーブ一位は、公表一覧の資格条件と集計範囲に依存する。したがって、38組は本記事で定義した部門・公表記録に基づく結果であり、未記録の救援成績まで含めた絶対的な全史の確定数とはしない。

B9、GG、MVP、新人王、沢村賞などの選考による表彰、月間賞、交流戦だけの賞、日本シリーズなどポストシーズンのタイトル、二軍、MLB、独立リーグは集計対象外。選考要素を含む旧最優秀投手も独立した記録部門として追加していない。最多得点・最高長打率・最多四球など、NPBのリーグ記録タイトルとして採用していない部門も追加していない。

全資料の確認日 2026-10-06。AはNPB・球団・野球殿堂博物館。Bは民間の歴代記録一覧で、人数・組み合わせ数は本記事独自の計算。Cはメディア資料。

以下のB資料はいずれも my favorite giants の公開歴代一覧。一次資料ではない。表彰前の部門一位と、当時の実際の受賞者が別欄になっている資料は、その違いを保って使用した。

何がすごいのか

  • 二冠でも、歴代の達成者数が三冠王より少ない組み合わせがある。
  • 三部門以上を認めると、打撃だけでなく先発と救援をまたぐ投手にも目が向く。
  • タイトル制度の違いを残すことで、同じ「1人」でも、その記録が生まれた理由の違いが見えてくる。

出典