1試合で一塁手の守備機会は最少いくつ?

自身の守備範囲に飛んできた打球だけでなく、内野ゴロの送球を受ける一塁手は、守備機会が多くなりやすい。では、そんな一塁手が最も守備にかかわらなかった試合とは?

一般的には?

守備機会は、刺殺・補殺・失策の合計。三塁手のゴロ送球を受けてアウトにすれば、一塁手に刺殺が付く。同年の当該球団では、一塁手全員を合算すると1試合平均10.50機会だった。ここでは途中交代を含め、試合全体の一塁という守備位置を対象にする[A1][B3]。

同年・当該球団の一塁手合算の試合平均
10.5機会

答え

試合全体の一塁手の最少守備機会0

答えは0守備機会。1982年5月23日の近鉄対西武・ダブルヘッダー第2試合で、西武の一塁を守った広橋公寿と片平晋作は、ともに守備機会がなかった。西武は9回を守り、5対2で勝った。2人を合算した一塁手の試合全体の数字であり、1人が一塁を9回守り切った記録ではない[B1][B2]。

年
1982年
チーム
西武ライオンズ
カテゴリ
守備・走塁

普通と比べると

同年・当該球団の一塁手合算の試合平均
10.5機会
試合全体の一塁手の最少守備機会
0機会

同年の球団平均より10.50機会少ない。

1982年西武の一塁手全員の年間合算は1263刺殺・95補殺・7失策。守備機会=1263+95+7=1365、球団130試合で割り1365÷130=10.50機会/試合。途中交代者を含む位置別合計を分子とし、個人の一塁守備出場試合数は分母に使わない。引き分け・延長・成立した短縮試合を含む年間公式戦の平均で、9守備イニングへの換算値やリーグ全体の平均ではない。差=10.50-0=10.50。二軍・球宴・プレーオフ・日本シリーズを含めない。年間守備実数は二次資料。確認日:2026年10月12日[A1][A2][B3]。

詳細

二人合わせても一塁の守備機会はなし

守備機会の少なさを問う場合、終盤だけ出場した個人の数字と、チームが一試合を通して守った位置の数字は区別したい。本稿は後者を採用する。先発の広橋だけでなく、交代して一塁に入った片平にも刺殺・補殺・失策が付かず、位置全体でも0となった試合である[A1][B1]。

選手名一塁での起用刺殺補殺失策守備機会
広橋公寿先発0000
片平晋作途中出場0000
一塁手合算試合全体0000

各選手の守備機会なしという回顧記述から、刺殺・補殺・失策はいずれも0と整理した。守備率は分母が0のため算出せず、1.000とはしない。牽制球の捕球や通常の中継など、公式の守備機会が付かない動作まで0だったと認定する表ではない[A1][B1]。

1982年5月23日 近鉄対西武 前期7回戦 秋田市営八橋球場 ダブルヘッダー第2試合 観衆20,000人

球団名123456789RHE
西武000200210590
近鉄001001000260

R=得点、H=安打、E=失策。両軍が九回まで攻撃し、西武は27アウトを取っている。雨天などで守備の回数が短くなった試合ではない。スコアの数値画像と当日成績を二次資料で確認した[B2]。

三振だけで終わった試合ではない

西武は杉本正から松沼雅之へつなぎ、奪三振は合計6。27アウトのうち、少なくとも21アウトは三振以外で取っていた。安打は6本、四死球は1つで、走者も出ている。それでも一塁手に守備機会が付かなかったのは、アウトを取る場所と担当選手が一塁手を外れたためだった[B2]。

場面打者打球・プレー一塁手に機会が付かなかった理由
一回・先頭平野光泰二ゴロ一塁のベースカバーに入った杉本が送球を受けた
二回・二死一塁吹石徳一三ゴロ送球は二塁へ。先行走者を封じてチェンジ
三回・一死一塁大石大二郎投ゴロ投手から二塁へ送球し、先行走者を封じた
九回・一死一塁有田修三三ゴロ二塁封殺で二死となり、一塁へは送球されなかった
九回・最終打者小川亨二飛二塁手が捕球して試合終了

回顧記事で確認できた場面を抜き出した表で、全27アウトの内訳表ではない。一塁のベースでアウトを取っても、捕球した選手が投手なら、一塁手の刺殺にはならない。二塁封殺では打者が一塁へ残っても、アウトを取った二塁側の選手に刺殺が付く[A1][B1]。

四本塁打で勝った西武

近鉄は三回、小田義人の2号ソロで先制。西武は四回に大田卓司の5号、田淵幸一の10号で2対1と逆転した。六回に近鉄が追い付き、2対2で七回へ進む。羽田耕一は当日2安打1打点で、三塁打も記録しているが、六回の得点場面の走者配置などは確認できていない[B2]。

七回、途中出場の片平が柳田豊から5号2点本塁打を放ち、4対2。八回には田淵がこの日2本目となる11号ソロで加点した。西武の5打点は本塁打4本による1・1・2・1打点で、5得点と一致する。守備機会のない一塁手が、決勝の打撃を担った[B1][B2]。

球団名選手名本塁打回本塁打の打点相手投手
近鉄小田義人2号31杉本正
西武大田卓司5号41鈴木啓示
西武田淵幸一10号41鈴木啓示
西武片平晋作5号72柳田豊
西武田淵幸一11号81柳田豊

号数はシーズン累計。打者・相手投手・号数は当日表による。回と打点はスコア、各人の試合打点、七回の決勝2点本塁打という回顧記述を対応させて確認した。四回の2本と八回の1本以外に西武の得点はない[B1][B2]。

球団名選手名登板区分投球回打者被安打被本塁打奪三振四死球失点自責点勝敗
西武杉本正先発313312111-
西武松沼雅之救援621304011勝
近鉄鈴木啓示先発521523122-
近鉄柳田豊救援313421033敗
近鉄山口哲治救援14001100-
位置選手名打順打数安打本塁打打点三振四死球盗塁失策確認できた打席結果
(一)広橋公寿131001000未確認
途中出場→一片平晋作111120100七回 本塁打(2打点)
(遊)石毛宏典251001000未確認
(三)スティーブ340000000未確認
(左)大田卓司441111000四回 本塁打
途中出場→中岡村隆則400000000未確認
(指)田淵幸一542220000四回 本塁打/八回 本塁打
(二)山崎裕之641000000未確認
(中)→左テリー740000000未確認
(捕)大石友好831001100未確認
(右)立花義家941001000未確認
位置選手名打順打数安打本塁打打点三振四死球盗塁失策確認できた打席結果
(中)平野光泰140001000一回 二ゴロ(投手が一塁で捕球)
(二)大石大二郎241000010三回 投ゴロ(二塁封殺)
(右)V.ハリス341000000未確認
(左)栗橋茂440001000未確認
(三)→一→三羽田耕一542011000未確認
(捕)有田修三630002100九回 三ゴロ(二塁封殺)
(一)住友一哉700000000未確認
途中出場→三吹石徳一720000000二回 三ゴロ(二塁封殺)
代打→一小川亨720000000九回 二飛(試合終了)
(指)小田義人821111000三回 左本
代打→指島本講平810000000未確認
(遊)森脇浩司931000010未確認

奪三振の多さだけで説明しない

先発の杉本は左投左打、御殿場西高から大昭和製紙を経て、1980年ドラフト3位で西武へ入団した。本人の後年の取材では、高校時代からカーブを武器にし、社会人でも磨いていたと語る。この試合の初回にはベースカバーでアウトを取ったが、球種ごとの投球数や打球傾向は残る資料から確認できない[A3][B1][B4]。

松沼雅之は右投右打、取手二高から東洋大を経て入団。この年は11勝、防御率2.76で、規定投球回到達者の防御率3位だった。兄・博久も同じ西武に在籍したが、この試合の第2戦で6回を投げたのは弟の雅之である[A2][A4]。

選手名登板勝利敗北完投完封勝投球回被安打被本塁打四球死球奪三振失点自責点防御率奪三振率
杉本正2671264132 2/313065126059543.654.07
松沼雅之3111863172 2/31581663811059532.765.73
選手名試合打席打数安打本塁打打点盗塁四球死球三振打率長打率出塁率
広橋公寿6419216945314619116.266.396.344
片平晋作1174133651011447140523.277.447.356
選手名一塁守備試合刺殺補殺失策守備機会守備率
広橋公寿11675173.986
片平晋作1129938051078.995

一塁に限った年間守備実数は二次資料。片平の年間総出場117試合と、一塁守備112試合は別。広橋も年間総出場64試合に対し、一塁は11試合で、外野・三塁・二塁でも起用されている。一塁の年間平均から見ても、この日の0は普段の役割を表す数字ではない[B3]。

前後期制の年に生まれた珍記録

1982年のパ・リーグは前後期制。西武は前期1位・後期3位で、後期1位の日本ハムとプレーオフを戦いリーグ優勝した。年間勝率だけなら日本ハム.563が西武.540を上回っており、年間勝率順をそのまま公式の最終順位に置き換えることはできない[A2][A7]。

最終順位球団名勝利敗北引分試合勝率前期順位後期順位打率得点本塁打盗塁防御率失点奪三振
1西武ライオンズ68584130.54013.253529131703.31461648
2日本ハム・ファイターズ675211130.56341.266551127853.63518686
3近鉄バファローズ635710130.52532.2585941511264.11577523
4阪急ブレーブス62608130.50825.2565961501423.73522572
5ロッテ・オリオンズ54697130.43964.263531123844.24600581
6南海ホークス53716130.42756.25545290724.05575447

秋にも途中出場から勝ち越した片平

球団公式の日本シリーズ回顧によれば、10月30日の第6戦でも片平は途中出場から七回に勝ち越し本塁打を放った。続くテリーも本塁打を打ち、西武は9対4で中日を破って日本一になった。五月の決勝打者は、初の西武日本一を決める試合でも途中出場から勝負を動かした[A8]。

確認範囲と資料の扱い

確認日:2026年10月12日。対象は日本の一軍レギュラーシーズンで、交代した全一塁手を合算した試合全体の守備機会。少なくとも9回を実際に守った例を採り上げ、途中出場者一人だけの0や短縮試合の0を答えの根拠にしていない。二軍・球宴・ポストシーズン・海外リーグは対象外。0未満にはならないので、この実例の確認で数値の最小は確定するが、歴代の同数全試合を網羅したという意味ではない[A1][B1][B2]。

一塁手の守備機会なしと具体的なアウトの経過は後年のBASEBALL KING回顧、スコアと両軍個人成績はウスコイ企画の編纂表を用いた。当時の公式スコアカードや新聞原紙による全項目の独立照合はできておらず、NPBがこの2人を個人の九回完遂最少記録として公認した、と書くものではない。交代の正確な回や理由、全打席の結果、全27アウトの打球別内訳、球種割合は補わない[B1][B2]。

年間勝敗・投打の主要成績・定義はNPB公式を優先し、年間一塁守備実数は二次資料。0守備機会は『一度もボールに触れていない』『守備の仕事をしていない』と同義ではない。走者をけん制する動きやベースカバーへの備えは、この数字だけでは数えられない[A1][B3]。

何がすごいのか

  • 9回の守備を終えても、一塁手は交代前後の2人とも守備機会なし。0は回数の下限となるB1]。
  • 西武の投手が奪った三振は6個。ゴロもあったが、投手が一塁をカバーしたり二塁で走者を封じたりして、たまたま一塁手の記録にはならなかった[B1][B2]。
  • 途中から一塁に入った片平は、七回に決勝2点本塁打。打者として、勝敗を動かす役割は果たした[B1][B2]。

出典