一日に最も多くの公式戦へ出場した選手

一日一試合。ダブルヘッダーすら遠い記憶。では、1日で最も多く試合に出場した記録とは?

一般的には?

通常、選手の一日の出番は一つの試合で終わる。しかし、一軍と二軍を同じ日に行き来する「親子ゲーム」や、同じ日に続けて行うダブルヘッダーもある。では、その二つが重なったとき、個人の出場数はどうなるのだろう。ここでは日本プロ野球の一軍・二軍のリーグ公式戦を対象に、途中出場も一試合と数える。練習試合は含めない。

答え

一日の公式戦出場数3試合

確認できた最多の例は一日3試合。三好守(西鉄)と山田勝国(近鉄)が、1964年7月29日に二軍の公式戦と一軍のダブルヘッダーのすべてに出場した[A1]。

年
1964年
選手
三好守/山田勝国(1964年)
チーム
西鉄ライオンズ/近鉄バファローズ(1964年)
カテゴリ
ルール・珍事

詳細

NPB公式記録員の山本勉による公式サイトのコラムが、二人の出場を明記している。ただし、その記事は「歴代最多」「この二人だけ」と認定した一覧ではない。本稿の答えは、今回確認した公表資料の範囲での最多例であり、全史の唯一性や規則上の個人の絶対上限までは断定しない[A1]。

一日に一試合という通常の開催形態は導入で説明するが、当時の全選手の一日当たり出場数を集計した平均とは比較しない。

◇朝から同じ球場で続いた公式戦

舞台は福岡の平和台球場。午前11時にウエスタン・リーグの西鉄対近鉄7回戦、午後4時30分からパ・リーグの同じカードのダブルヘッダーが組まれた。三つの試合は別球場への移動を挟まず、同じグラウンドで行われた[A1]。

順番試合開始時刻二人の出場
最初二軍 西鉄対近鉄7回戦11:00ともに出場
次一軍 西鉄対近鉄15回戦16:30ともに途中出場
最後一軍 西鉄対近鉄16回戦未確認ともに途中出場

日程・二軍出場の根拠は[A1]、一軍の回戦と出場形態は[B1][B2]。午後4時30分は一軍ダブルヘッダーの開始時刻で、第2試合の開始時刻ではない。二軍戦の終了時刻や、各試合の二人の在場時間は確認できていない。

確認できる当日の成績

◇三好守 西鉄ライオンズ

試合出場形態打数安打打点三振四死球盗塁
二軍出場確認/詳細未確認未確認未確認未確認未確認未確認未確認
一軍 第1試合途中から中堅守備000000
一軍 第2試合代打で記載/打撃完了なし000000

一軍第1試合は、伊藤光四郎の打順で花井悠が代打に出た後、三好が中堅に入っている。第2試合は伊藤の後に代打として記載され、その次に三宅孝夫が代打、さらに西脇興司が中堅として記載される。三好には打数・四死球等の記録がなく、打席の結果は残っていない[B1][B2]。

第2試合を「代打の代打」と読むことはできるが、交代の理由、相手投手との駆け引き、三好が実際に何球見たかまでは、この成績表からは分からない。「0打数」は出場しなかったという意味ではない。NPB公式記事が三試合出場を確認している点と合わせて読む[A1][B2]。

◇山田勝国 近鉄バファローズ

試合出場形態打数安打打点三振四死球盗塁
二軍出場確認/詳細未確認未確認未確認未確認未確認未確認未確認
一軍 第1試合児玉弘義に代わる代打100000
一軍 第2試合竹下光郎の代走000000

第1試合は代打で1打数無安打。三振ではなかったことは分かるが、ゴロかフライかなど、打席ごとの結果は確認できない。第2試合は代打の竹下光郎が安打を打った後の代走で、盗塁は記録されていない[B1][B2]。

◇一日合計の打撃成績にはできない

確認できる一軍2試合だけなら、三好は0打数、山田は1打数無安打。二軍戦の成績は足せないため、これを「その日の全3試合の合計」としては掲載しない。二軍は出場自体が確認済みであり、成績未確認の欄を0で埋めることもしない。二人が三試合すべてをフル出場した、という記録でもない[A1][B1][B2]。

一軍の試合はどう進んだか

◇第1試合は田中勉が完投

一軍の第1試合は西鉄が4対1で勝利。近鉄は3回に1点を先制したが、西鉄は4回と8回に2点ずつ挙げた。西鉄の田中久寿男が2安打3打点、和田博実が1打点を記録している。田中勉は9回を8安打、6奪三振、四死球なしで投げ切った[B1]。

投手成績欄では田中勉の自責点は0。スコア上の1失点とは区別する。失策欄が0でも、自責点が必ず失点と一致するわけではない。この資料では失点に至る全プレーまでは示されないので、自責点0の具体的な経緯は推定しない[B1]。

◇第2試合は井上善夫が完封

続く第2試合も西鉄が2対0で勝った。3回と6回に1点ずつを挙げ、T.ロイには15号本塁打、G.ウイルソンには1打点が記録されている。井上善夫は9回5安打、2四死球、奪三振0で完封した[B2]。

つまり、二人が一日三試合の記録を作った裏で、西鉄の一軍投手陣は二試合とも先発投手が最後まで投げた。三好は守備と代打、山田は代打と代走で出場しており、大量の打席を重ねた猛打の記録というより、出場機会が一日に重なった珍記録と読める[B1][B2]。

こちらも投手九回以上の完封勝利で最も少ない奪三振数は?完封勝利には、三振を積み重ねる快投を思い浮かべる。では、九回以上を一人で投げ切った完封で、奪三振はどこまで少なくできるのだろうか。

◇当時の二人は若手

同年の一軍シーズン成績を並べる。年齢は当日現在で三好が23歳、山田が20歳。二人とも若い外野手だった[A2][A3]。

選手名試合打席打数安打本塁打打点盗塁打率
三好守66837613017.171
山田勝国79636111024.180

出典はNPB個人年度別成績[A2][A3]。試合数に対して打席数は少なく、一軍で毎試合打席を重ねるレギュラーの年間成績とは異なる。三好は翌年95試合・183打席、山田は1969年に113試合・318打席へと出番を増やした。同じ珍記録に名を連ねた二人にも、その後の歩みがある[A2][A3]。

なぜ出場機会が重なったのか

◇同じ球場 同じ相手という条件

確認できる直接の条件は、二軍の前座試合と一軍のダブルヘッダーが同じ日に同じ球場で組まれたこと。西鉄の二軍は1964年から平和台を本拠地としており、一軍戦の前に二軍戦を行うことがあった。球場配置と興行日程が、個人の三試合出場を実現する土台だった[A1]。

◇実戦経験と一軍の控えを両立した可能性

ここからは考察である。一軍での打席が限られる若手なら、二軍戦で実戦機会を得つつ、一軍では代打、代走、守備の出番に備える運用は合理的に見える。当日の出場形態と、年間の少ない打席数はこの読み方に合う。ただし、二軍戦の先発・途中出場の別が不明なので、「二軍ではフル出場して調整した」とまでは言えない[A2][A3][B1][B2]。

また、球場間の移動が不要だったことは、実現しやすさにつながったと考えられる。同じカードだったため両球団で同様の使い方ができた可能性もある。しかし、監督同士の相談、急な昇格、けが人の穴埋め、罰としての起用、記録を狙った出場などを裏付ける記事・証言は、今回確認できなかった。具体的な動機には結論を付けない。

◇低迷していた二球団という背景

1964年の最終成績は、西鉄が63勝81敗6分で5位、近鉄が55勝91敗4分で6位だった。若手の実戦経験と、一軍で使える控え選手の確保を両立したい事情は想像できるが、これはシーズン成績を踏まえた推察である。最終順位だけを原因にして、7月29日の起用意図を決めることはできない[A4]。

◇球場の三試合と 個人の三試合は別の話

今回の内訳は二軍一試合と一軍二試合であり、一軍の同一チームが三試合を続けたトリプルヘッダーではない。個人が異なる階層の公式戦へ出場した点が記録の核心である。NPBの規則改正資料でもダブルヘッダーは4.08で扱われ、第2試合への移行が定められている。ただし、1964年当時の規則全文は今回照合できていないため、現在の条項番号を当時へそのまま当てはめた説明はしない[A1][A5]。

関連する記事から見えること

◇昔のトリプルヘッダーという言葉に注意

Number Webの歴代ダブルヘッダー特集は、1942年5月24日の名古屋対大洋を、球場の三試合目として紹介している。四球団が集まって行う形式で、名古屋と大洋はいずれもその日の二試合目だった。「トリプルヘッダー」という見出しだけから、一人が三試合へ出たと判断することはできない[C1]。

同記事が取り上げる1953年8月9日の東急対近鉄では、第1試合が延長20回となり、第2試合の終了は午後11時49分だった。二試合でも実際の負担は非常に大きくなる。出場試合数だけの比較では、守備イニング、打席数、拘束時間の違いは表せない。今回の二人についても、一日の終了時刻や疲労の程度を想像で数字にしない[C1]。

◇本人の回想と 二軍の詳細は今後の確認課題

直接の三試合出場を確認できた資料はNPBの公式コラムで、当日の一軍成績は民間の歴史的試合データを使用した。本人が「三試合出た」と語る回想や、当日の二軍戦の個人成績を示す公開資料は、今回の調査では確認できなかった。二軍戦の結果・オーダー・各打席と、三好の一軍第2試合の交代理由は未確定のままとする。

NPBのコラムは、1961年以降の二軍スコアカードが整理されていると説明し、参考文献に松井正『二軍史 もう一つのプロ野球』(啓文社書房)を挙げる。原スコアカード、当日・翌日の新聞、書籍の該当ページは、追加調査の候補になる。ただし、本稿ではその書籍本文を未閲覧なので、そこに当日の成績や証言が載っているとは断定しない[A1]。

集計の範囲と確認日

確認日:2026-10-06。対象は日本プロ野球の一軍・二軍リーグ公式戦への、暦日単位の個人出場。代打・代走・守備だけの出場を含む。練習試合、紅白戦、オープン戦、他国リーグ、独立リーグは含めない。全年度の全選手のスコアカードを機械集計したランキングではないため、「確認できた最多例」として掲載する。

全資料の確認日:2026-10-06。AはNPBの公式資料、Bは民間の試合記録、Cはメディア記事。出場確認と当日の個人成績は、資料の役割を分けて扱う。

何がすごいのか

  • 一軍の試合数だけを見ていると見落とす記録が、二軍の記録を重ねることで見えてくる。しかも同じ日に両チームの一人ずつが達成した。三試合という数の珍しさと、打席がなくても出場になる控え選手の役割が、一緒に残された一日である。

出典