1試合で最も多く打席に立った選手は?

打順は一巡して、また巡ってくる。第5打席、第6打席……あれ?今日何回打席に立ったんだ…?

一般的には?

通常、先発して最後まで打線に残る選手の打席は1試合に4~5回ほど。2025年のNPB一軍公式戦では、打順1枠当たりの1試合平均は約4.16打席だった。打席には四球・死球、犠打・犠飛も含まれ、打率の分母となる「打数」とは異なる[11][12][13]。

2025年・打線1枠の1試合平均打席数
約4.156打席

答え

1選手の1試合最多打席数(延長を含む)12打席

答えは12打席。1942年5月24日の大洋軍対名古屋軍戦で、名古屋の1~6番、大洋の1~4番の計10選手が記録した。試合は延長28回、4対4の日没引き分け。延長戦を含む1試合の全打席を数えた記録である[1][2][4][5][6][7][8][9][10]。

年
1942年
選手
石丸藤吉/木村進一/桝嘉一/飯塚誠/古川清蔵/吉田猪佐喜/中村信一/濃人渉/浅岡三郎/野口二郎
チーム
名古屋軍/大洋軍
カテゴリ
打撃

普通と比べると

2025年・打線1枠の1試合平均打席数
約4.156打席
1選手の1試合最多打席数
12打席

2025年の打線1枠平均の約2.89倍。平均より約7.84打席多い。

2025年の総打席64,178÷(143試合×12球団)÷9打順=約4.15553。投手の打席、交流戦、延長、引き分け、成立した短縮試合を含む。途中出場者の打席も同じ打順の枠に計上する。各選手の1試合平均ではなく、打順1枠当たりの参考値。1942年当時の平均とは区別する[11][12]。

詳細

1試合で10人が記録した12打席

1942年5月24日、大洋軍対名古屋軍5回戦(後楽園球場)。先攻の名古屋が105打席、後攻の大洋が103打席、両軍合計208打席に達した。出場した19人のうち、途中交代は大洋の山川喜作に代わった苅田久徳だけ。両先発を含め、18人が交代せず出場した[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。

同じ12打席でも打数が違う
選手名球団打順打席打数四死球犠打
石丸藤吉名古屋1121200
木村進一名古屋2121110
桝嘉一名古屋3121020
飯塚誠名古屋4121110
古川清蔵名古屋5121110
吉田猪佐喜名古屋6121110
中村信一大洋1121110
濃人渉大洋212912
浅岡三郎大洋3121020
野口二郎大洋4121200

濃人渉は9打数に1四球・2犠打を加えて12打席。石丸藤吉と野口二郎は12打数だったが、残る8人は四球や犠打を含む。「最多打数が12の2人」と「最多打席が12の10人」は別の記録である[1][4][5][6][7][8][9][10]。

28イニングのスコアボード
チーム123456789
名古屋011000002
大洋000002200
101112131415161718
000000000
000000000
19202122232425262728RHE
00000000004135
00000000004156

9回表に4対4となり、延長の19イニングはすべて0点。R=総得点、H=総安打、E=総失策。28回裏終了で日没引き分け[1][2]。

◇両軍オーダーと全打席の結果

結果は第1打席から順番に並べる。長い行は6打席ずつ改行するが、改行位置にイニングの区切りという意味はない。位置と名前は当時の表記を使う。三振は空振り・見逃しを区別しない[4][5][6][7][8][9][10]。

名古屋
位置選手名打席打撃結果(打席順)
(二)1 石丸藤吉12左飛 左邪飛 三ゴ 投ゴ 投ゴ 遊ゴ
二飛 二ゴ 遊飛 三ゴ 投ゴ 三振
(遊)2 木村進一12中安 二直 右ゴ 遊失 投ゴ 中安
四球 中飛 二ゴ 三振 右飛 三振
(中)3 桝嘉一12右安 三ゴ 四球 中飛 四球 遊ゴ
三ゴ 三ゴ 二ゴ 投ゴ 二安 左邪飛
(右)4 飯塚誠12三振 四球 三ゴ 左飛 一ゴ 捕邪飛
中飛 二飛 三振 右飛 投ゴ 遊安
(捕)5 古川清蔵12三振 左二 左飛 投ゴ 左本② 左飛
遊ゴ 三ゴ 三振 四球 三振 二ゴ
(左)6 吉田猪佐喜12左安 四球 二飛 右飛 一邪飛 中安
三ゴ 二飛 中飛 右飛 三振 右飛
(一)7 野口正明11遊失 三邪飛 三ゴ 一邪飛 三振 二ゴ
三振 左中二 投ゴ 一邪飛 二失
(投)8 西沢道夫11遊ゴ 遊失 三振 中安 中飛 三ゴ
遊ゴ 遊ゴ 三振 右失 右中二
(三)9 芳賀直一11遊野① 投飛 三ゴ 左中二 捕邪飛 左飛
遊失 遊ゴ 二飛 二併 三ゴ
合計105打席99打数13安打、3打点、13三振、6四死球、0犠打。
大洋
位置選手名打席打撃結果(打席順)
(三)1 中村信一12中飛 左飛 中安 投ゴ 二ゴ 遊ゴ
二飛 左安 三振 四球 二ゴ 二ゴ
(遊)2 濃人渉12四球 左飛 投犠 左安 三ゴ 遊飛
三直 三失 中飛 投犠 三ゴ 中飛
(右)3 浅岡三郎12遊併 四球 左二② 遊ゴ 二飛 三振
遊飛 遊併 一邪飛 四球 二ゴ 中安
(投)4 野口二郎12三ゴ 三直 二ゴ 中飛 遊失 遊ゴ
中安 遊ゴ 二ゴ 二飛 中飛 遊ゴ
(一)5 野口明11左飛 一ゴ 中飛 左安 二飛 捕邪飛
犠打 一邪飛 遊失 二飛 一ゴ
(左)6 村松長太郎11左安 三ゴ 中安 右ゴ 遊失 二飛
三ゴ 二ゴ 遊併 一邪飛 遊ゴ
(二)7 山川喜作2三ゴ 三振
代打→二苅田久徳9左安 左安 左安 左飛 敬遠 右飛
中飛 中飛 中飛
(捕)8 佐藤武夫11遊ゴ 遊ゴ 投安① 捕邪飛 三併 三振
左飛 三振 三直 三振 左中二
(中)9 織辺由三11二飛 四球 右飛 左飛 左飛 捕邪飛
三ゴ 中飛 遊ゴ 投ゴ 中安
合計103打席94打数15安打、3打点、6三振、6四死球、3犠打。

安・二・本はそれぞれ安打・二塁打・本塁打。①②は打点。失は失策による出塁、野は野手選択、併は併殺打、犠は犠打、敬遠は故意四球。右ゴは右翼ゴロであり、右安ではない。合計の打点と得点の差は失策などによる得点があるため[1][4][5][6][7][8][9][10]。

なぜこれほど打席が回ったのか

9回表に古川清蔵の2ランで名古屋が追いつき、10回から28回まで19イニング連続で両軍無得点。当時は延長回数に上限がなく、日没まで試合が続いた。結果として、両軍とも28回の攻撃を行った[2][3][6]。

打順の位置も効いている。名古屋の105打席は9人打線の11巡分99打席に、1~6番の6打席を加えた数。大洋の103打席は11巡分に1~4番の4打席を加えた数である。途中交代のあった7番を除き、1つの打順を同じ選手が担当したため、この10人が12打席に到達した[1][4][5][6][7][8][9][10]。

◇9回2死から、あと一人で終わるはずだった試合

名古屋は序盤に2点を先行したが、大洋が6回に浅岡三郎の2点二塁打で追いついた。7回は佐藤武夫のバント安打と相手の悪送球が絡んで大洋が4対2と逆転。9回表は2死二塁まで進み、古川の打席でアウトを取れば大洋の勝利だった。ところが古川が左翼へ2ランを放ち、長い延長戦が始まった[1][5][6]。

◇26回と27回にも決着の機会があった

26回表、名古屋は2死一塁から西沢道夫が右中間へ二塁打。一塁走者の野口正明が本塁を狙ったが、大洋の右翼手・浅岡から二塁手・苅田、捕手・佐藤とつながって本塁でアウトになった[10]。

27回裏は、その佐藤が二塁打で出塁し、織辺由三が中前打。佐藤が生還すれば大洋のサヨナラ勝ちだったが、三塁を回ったところで転倒した。三塁へ戻ろうとしてタッチアウトとなり、また試合が続いた。28回にも両軍1安打ずつを放ったが点は入らず、日没で終了した[3][10]。

投げながら12打席に立った野口二郎
投手球団打順投球回対戦打者奪三振打席打数安打
野口二郎大洋4281051312121
西沢道夫名古屋828103611112

両先発は28回を一人で投げ切った。野口は打者としても4番に入り、12打数1安打。西沢は8番で、11打数2安打だった。同じ回数を投げても、打順と両軍の総打席数の違いによって、打つ回数には一つ差が付いた[1][2]。

◇打席に入っても、打席数が増えない場面

13回表、桝の打席中に一塁走者の木村が盗塁死して攻撃終了。桝自身の打撃は完了しておらず、この場面は1打席に数えない。次の14回表、桝が先頭打者として打ち直している。23回表も、野口正明の打席中に古川が盗塁死。野口正明は24回表の先頭打者となった。打席に立ち始めた回数と、記録上の打席数を区別する必要がある[7][9]。

◇同じ球場で3試合目だった

後楽園球場で行われたトリプルヘッダーの3試合目。両軍ともこの日2試合目で、大洋は前の試合からわずか25分の休憩で臨んだ。試合時間は3時間47分だった[3]。

12打席はこの延長28回の1試合だけの記録で、同じ日の別試合は加算していない。なお、この大洋軍は翼と名古屋金鯱の合併で生まれた戦前の球団で、戦後の大洋ホエールズとは別球団である[3]。

集計範囲と資料の扱い

対象はNPB一軍公式戦と、その前身の1リーグ時代の個人1試合成績。延長を含め、引き分けも含む。二軍、オープン戦、オールスター、ポストシーズン、MLB、アマチュア野球は対象外。チーム全体の打席数や、ダブルヘッダー2試合分の合計とは分ける。9回終了時点までを対象とする記録とも条件が異なる。

12打席の人数と内訳は、公開ボックススコアと、スコアカードを解読した連載資料を照合した本記事の再集計。名古屋105、大洋103、合計208打席は、各打者が完了した打席を合計し、相手投手の対戦打者数とも一致することを確認した。打席途中の走者アウトによる攻撃終了は加算しない[1][4][5][6][7][8][9][10]。

NPB公式に1試合最多打席の歴代一覧は見当たらないため、12打席を全年代・全試合にわたって独立に証明したものではない。この記事の10人は、この1試合を再集計した結果であり、他の試合の同記録保持者を網羅した一覧ではない。最長イニング試合の記録も参照した[14]。

打席順の結果はスコアカード解読資料に従い、全19選手について、打数・安打・三振・四死球の合計を別資料と照合した。三振は空振り・見逃しの区別を確定できないため、単に「三振」とする。桝の25回は二安、飯塚の28回は遊安とし、別の回顧資料にある打球方向との違いは注記した。原スコアカード全体の独自再判読までは行っていない[1][9][10]。

比較には2025年のシーズン最終値を使用。歴史的な記録を現代の平均と比べるための参考で、同時代の平均ではない。資料確認日:2026年10月20日。

何がすごいのか

出典