概要
NPB一軍公式戦の通算与死球。NPB公式の2026年度シーズン終了時点の20位以内(同順位を含む21投手)。単年記録はNPB公式の2025年度終了時点の一覧、近年の年間最多は2025・2026年度の両リーグを比較。
与死球は投手が打者に死球を与えた回数を表す。通算数は長く投げた投手ほど増えやすいが、投球回あたりの頻度が同じとは限らない。ここでは歴代順位と投球回、9回あたりの与死球数を並べ、与四球との違いと時代背景も調べる。
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通算で打者に最も多く死球を与えた投手は誰か。歴代上位を投球回や与四球と比べると、記録の積み上がり方に違いが見える。
NPB一軍公式戦の通算与死球。NPB公式の2026年度シーズン終了時点の20位以内(同順位を含む21投手)。単年記録はNPB公式の2025年度終了時点の一覧、近年の年間最多は2025・2026年度の両リーグを比較。
与死球は投手が打者に死球を与えた回数を表す。通算数は長く投げた投手ほど増えやすいが、投球回あたりの頻度が同じとは限らない。ここでは歴代順位と投球回、9回あたりの与死球数を並べ、与四球との違いと時代背景も調べる。
NPB公式の通算与死球ランキングは、東尾修が165個で歴代1位、渡辺秀武が144個で2位、坂井勝二と米田哲也が143個で3位タイ。20位には野村収と北別府学が99個で並び、20位までに21投手が入る[1]。
| 順位 | 投手名 | 与死球 | 投球回 | 9回あたり | 実働期間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 東尾修 | 165 | 4086 | 0.36 | 1969–1988 |
| 2 | 渡辺秀武 | 144 | 2083.2 | 0.62 | 1964–1982 |
| 3 | 坂井勝二 | 143 | 2839.2 | 0.45 | 1959–1976 |
| 3 | 米田哲也 | 143 | 5130.2 | 0.25 | 1956–1977 |
| 5 | 仁科時成 | 142 | 1816.1 | 0.70 | 1977–1988 |
| 6 | 山田久志 | 135 | 3865 | 0.31 | 1969–1988 |
| 7 | 足立光宏 | 130 | 3103 | 0.38 | 1959–1979 |
| 8 | 村田兆治 | 124 | 3331.1 | 0.34 | 1968–1990 |
| 9 | 佐々木宏一郎 | 122 | 2620.1 | 0.42 | 1962–1981 |
| 10 | 平松政次 | 120 | 3360.2 | 0.32 | 1967–1984 |
| 11 | 涌井秀章 | 118 | 2921.2 | 0.36 | 2005–2026 |
| 12 | 村上雅則 | 113 | 1642.1 | 0.62 | 1963–1982 |
| 13 | 小林繁 | 111 | 2029.1 | 0.49 | 1973–1983 |
| 14 | 高橋一三 | 110 | 2778 | 0.36 | 1965–1983 |
| 15 | 小山正明 | 109 | 4899 | 0.20 | 1953–1973 |
| 15 | 西勇輝 | 109 | 2108.2 | 0.47 | 2009–2026 |
| 17 | 今井雄太郎 | 102 | 2030 | 0.45 | 1971–1991 |
| 18 | 若生忠泰 | 100 | 1973.1 | 0.46 | 1955–1970 |
| 18 | 石井一久 | 100 | 2153.1 | 0.42 | 1992–2013 |
| 20 | 野村収 | 99 | 2355.2 | 0.38 | 1969–1986 |
| 20 | 北別府学 | 99 | 3113.2 | 0.29 | 1976–1994 |
順位・与死球・実働期間と表の投球回はNPB公式歴代表[1]に従う。9回あたり=与死球÷投球回×9で小数第3位を四捨五入。投球回の「.1」「.2」は0.1回・0.2回ではなく1/3回・2/3回。★は歴代1位。米田哲也の投球回には公式資料間の表記差があり、後述する。
関連記事選手・キャリア名球会発足後、最初に入会基準を達成した選手は?東尾の165与死球は、2位の渡辺の144個を21個上回る。掲載21投手を1人1件として単純平均した与死球は約120.9個で、東尾は平均より約44.1個多い。掲載21投手のうち19人は100個以上で、20位タイの2人は99個である[1]。
| 対象 | 与死球 | 1位との差 | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| 東尾修 | 165 | — | 通算1位 |
| 渡辺秀武 | 144 | 21 | 通算2位 |
| 坂井勝二/米田哲也 | 143 | 22 | 同率3位 |
| 掲載21投手の単純平均 | 約120.9 | 約44.1 | 参考・人数で平均 |
| 野村収/北別府学 | 99 | 66 | 同率20位 |
平均は20位タイを含む21投手の与死球数を合計し、21で割った値。投球回による加重平均ではない。差は歴代1位165個から算出した[1]。
仁科時成は1,816回1/3で142与死球、米田哲也は5,130回(個人年度別成績)で143与死球を記録した。通算の差はわずか1個だが、9回あたりでは仁科が約0.70個、米田が約0.25個。仁科の方が約2.8倍の頻度だった。米田は与死球ランキングでは3位タイでも、投球回では歴代2位の長期登板を重ねた投手である[1][9][10]。
| 投手名 | 与死球 | 投球回 | 9回あたり |
|---|---|---|---|
| 仁科時成 | 142 | 1816.1 | 0.70 |
| 渡辺秀武 | 144 | 2083.2 | 0.62 |
| 村上雅則 | 113 | 1642.1 | 0.62 |
| 小林繁 | 111 | 2029.1 | 0.49 |
| 西勇輝 | 109 | 2108.2 | 0.47 |
| 若生忠泰 | 100 | 1973.1 | 0.46 |
| 坂井勝二 | 143 | 2839.2 | 0.45 |
| 今井雄太郎 | 102 | 2030 | 0.45 |
| 佐々木宏一郎 | 122 | 2620.1 | 0.42 |
| 石井一久 | 100 | 2153.1 | 0.42 |
掲載21人のうち9回あたり与死球が多い上位10人。全NPB投手の与死球頻度ランキングではない。時代ごとの投球スタイル・球場・打者の構成、救援と先発の違いは補正していないため、単独で投手の優劣や危険性を判断する値ではない[1]。
渡辺秀武は2,083回2/3で144与死球、9回あたり約0.62個。一方、東尾修は4,086回で165個、約0.36個だった。渡辺の通算数は東尾より21個少ないが、投球回をそろえると渡辺の方が与死球の頻度は高い[1]。
小山正明は4,899投球回で109与死球、9回あたり約0.20個。野球殿堂博物館は小山を抜群の制球力を武器にした320勝投手と紹介している。通算与死球で15位タイに入っていても、投球回を基準にすると掲載21人の中では頻度が低い[1][15]。
与四球は四つのボールなどで打者に一塁を与えた回数、与死球は投球が打者に当たり死球として一塁を与えた回数であり、NPBでは別の投手成績として記録される。与死球を多く記録した投手が、必ずしも与四球の最多記録保持者とは限らない。与四球の歴代最多は金田正一の1,808個で、東尾は1,102個だった[11]。
| 投手名 | 与死球 | 与四球 | 投球回 | 注目点 |
|---|---|---|---|---|
| 東尾修 | 165 | 1,102 | 4,086 | 与死球歴代1位 |
| 米田哲也 | 143 | 1,480 | 5,130 | 与四球も歴代2位 |
| 山田久志 | 135 | 909 | 3,865 | 284勝の主力投手 |
| 村田兆治 | 124 | 1,144 | 3,331.1 | 暴投も歴代最多 |
| 涌井秀章 | 118 | 843 | 2,921.2 | 2026年現役で与死球最多 |
| 西勇輝 | 109 | 498 | 2,108.2 | 2026年現役で与死球2位 |
与四球は歴代一覧[11]、現役投手は現役一覧[12]による。米田の投球回は公式の個人年度別成績で5,130回[10]とされる。表は与死球と与四球の実数比較であり、打者との対戦数や投球内容を補正したものではない。
死球が生じた理由は球速、球種、コース、打者の位置や回避行動など複数の条件に左右される。公式の通算与死球数には各投球が故意だったかどうかの内訳がないため、この数字だけで「わざと当てた回数」や投手の性格を断定することはできない。
NPBのシーズン与死球最多は1968年の森安敏明(東映)による22個。2位は2002年のパウエル(近鉄)の21個。通算TOP20に入る村上雅則は1972年に20個、仁科時成は1979年に19個を記録した。累計順位と1年間の最多記録は一致しない[3]。
2026年のリーグ別最多与死球は、セ・リーグが山野太一の10個、パ・リーグは松本晴・九里亜蓮・ジャクソンの各11個。2025年はセ・リーグがジャクソン9個、パ・リーグが今井達也10個だった。シーズン歴代1位22個は2026年パ・リーグ最多11個の2倍に当たる[4][5][6][7]。
| 年度・区分 | 投手 | 与死球 | 投球回 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1968年 | 森安敏明 | 22 | 341.2 | シーズン歴代1位 |
| 2002年 | パウエル | 21 | 216.2 | シーズン歴代2位 |
| 1972年 | 村上雅則 | 20 | 147.1 | 歴代3位タイ |
| 1979年 | 仁科時成 | 19 | 179.2 | シーズン歴代6位タイ |
| 2025年 セ | ジャクソン | 9 | — | 同年リーグ最多 |
| 2025年 パ | 今井達也 | 10 | — | 同年リーグ最多 |
| 2026年 セ | 山野太一 | 10 | — | 同年リーグ最多 |
| 2026年 パ | 松本晴/九里亜蓮/ジャクソン | 11 | — | 3投手が同率最多 |
歴代シーズン上位表はNPB公式の2025年度シーズン終了現在の表示[3]。2025・2026年のリーグ最多は各年度の公式「与死球」リーダーズ[4]~[7]。「—」は投球回をこの比較表の対象にしていないことを示す。
1972年の村上雅則は147回1/3で20与死球、9回あたり約1.22個。一方、1968年の森安敏明は341回2/3で22個、約0.58個。村上のシーズン与死球は森安より2個少ないが、投球回あたりの頻度は村上の方が2倍以上になる[3]。
東尾は1969年に西鉄に入団し、太平洋・クラウン・西武と球団名が変わる中で20シーズン投げた。通算251勝247敗、最多勝2回、MVP2回。野球殿堂博物館は内角を鋭く突く投球を持ち味の一つとして紹介している。ただし、内角への投球と165与死球の因果関係や故意の有無は、通算記録だけからは分からない[1][8]。
米田は22シーズンで949登板、350勝285敗を記録。19年連続2桁勝利も残した。与死球143個は3位タイだが、膨大な投球回を背景にした累計であり、9回あたりの値は約0.25個である[1][9][10]。
山田は阪急のサブマリン投手として通算284勝、17年連続2桁勝利、3年連続MVPを記録した。与死球135個は6位で、3,865投球回に対して9回あたり約0.31個だった[1][13]。
村田は肘の故障から手術と長いリハビリを経て復帰し、通算215勝を記録した。与死球124個で8位に入る一方、野球殿堂博物館は通算暴投148をプロ野球記録として挙げている。投球に関する異なる記録を一緒に見ることも、選手像を知る手がかりになる[1][14]。
仁科は1979年に19与死球、1980年と1981年に各18個を記録し、3年間の合計は55個。通算142個の約39%がこの3年間に集中した。通算で5位に入りながら、投球回に対する頻度でも上位に位置する理由の一部が見える[1][3]。
渡辺は1975年の日本ハムで100投球回、17与死球を記録した。9回あたりに換算すると約1.53個。通算144個のうち約12%をこの年に記録しており、通算2位という積み上げの中にも突出したシーズンがあった[1][3]。
2026年10月7日時点、現役投手の通算与死球では涌井秀章118個、西勇輝109個、石川雅規94個、石川柊太76個、髙橋光成71個が上位。涌井は歴代11位、西は15位タイに入る一方、石川雅規は歴代TOP20の99個まであと5個だった[1][2]。
| 現役順位 | 投手名 | 与死球 | 投球回 | 歴代TOP20との関係 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 涌井秀章 | 118 | 2,921.2 | 通算歴代11位 |
| 2 | 西勇輝 | 109 | 2,108.2 | 通算歴代15位タイ |
| 3 | 石川雅規 | 94 | 3,166 | 20位の99個まで5個 |
| 4 | 石川柊太 | 76 | 940.2 | 20位の99個まで23個 |
| 5 | 髙橋光成 | 71 | 1,337.1 | 20位の99個まで28個 |
現役順位と数値はNPB公式「与死球【通算記録(現役選手)】」の2026年10月7日現在[2]。歴代20位の99個との比較は公式歴代表[1]による。現役選手の数値・順位は今後変わる可能性がある。
通算与死球ランキングの上位には、東尾修のように長くエースとして投げた投手も、仁科時成や渡辺秀武のように投球回あたりの与死球頻度が高い投手もいる。米田哲也と仁科時成は総数が143個と142個で並ぶように見えても、9回あたりでは約0.25個と約0.70個。単なる総数だけでなく、投球回・年度ごとの偏り・与四球を重ねることで、記録の意味は大きく変わる。
集計条件:NPB一軍公式戦の与死球。歴代表は2026年度シーズン終了現在、現役通算は2026年10月7日現在。20位タイの2人を含む21投手。9回あたりの値は与死球÷投球回×9で、投球回の小数点後の1・2は1/3・2/3回として計算する。NPBの与死球歴代表は米田哲也の投球回を「5,130.2」と表示する一方、公式の投球回通算一覧と個人年度別成績は「5,130」と表示しており、資料間に差がある。表は与死球歴代表どおり、米田に関する本文と比率は個人年度別成績の5,130回を基準とした。両者の小数第2位に丸めた9回あたり与死球は同じ約0.25個となる[1][10][16]。
投手が相手打者に許した安打を数える「被安打」。通算で最も多く打たれた投手は誰なのか。投球回や勝利数を重ねると、その意味が変わって見える。
同じチームに二冠の投手がいても、MVPは別のエースに贈られた。長いイニングを投げ、投手力で勝つチームを支えたベテランの一年を追う。
高校卒業前にプロの世界へ飛び込むのは、今では想像しにくい。日本の職業野球が始まった頃には、さらに若くして球団の門をたたいた選手がいた。
累積タイトルの獲得には、その機会の多さがものを言う。しかし、プロ野球には打席にほとんど立たずに頂点へ届く道もある。