詳細
【1953年:試合ハイライト】開幕日のダブルヘッダー第2試合。近鉄は3回までに5-0と先行したが、先発・田中文雄が西鉄打線につかまり5-4まで詰め寄られ、2番手の沢藤光郎へ継投した。その後も近鉄が10-6と広げると西鉄が10-9まで追い上げ、近鉄が再び加点して8回終了時点では13-10。9回裏、西鉄が沢藤から3点を奪ってこの試合初めて同点に追いつき、延長10回は両軍無得点。13-13のまま引き分けた。沢藤は6回を投げ12安打9失点。西鉄では4番・大下弘と5番・中西太が、この日のダブルヘッダー2試合でともに5安打を放ち、中西は1日3本塁打を記録している。
【1980年:試合ハイライト】6月6日、大阪球場の南海ホークス-西武ライオンズ戦も13-13。9回終了時点で同点となり、当時のパ・リーグにあった時間制限によって次のイニングに入らず、そのまま時間切れ引き分けとなった。つまり延長で得点が膨らんだのではなく、9イニングだけで両軍合わせて26点を取り合った試合である。背景として、この年の南海は623得点・183本塁打、西武は651得点・219本塁打。一方でチーム防御率は南海5.63、西武4.43で、特に南海はリーグワーストだった。南海には41本塁打の門田博光、27本塁打のメイ、西武には43本塁打の田淵幸一、35本塁打のタイロンらがいた。なお、今回確認できた資料では、この試合のイニング別得点経過や完全な当日スタメンまでは断定できなかった。
◇当時のオーダー(参考)
当該2試合の完全なスターティングオーダーを一次資料で復元できなかったため、以下は各シーズンの「基本/主要オーダー」を参考掲載する。1953年については別資料から、当該試合で西鉄の4番が大下弘、5番が中西太、近鉄が田中文雄から沢藤光郎へ継投したことを確認できた。1980年の表はシーズン主要オーダーであり、6月6日の実際の打順と一致すると断定するものではない。
西鉄ライオンズ(1953年基本)
| 位置 | 選手名 |
|---|---|
| (中) | 塚本悦郎 |
| (二) | 今久留主淳 |
| (左) | 関口清治 |
| (右) | 大下弘 |
| (三) | 中西太 |
| (一) | 田部輝男 |
| (遊) | 豊田泰光 |
| (捕) | 日比野武 |
| (投) | 川崎徳次 |
近鉄パールス(1953年基本)
| 位置 | 選手名 |
|---|---|
| (左) | 日下隆 |
| (遊) | 鈴木武 |
| (一) | 武智修 |
| (三) | 五井孝蔵 |
| (右) | 杉山光平 |
| (中) | 小田野柏 |
| (二) | 山本静雄 |
| (捕) | 根本陸夫 |
| (投) | 黒尾重明 |
※上表は1953年シーズンの基本スタメンで、3月21日第2試合の完全な当日オーダーではない。なお当該試合では、西鉄の4番が大下弘、5番が中西太、近鉄の先発・田中文雄→2番手・沢藤光郎を確認できる。
南海ホークス(1980年主要)
| 位置 | 選手名 |
|---|---|
| (三) | 藤原満 |
| (右) | 新井宏昌 |
| (一) | 片平晋作 |
| (左) | メイ |
| (指) | 門田博光 |
| (中) | 久保寺雄二 |
| (二) | 河埜敬幸 |
| (遊) | 定岡智秋 |
| (捕) | 黒田正宏 |
| (投) | 山内新一(シーズン主要) |
西武ライオンズ(1980年主要)
| 位置 | 選手名 |
|---|---|
| (右) | タイロン |
| (二) | 山崎裕之 |
| (三) | スティーブ |
| (指) | 田淵幸一 |
| (一) | 土井正博 |
| (左) | 大田卓司 |
| (中) | 立花義家 |
| (捕) | 吉本博 |
| (遊) | 行沢久隆 |
| (投) | 東尾修(シーズン主要) |
※上表は1980年シーズンの主要オーダー。6月6日の当該試合の完全なスタメン・登板投手は、今回確認できた資料では確定できなかったため、当日のオーダーとしては扱わない。
この記録はNPB公式サイトの「歴代最高記録」に独立した項目として掲載されているものではない。本記事ではNumber Webが「史上最多得点の引き分け」として挙げる2試合を、当時の試合結果資料と照合したため、「確認できる範囲で最多タイ」とする。比較基準として2025年のNPB公式戦を見ると、引き分け23試合の同点スコアは1チーム平均約2.3点。13点はその約5.6倍にあたり、通常の引き分けから大きく外れた得点数だ。