詳細
初勝利まで14試合未勝利、12敗・2分
西武は4月7日の近鉄戦で開幕し、16日までに8連敗。17日の阪急戦は引き分け、18・19日に連敗を再開した。21日のロッテ戦も引き分け、22日の同カードでダブルヘッダー2連敗。初勝利直前は0勝12敗2分となった[4]。
| 順位 | 球団 | 試合 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 前期/後期 | 打率 | 防御率 | 得点 | 失点 | 本塁打 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 近鉄 | 130 | 74 | 45 | 11 | .622 | 1 / 2 | .285 | 3.70 | 672 | 531 | 195 |
| 2 | 阪急 | 130 | 75 | 44 | 11 | .630 | 2 / 1 | .281 | 3.84 | 695 | 546 | 193 |
| 3 | 日本ハム | 130 | 63 | 60 | 7 | .512 | 3 / 4 | .266 | 4.09 | 592 | 569 | 131 |
| 4 | ロッテ | 130 | 55 | 63 | 12 | .466 | 4 / 3 | .274 | 4.30 | 576 | 597 | 150 |
| 5 | 南海 | 130 | 46 | 73 | 11 | .387 | 5 / 6 | .276 | 4.86 | 558 | 689 | 125 |
| 6 | 西武 | 130 | 45 | 73 | 12 | .381 | 6 / 5 | .259 | 4.60 | 525 | 686 | 140 |
球団名は当時の略称。年間順位は前・後期の優勝決定方式による。近鉄は前期優勝後、後期優勝の阪急をプレーオフで破ったため、阪急の年間勝率の方が高くてもリーグ優勝した。西武は前期6位、後期5位、年間6位[1][2]。
| 試合目 | 日付 | 相手 | 球場 | 結果 | 西武得点 | 相手得点 | 累計成績 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 4月7日 | 近鉄 | 日本生命球場 | 敗戦 | 0 | 3 | 0勝1敗0分 |
| 2 | 4月9日 | 近鉄 | 日本生命球場 | 敗戦 | 3 | 9 | 0勝2敗0分 |
| 3 | 4月10日 | 阪急 | 阪急西宮球場 | 敗戦 | 2 | 4 | 0勝3敗0分 |
| 4 | 4月11日 | 阪急 | 阪急西宮球場 | 敗戦 | 1 | 7 | 0勝4敗0分 |
| 5 | 4月12日 | 阪急 | 平和台球場 | 敗戦 | 0 | 11 | 0勝5敗0分 |
| 6 | 4月14日 | 日本ハム | 西武ライオンズ球場 | 敗戦 | 1 | 7 | 0勝6敗0分 |
| 7 | 4月15日 | 日本ハム | 西武ライオンズ球場 | 敗戦 | 4 | 8 | 0勝7敗0分 |
| 8 | 4月16日 | 日本ハム | 西武ライオンズ球場 | 敗戦 | 1 | 2 | 0勝8敗0分 |
| 9 | 4月17日 | 阪急 | 西武ライオンズ球場 | 引分 | 3 | 3 | 0勝8敗1分 |
| 10 | 4月18日 | 阪急 | 西武ライオンズ球場 | 敗戦 | 0 | 1 | 0勝9敗1分 |
| 11 | 4月19日 | 阪急 | 西武ライオンズ球場 | 敗戦 | 2 | 4 | 0勝10敗1分 |
| 12 | 4月21日 | ロッテ | 川崎球場 | 引分 | 9 | 9 | 0勝10敗2分 |
| 13 | 4月22日 第1試合 | ロッテ | 川崎球場 | 敗戦 | 0 | 1 | 0勝11敗2分 |
| 14 | 4月22日 第2試合 | ロッテ | 川崎球場 | 敗戦 | 3 | 5 | 0勝12敗2分 |
| 15 | 4月24日 | 南海 | 西武ライオンズ球場 | 勝利 | 4 | 2 | 1勝12敗2分 |
1979年の実施試合だけを掲載。得点は左が西武。4月22日のダブルヘッダーは2試合と数える。球場とスコアは試合記録、初勝利の日付と勝利投手は西武球団公式の記録と照合した[3][4]。
◇引き分けがあっても白星は増えない
17日の阪急戦は3対3、21日のロッテ戦は9対9。引き分けを挟んでも未勝利の試合数は増える。22日のロッテ戦でダブルヘッダー2敗を喫し、24日に初勝利。開幕の4月7日から17日後だったが、記録の対象は日数ではなく勝った試合を含む「15試合」である[4]。
| 対象 | 試合 | 勝 | 敗 | 分 | 得点 | 失点 | 無得点試合 | 1点差敗戦 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初勝利前 | 14 | 0 | 12 | 2 | 29 | 74 | 4 | 3 |
| 初勝利 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 |
日程表から集計。初勝利前は1試合平均2.07得点・5.29失点。失点は自責点と同義ではない。1点差敗戦は4月16日・18日・22日第1試合の3試合[4]。
初勝利前の14試合は29得点・74失点、得失点差はマイナス45点。4試合で無得点、3試合で1得点に終わった。4月18日と22日の第1試合はともに0対1。打線が1点も奪えずに落とした接戦も、白星を遠ざけた[4]。
◇大型補強と根本監督の見通し
1978年オフ、クラウンライターライオンズが西武に譲渡され、福岡から所沢へ移転。田淵幸一、山崎裕之、野村克也らを迎え、新人の森繁和、松沼博久・雅之兄弟も加わった。西武グループの強化方針の下で編成されたチームだった[2]。
週刊ベースボールの回顧によると、根本陸夫監督は優勝にはまだ時間がかかると見ながらも、積極的に戦える戦力がそろったと説明していた。大型補強への期待と、チームづくりには時間が必要という見通しは共存していた[7]。
◇国内オープン戦なしで迎えた開幕
米国で長期間キャンプを張り、現地チームとの練習試合を重ねたが、日本国内でのオープン戦はゼロ。帰国は4月3日、開幕の4日前だった。森繁和は、現地で使えるグラウンドが限られ、練習量が不足気味だったと振り返っている[5][7]。
松沼博久も投内連係やサインプレーの練習不足を挙げている。国内オープン戦を組めなかった背景には、前年秋の球団譲渡に伴う日程調整の混乱があった[9]。
◇新球場初戦で7失策
4月14日、西武ライオンズ球場での初公式戦。立花義家の本塁打で先制したが、7失策を犯して日本ハムに1対7で敗れた。先発の新人・森繁和は5回5失点でも自責点0。捕手の悪送球を外野手がカバーしきれず、打者走者の生還を許す場面もあった[7]。
初勝利前の14試合では計25失策。そのうち7失策、全体の28%が本拠地初戦に集中した。伊原春樹は、守備のミスが続くと「また失敗してはいけない」と体が硬くなることがあったと回想している[7][8]。
◇主力の故障と打線の不振
山崎裕之は海外での練習試合中に左手親指を骨折し、開幕戦に出場できなかった。伊原春樹は、普段はあまり守らなかった二塁で開幕戦に先発したと振り返っている。移籍組の主力を欠いた状態で新チームの公式戦が始まった[8][14]。
田淵幸一は序盤に打撃不振に陥り、新外国人打者の長打も遅れた。補強組をそろえても得点力はすぐには上がらず、14試合のうち7試合で1得点以下。守備の乱れと打線の停滞が重なった[4][7]。
◇初勝利を運んだ新人と救援左腕
4月24日の南海戦。初回は立花の二塁打とミューサーの適時打で先制、4回に相手の失策などを絡めて3点を追加した。松沼博久が8回2失点、永射保が9回を無失点に抑え、西武が4対2で勝利。6安打、失策0の試合で松沼はプロ初勝利を挙げた[3][8][15]。
三塁を守っていた伊原は、勝った瞬間には喜びより安堵を感じたと振り返っている。新球場の公式戦初開催から10日後、選手たちは初めて勝利後のビクトリーロードを上がった[8]。
◇初勝利後も最下位、松沼は新人王
初勝利後も苦戦は続いた。前期18勝40敗7分で6位、後期27勝33敗5分で5位。通年45勝73敗12分で最下位だった。一方、初勝利を挙げた松沼博久はシーズン16勝をマークして新人王。根本監督の下で進めた編成と育成は、のちのライオンズを支える土台となった[1][2][6][16]。
| 年 | 球団数 | 初勝利試合数の合計 | 平均 試合 |
|---|---|---|---|
| 2000 | 12 | 27 | 2.250 |
| 2001 | 12 | 21 | 1.750 |
| 2002 | 12 | 41 | 3.417 |
| 2003 | 12 | 22 | 1.833 |
| 2004 | 12 | 26 | 2.167 |
| 2005 | 12 | 25 | 2.083 |
| 2006 | 12 | 24 | 2.000 |
| 2007 | 12 | 26 | 2.167 |
| 2008 | 12 | 32 | 2.667 |
| 2009 | 12 | 27 | 2.250 |
| 2010 | 12 | 23 | 1.917 |
| 2011 | 12 | 26 | 2.167 |
| 2012 | 12 | 28 | 2.333 |
| 2013 | 12 | 24 | 2.000 |
| 2014 | 12 | 25 | 2.083 |
| 2015 | 12 | 23 | 1.917 |
| 2016 | 12 | 24 | 2.000 |
| 2017 | 12 | 28 | 2.333 |
| 2018 | 12 | 24 | 2.000 |
| 2019 | 12 | 26 | 2.167 |
| 2020 | 12 | 22 | 1.833 |
| 2021 | 12 | 31 | 2.583 |
| 2022 | 12 | 33 | 2.750 |
| 2023 | 12 | 27 | 2.250 |
| 2024 | 12 | 23 | 1.917 |
| 2025 | 12 | 26 | 2.167 |
| 全期間 | 312 | 684 | 2.192 |
各年の「初勝利試合数の合計」は、その年の12球団それぞれの初勝利までの試合数を足した値。年間公式戦の総数ではない。全期間の平均は684÷312=2.192…で求め、各年の表示値を使った再計算はしていない。日別結果に基づく独自集計[10]。
年別平均で見える比較の幅
26年間の年別平均で最も高いのは2002年の3.417試合(12球団の合計41)、最も低いのは2001年の1.750試合(合計21)。年によって、最初の勝利までに要する試合数には差があった[10]。
ただし、これは各年12球団の平均であり、一球団の最長記録ではない。1979年西武の15試合との比較は、開幕後に通常どの程度で白星がつくかを示す目安として位置づけた。平均の対象には1979年を含めていない[10]。
記録の数え方と資料の範囲
対象は日本プロ野球の一軍リーグ公式戦。1979年西武の「15試合目の初勝利」「14試合未勝利」「12連敗」は別の数字である。1955年のトンボユニオンズも開幕12連敗したが、引き分けを挟まず13試合目に初勝利を挙げた[3][4][11][12]。
年度別の勝敗・順位はNPB公式、1979年の試合別スコアと2000~2025年の平均の原データは記録専門サイトによる。4月22日のダブルヘッダーは2試合として扱う。「西武としての初勝利」は移転・球団名変更後の1勝目で、西鉄時代など前身球団の勝利を否定する意味ではない[1][3][4][10]。
海外キャンプの日数には53日・54日という資料差があり、本文では具体的日数を記さなかった。開幕前の順位予想については裏付けの取れた監督発言のみ採用。開幕連敗の歴代比較は報道資料と球団別日程により確認したが、全年全球団の初勝利までの試合数を独立に全件再集計したものではない。資料確認日:2026年10月19日[5][6][7][11][12]。
2026年は中日が4月2日の6試合目に初勝利を挙げ、12球団すべてが開幕6試合以内に勝利した。比較平均は2025年までで固定した[13]。