開幕から初勝利まで最も多く試合を要したチーム

開幕しても、なかなか最初の白星がつかめない。引き分けを挟みながら敗戦を重ね、初勝利まで最も多くの試合を要したチームは、どれほど待ったのだろうか。

一般的には?

2000~2025年の両リーグ全12球団について、各チームが最初の勝利を挙げた試合を数えると、平均は約2.19試合。開幕戦に勝てば1試合、3戦目に初勝利なら3試合と数え、引き分けも1試合に含める[10]。

2000~2025年の全12球団の平均初勝利試合数
約2.19試合

答え

開幕から初勝利までに要した最多試合数15試合

答えは15試合。1979年の西武ライオンズは開幕から12敗・2分、14試合勝てなかった。4月24日の南海戦に4対2で勝ち、15試合目でシーズン初勝利を挙げた。開幕連敗は12、初勝利までの未勝利は14試合である[3][4][5]。

年
1979年
チーム
西武ライオンズ
カテゴリ
シーズン・順位

普通と比べると

2000~2025年の全12球団の平均初勝利試合数
約2.19試合
開幕から初勝利までに要した最多試合数
15試合

平均より約12.81試合多く、約6.84倍。

2000~2025年の26年間、毎年12球団の計312球団シーズン。各球団の初勝利までの消化試合数を合計すると684試合で、684÷312=2.192307…試合。引き分けは数え、中止・延期、オープン戦、ポストシーズンは除く。球団名変更・合併は各年の所属球団で整理した。1979年はこの平均に含まない。差と倍率は丸める前の平均から計算した独自集計[10]。

詳細

初勝利まで14試合未勝利、12敗・2分

西武は4月7日の近鉄戦で開幕し、16日までに8連敗。17日の阪急戦は引き分け、18・19日に連敗を再開した。21日のロッテ戦も引き分け、22日の同カードでダブルヘッダー2連敗。初勝利直前は0勝12敗2分となった[4]。

1979年パ・リーグの最終成績
順位球団試合勝敗分勝率前期/後期打率防御率得点失点本塁打
1近鉄130744511.6221 / 2.2853.70672531195
2阪急130754411.6302 / 1.2813.84695546193
3日本ハム13063607.5123 / 4.2664.09592569131
4ロッテ130556312.4664 / 3.2744.30576597150
5南海130467311.3875 / 6.2764.86558689125
6西武130457312.3816 / 5.2594.60525686140

球団名は当時の略称。年間順位は前・後期の優勝決定方式による。近鉄は前期優勝後、後期優勝の阪急をプレーオフで破ったため、阪急の年間勝率の方が高くてもリーグ優勝した。西武は前期6位、後期5位、年間6位[1][2]。

開幕から初勝利までの日程
試合目日付相手球場結果西武得点相手得点累計成績
14月7日近鉄日本生命球場敗戦030勝1敗0分
24月9日近鉄日本生命球場敗戦390勝2敗0分
34月10日阪急阪急西宮球場敗戦240勝3敗0分
44月11日阪急阪急西宮球場敗戦170勝4敗0分
54月12日阪急平和台球場敗戦0110勝5敗0分
64月14日日本ハム西武ライオンズ球場敗戦170勝6敗0分
74月15日日本ハム西武ライオンズ球場敗戦480勝7敗0分
84月16日日本ハム西武ライオンズ球場敗戦120勝8敗0分
94月17日阪急西武ライオンズ球場引分330勝8敗1分
104月18日阪急西武ライオンズ球場敗戦010勝9敗1分
114月19日阪急西武ライオンズ球場敗戦240勝10敗1分
124月21日ロッテ川崎球場引分990勝10敗2分
134月22日 第1試合ロッテ川崎球場敗戦010勝11敗2分
144月22日 第2試合ロッテ川崎球場敗戦350勝12敗2分
154月24日南海西武ライオンズ球場勝利421勝12敗2分

1979年の実施試合だけを掲載。得点は左が西武。4月22日のダブルヘッダーは2試合と数える。球場とスコアは試合記録、初勝利の日付と勝利投手は西武球団公式の記録と照合した[3][4]。

◇引き分けがあっても白星は増えない

17日の阪急戦は3対3、21日のロッテ戦は9対9。引き分けを挟んでも未勝利の試合数は増える。22日のロッテ戦でダブルヘッダー2敗を喫し、24日に初勝利。開幕の4月7日から17日後だったが、記録の対象は日数ではなく勝った試合を含む「15試合」である[4]。

◇数字で見る序盤のつまずき
対象試合勝敗分得点失点無得点試合1点差敗戦
初勝利前140122297443
初勝利11004200

日程表から集計。初勝利前は1試合平均2.07得点・5.29失点。失点は自責点と同義ではない。1点差敗戦は4月16日・18日・22日第1試合の3試合[4]。

初勝利前の14試合は29得点・74失点、得失点差はマイナス45点。4試合で無得点、3試合で1得点に終わった。4月18日と22日の第1試合はともに0対1。打線が1点も奪えずに落とした接戦も、白星を遠ざけた[4]。

◇大型補強と根本監督の見通し

1978年オフ、クラウンライターライオンズが西武に譲渡され、福岡から所沢へ移転。田淵幸一、山崎裕之、野村克也らを迎え、新人の森繁和、松沼博久・雅之兄弟も加わった。西武グループの強化方針の下で編成されたチームだった[2]。

週刊ベースボールの回顧によると、根本陸夫監督は優勝にはまだ時間がかかると見ながらも、積極的に戦える戦力がそろったと説明していた。大型補強への期待と、チームづくりには時間が必要という見通しは共存していた[7]。

◇国内オープン戦なしで迎えた開幕

米国で長期間キャンプを張り、現地チームとの練習試合を重ねたが、日本国内でのオープン戦はゼロ。帰国は4月3日、開幕の4日前だった。森繁和は、現地で使えるグラウンドが限られ、練習量が不足気味だったと振り返っている[5][7]。

松沼博久も投内連係やサインプレーの練習不足を挙げている。国内オープン戦を組めなかった背景には、前年秋の球団譲渡に伴う日程調整の混乱があった[9]。

◇新球場初戦で7失策

4月14日、西武ライオンズ球場での初公式戦。立花義家の本塁打で先制したが、7失策を犯して日本ハムに1対7で敗れた。先発の新人・森繁和は5回5失点でも自責点0。捕手の悪送球を外野手がカバーしきれず、打者走者の生還を許す場面もあった[7]。

初勝利前の14試合では計25失策。そのうち7失策、全体の28%が本拠地初戦に集中した。伊原春樹は、守備のミスが続くと「また失敗してはいけない」と体が硬くなることがあったと回想している[7][8]。

◇主力の故障と打線の不振

山崎裕之は海外での練習試合中に左手親指を骨折し、開幕戦に出場できなかった。伊原春樹は、普段はあまり守らなかった二塁で開幕戦に先発したと振り返っている。移籍組の主力を欠いた状態で新チームの公式戦が始まった[8][14]。

田淵幸一は序盤に打撃不振に陥り、新外国人打者の長打も遅れた。補強組をそろえても得点力はすぐには上がらず、14試合のうち7試合で1得点以下。守備の乱れと打線の停滞が重なった[4][7]。

◇初勝利を運んだ新人と救援左腕

4月24日の南海戦。初回は立花の二塁打とミューサーの適時打で先制、4回に相手の失策などを絡めて3点を追加した。松沼博久が8回2失点、永射保が9回を無失点に抑え、西武が4対2で勝利。6安打、失策0の試合で松沼はプロ初勝利を挙げた[3][8][15]。

三塁を守っていた伊原は、勝った瞬間には喜びより安堵を感じたと振り返っている。新球場の公式戦初開催から10日後、選手たちは初めて勝利後のビクトリーロードを上がった[8]。

◇初勝利後も最下位、松沼は新人王

初勝利後も苦戦は続いた。前期18勝40敗7分で6位、後期27勝33敗5分で5位。通年45勝73敗12分で最下位だった。一方、初勝利を挙げた松沼博久はシーズン16勝をマークして新人王。根本監督の下で進めた編成と育成は、のちのライオンズを支える土台となった[1][2][6][16]。

◇2000~2025年の初勝利までの年別平均
年球団数初勝利試合数の合計平均 試合
200012272.250
200112211.750
200212413.417
200312221.833
200412262.167
200512252.083
200612242.000
200712262.167
200812322.667
200912272.250
201012231.917
201112262.167
201212282.333
201312242.000
201412252.083
201512231.917
201612242.000
201712282.333
201812242.000
201912262.167
202012221.833
202112312.583
202212332.750
202312272.250
202412231.917
202512262.167
全期間3126842.192

各年の「初勝利試合数の合計」は、その年の12球団それぞれの初勝利までの試合数を足した値。年間公式戦の総数ではない。全期間の平均は684÷312=2.192…で求め、各年の表示値を使った再計算はしていない。日別結果に基づく独自集計[10]。

年別平均で見える比較の幅

26年間の年別平均で最も高いのは2002年の3.417試合(12球団の合計41)、最も低いのは2001年の1.750試合(合計21)。年によって、最初の勝利までに要する試合数には差があった[10]。

ただし、これは各年12球団の平均であり、一球団の最長記録ではない。1979年西武の15試合との比較は、開幕後に通常どの程度で白星がつくかを示す目安として位置づけた。平均の対象には1979年を含めていない[10]。

記録の数え方と資料の範囲

対象は日本プロ野球の一軍リーグ公式戦。1979年西武の「15試合目の初勝利」「14試合未勝利」「12連敗」は別の数字である。1955年のトンボユニオンズも開幕12連敗したが、引き分けを挟まず13試合目に初勝利を挙げた[3][4][11][12]。

年度別の勝敗・順位はNPB公式、1979年の試合別スコアと2000~2025年の平均の原データは記録専門サイトによる。4月22日のダブルヘッダーは2試合として扱う。「西武としての初勝利」は移転・球団名変更後の1勝目で、西鉄時代など前身球団の勝利を否定する意味ではない[1][3][4][10]。

海外キャンプの日数には53日・54日という資料差があり、本文では具体的日数を記さなかった。開幕前の順位予想については裏付けの取れた監督発言のみ採用。開幕連敗の歴代比較は報道資料と球団別日程により確認したが、全年全球団の初勝利までの試合数を独立に全件再集計したものではない。資料確認日:2026年10月19日[5][6][7][11][12]。

2026年は中日が4月2日の6試合目に初勝利を挙げ、12球団すべてが開幕6試合以内に勝利した。比較平均は2025年までで固定した[13]。

何がすごいのか

  • 初勝利は15試合目。2000~2025年の全12球団・延べ312球団シーズンの平均約2.19試合に対し、約6.84倍かかった[3][10]。
  • 開幕12連敗は1955年トンボと並ぶが、2引き分けを挟んだため、初勝利はトンボより2試合遅い15試合目だった[4][11][12]。
  • 本拠地初戦の7失策を含む25失策、初勝利前の得失点差マイナス45。初勝利の勝利投手・松沼博久は、その年16勝で新人王を獲得した[2][4][7]。

出典

  • [1]NPB 年度別成績 1979年 パシフィック・リーグ(最終勝敗、打率、防御率、得点、失点、本塁打、前後期順位。一次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [2]西武球団史 1979年 西武ライオンズ誕生(福岡から所沢への移転、補強、1979年の順位・チーム史、新人王。球団公式。確認日:2026年10月19日。)
  • [3]西武球団公式「西武」通算3000勝達成(2020年)(松沼博久本人の回想と球団公式の勝利一覧で1979年4月24日・開幕15試合目の初勝利、12敗2分、4対2、勝利投手を確認。確認日:2026年10月19日。)
  • [4]日本プロ野球記録 1979西武ライオンズ(全15試合の日付・相手・スコア、12敗2分の確認。リンク先15試合の詳細で球場を確認。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [5]週刊ベースボール 1979年4月24日の回顧(15試合目の初勝利、森繁和の練習環境に関する回想、4月3日帰国。公開部分を使用。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [6]週刊ベースボール 4月終了時点で勝率.125だった79年の西武(海外キャンプの紹介、初勝利、シーズンの推移。53日/54日の資料差にも参照。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [7]週刊ベースボール 球団通算3000勝達成の西武(補強への期待と根本監督の発言、国内オープン戦なし、7失策、打線不振。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [8]伊原春樹コラム 初勝利の瞬間は喜びよりもホッとした(当事者の回想。海外生活、意思疎通、守備の緊張、初勝利とビクトリーロード。証言と筆者の考察を区別。 確認日:2026年10月13日。)
  • [9]web Sportiva 松沼兄弟獲得の真実(2020年2月4日配信。松沼博久インタビュー。投内連係・サインプレー練習、国内オープン戦なしの背景。原媒体Sportivaの記事配信。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2000年(2000年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2001年(2001年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2002年(2002年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2003年(2003年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2004年(2004年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2005年(2005年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2006年(2006年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2007年(2007年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2008年(2008年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2009年(2009年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2010年(2010年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2011年(2011年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2012年(2012年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2013年(2013年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2014年(2014年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2015年(2015年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2016年(2016年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2017年(2017年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2018年(2018年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2019年(2019年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2020年(2020年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2021年(2021年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2022年(2022年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2023年(2023年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2024年(2024年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [10]日本プロ野球記録 2025年(2025年の全12球団の球団別カレンダーを各年の「球団別」リンクから参照。初勝利を含む試合数を独自集計した原データ。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [11]日本プロ野球記録 1955トンボユニオンズ(開幕12敗・引分なし、13試合目の初勝利。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [12]日刊スポーツ 開幕からの連続記録(NPB開幕連敗最多は1955トンボ・1979西武の12連敗。西武は2引分を挟む。二次資料。 確認日:2026年10月13日。)
  • [13]NPB 2026年3月 試合日程結果(2026年の開幕と各球団の初勝利を確認する一次資料。比較の平均には加えない。 確認日:2026年10月13日。)
  • [13]NPB 2026年4月 試合日程結果(2026年の全12球団が開幕6試合以内に初勝利、記録更新なしを確認。比較の平均には加えない。 確認日:2026年10月13日。)
  • [14]日刊ゲンダイ 山崎裕之の西武元年の回想(山崎の米国練習試合での左手親指骨折。見出しの阪神への評価は記事の要因分析に流用しない。 確認日:2026年10月13日。)
  • [15]日本プロ野球記録 西武対南海 前期1回戦(4月24日初勝利の得点経過、6安打・失策0、永射のセーブ。投手欄の失点表示は試合スコアと不整合があり使用せず、松沼8回2失点は[8]で確認。 確認日:2026年10月13日。)
  • [16]西武球団史 1979年~81年 王者の礎 根本時代(根本時代の位置づけ。前後期の勝敗数は[6]の前期勝率.310と最終成績、および[4]の日程結果で照合。球団公式。 確認日:2026年10月13日。)