勝利したチームの安打数は最少何本?

野球の勝敗は安打の数では決まらない。では勝利したチームの最も少ない安打数とは?

一般的には?

勝敗を決めるのは得点で、安打の多さではない。四死球で出塁し、犠打や犠飛、相手の失策で進塁・得点することもある。同年の全チームを合わせた平均は、1チーム1試合あたり約7.33安打。勝利した試合だけの平均ではなく、時代の打撃環境を示す参考値として比べる[A3]。

同年の全チームの1試合平均安打数
約7.33安打

答え

勝利チームの最少安打数0

答えは0安打。1939年5月6日、甲子園での南海対阪急3回戦で、阪急は無安打のまま2対1で勝った。ダブルヘッダー第2試合で、六回の犠牲フライで同点、七回の送りバントへの悪送球で勝ち越し。NPB公式資料は、日本プロ野球唯一のチーム無安打勝利としている[A1][A2][B1]。

年
1939年
チーム
阪急
カテゴリ
チーム・試合

普通と比べると

同年の全チームの1試合平均安打数
約7.33安打
勝利チームの最少安打数
0安打

同年の全チーム平均より約7.33安打少ない。

1939年の9球団の安打合計=869+776+725+629+713+680+627+695+619=6333。各96試合、チーム試合数の合計=9×96=864。6333÷864=7.329861…安打を小数第3位で四捨五入。投手の打撃、敗戦・引き分け、延長・成立した短縮試合を含む一軍公式戦のチーム平均。分母は対戦カード数432ではなく、両軍を別々に数えた864チーム試合。勝利チームだけの平均や9回換算ではない。差=7.33-0=約7.33安打。二軍・球宴・ポストシーズンを含めない。確認日:2026年10月12日[A3]。

詳細

九回まで無安打でも勝てた試合

1939年5月6日 阪急対南海3回戦 阪神甲子園球場 ダブルヘッダー第2試合

球団名123456789RHE
阪急000001100203
南海000100000162

R=得点、H=安打、E=失策。イニング別得点はNPB記録員コラムと照合。安打・失策は編纂された当日成績表による。両軍が九回まで攻撃した試合で、雨天などによる短縮試合ではない。観衆と球数は確認できないため記載しない[A2][B1]。

南海は四回、失策で出た鶴岡一人が二塁へ盗塁し、二死二塁から国久松一の右翼線三塁打で先制した。こちらは適時安打による1点。阪急は五回を終えて無安打で、南海の宮口美吉を打ち崩せないまま六回を迎えた[A2][B1]。

あわせて読む投手九回以上の完封勝利で最も少ない奪三振数は?完封勝利には、三振を積み重ねる快投を思い浮かべる。では、九回以上を一人で投げ切った完封で、奪三振はどこまで少なくできるのだろうか。

六回は安打ではなく犠牲フライで同点

阪急の六回表は、西村正夫の四球が出発点となった。山田伝の送りバントで投手・宮口に失策が付き、上田藤夫の犠打と山下好一の死球を経て一死満塁。黒田健吾の左犠飛で西村が生還して1対1となった。得点の骨格はNPB公式の回顧で確認でき、個々の打席順と打球位置はスコアブックを紹介する二次資料で補った[A2][B2]。

打者打席結果プレー後の状況
西村正夫四球無死一塁
山田伝投犠失無死一二塁
上田藤夫投犠打一死二三塁
山下好一死球一死満塁
黒田健吾左犠飛①西村生還で同点

投犠失=投手前への犠牲バントに失策が付いたプレー。①は打点1。通常の安打ではなく、犠打と失策として記録された。二次資料によれば、黒田の犠飛の際に二塁走者の山田が三塁を狙ってアウトとなり、この回は終了した。全打席の結果表ではない[B2]。

七回は一塁走者が送りバントで一気に生還

七回表、先頭の岸本正治が四球で出塁したところで、南海は宮口から平野正太郎へ交代。田中幸男の送りバントを処理した三塁手・鶴岡が一塁へ悪送球し、岸本が一気に本塁へ戻った。安打なしで2対1。阪急は八回も九回も安打を打てなかったが、相手に追い付かれることなく逃げ切った[A2][B1]。

決勝点の走者は宮口が出した岸本である。七回にアウトを取る前に交代した宮口の投球回は6回でも、岸本の生還によって2失点を負う。平野の被安打0・失点0と、平野の登板中にチームが決勝点を失ったことは両立する。打点は黒田の1だけで、阪急の2得点と一致しない。失策による決勝点には打点が付いていない[A2][B1]。

球団名選手名登板区分投球回打者被安打奪三振四死球失点自責点勝敗
阪急重松通雄先発6 2/32661110-
阪急浅野勝三郎救援2 1/3801000勝
南海宮口美吉先発62401620敗
南海平野正太郎救援31100100-
位置選手名打順打数安打打点三振四死球盗塁失策確認できた打席結果
(右)西村正夫12000200六回 四球
(中)山田伝23000000六回 投犠失
(二)上田藤夫33000000六回 投犠打
(左)山下好一43000100六回 死球
(三)黒田健吾51010201六回 左犠飛①
(一)岸本正治62000200七回 四球
(遊)田中幸男72000001七回 三犠失
(捕)日比野武83001000未確認
途中出場→捕石井武夫81000000未確認
(投)重松通雄93000001未確認
途中出場→投浅野勝三郎90000000未確認
位置選手名打順打数安打打点三振四死球盗塁失策確認できた打席結果
(遊)小林悟楼14000000未確認
(左)平井猪三郎24001000未確認
(右)岡村俊昭33001100未確認
(三)鶴岡一人44200021四回 三ゴ失
(一)中村金次54000000四回 右飛
(二)国久松一64110000四回 右三①
(捕)中田道信74000000未確認
(中)伊藤経盛83200000七回 左中二
(投)宮口美吉91100001未確認
途中出場→投平野正太郎91000000七回 左飛

宮口の9回換算与四死球は(141+7)×9÷(234+1/3)=5.684…を四捨五入。年間の傾向であり、当日の球種・球速や投球数を復元する数字ではない。南海の平野は右投右打で、同年18登板・3勝3敗・65回1/3、防御率2.18だった[A6][A7]。

◇勝利投手は現在の考え方と違う

阪急は七回表に勝ち越し、その裏の二死二塁で重松から浅野へ交代した。NPB記録員コラムは、現在なら重松が勝利投手になるが、当時の記録員はピンチを抑えて最後まで投げた浅野を勝利投手にした、と説明する。本稿では現在の基準で変更せず、公式に残った勝利=浅野、敗戦=宮口を掲載した[A2]。

浅野は左投左打、明石中から全明石を経た選手。1939年は投手として7登板、4勝2敗、33回2/3、防御率3.71。一方で打者として59試合、126打数35安打、打率.278を残した。投手の登板数より打者の出場試合数が大きく、この日の救援投手という役割だけでは年間の起用を捉えられない[A5]。

◇無安打勝利の翌年にはノーヒットノーラン

浅野は翌1940年4月14日、甲子園でタイガースを9対0で破り、今度は自身がノーヒットノーランを達成した。打者28人、四死球1、4奪三振。一年前は味方が無安打でも勝ち、一年後は相手を無安打無得点に抑えて勝った。同じ投手が二つの珍しい試合の勝利投手になった[A4]。

◇宮口は第1試合に続けて先発していた

当日の編纂資料によれば、宮口はダブルヘッダー第1試合を完投し、第2試合も先発していた。左投左打で京阪商出身。1939年は47登板、234回1/3、141四球、7死球、89奪三振、防御率3.10。シーズンの与四死球を9回あたりに直すと5.68個になる。当日は6四死球が付いたが、連投の疲労が直接原因だったと断定できる証言は確認していない[A6][B1]。

順位球団名勝利敗北引分試合勝率打率安打得点本塁打盗塁防御率失点
1東京巨人6626496.717.266869493261212.07267
2大阪タイガース6330396.677.239776438321102.02277
3阪急5836296.617.234725367111322.16268
4東京セネタース4938996.563.20362929012872.21287
5南海4050696.444.230713336151302.51342
6名古屋3853596.418.216680301191342.44349
7名古屋金鯱3656496.391.204627265131252.86398
8ライオン3358596.363.2176953148963.11429
9イーグルス2965296.309.20061924720613.17434

◇ノーヒットノーランとの違い

問うているのは勝ったチーム自身が打った安打数である。ノーヒットノーランは、投手が相手に安打も得点も許さない記録。この試合では阪急が0安打2得点、南海が6安打1得点で、南海の継投は無安打に抑えながら失点したため、無安打無得点ではない[A1][A4]。

四死球や失策で走者を出しても、得点を許さなければノーヒットノーランは成立し得る。実際に浅野が翌年達成した試合は四死球1。完全試合は走者を一人も出さず終える点でさらに条件が異なる。またNPBは継投による無安打無得点を単独達成とは別に参考掲載している。今回の南海は継投に加えて失点があり、継投ノーヒットノーランにも当たらない[A4]。

無安打でも得点した他の試合

日付無安打の球団相手球団自軍得点相手得点勝敗無安打の相手投手
1939年5月6日阪急南海21勝宮口美吉→平野正太郎
1939年8月3日名古屋金鯱イーグルス12敗亀田忠
1959年5月21日巨人阪神23敗村山実
1964年5月13日南海近鉄13敗牧野伸→山本重政
2025年4月18日ソフトバンク西武12敗今井達也→平良海馬

NPB公式の「無安打に抑えるも得点される」と同継投欄にある全5試合。無安打だった攻撃側の視点に統一し、勝敗と得点も並べ替えた。コールドや途中まで無安打だった試合の網羅表ではない。0安打勝利はこの中でも阪急の1試合だけ[A1]。

1959年の巨人は三塁手と投手の悪送球で2得点したが敗戦。2025年のソフトバンクは四球、盗塁、内野ゴロ二つで1点を挙げたが1対2で敗れた。こちらは失策に頼らず無安打で得点した例である。「無安打で得点」と「無安打で勝利」を分けて読むと、同じ0安打でも勝利まで届いた阪急の特異さが見える[A2]。

確認範囲と資料の扱い

確認日:2026年10月12日。日本の一軍レギュラーシーズンで、実際に行われた試合に勝利したチームの公式安打数を対象とする。二軍・球宴・ポストシーズン・海外リーグ・没収試合は対象外。0は安打数の下限であり、NPB公式が唯一とする実例を確認した。今後の同数記録の追加はあり得るが、より少ない安打数への更新はない[A1]。

結論、得点経過、継投と勝敗はNPB公式を優先した。両軍のオーダーと当日合計はウスコイ企画の二次資料、詳しい打席結果はスコアブックを紹介するブログによる。写真は細部の判読に限界があり、全打席を独立に転記した表にはしていない。六回の送りバントはNPBの失策記述と二次資料の犠打失策に従い、出所不明の野選説に置き換えない。投手の四球・死球の全内訳、正確な交代時刻、球種別投球数は補わない[A2][B1][B2]。

何がすごいのか

  • 安打を一本も打たず、九回まで戦った試合に2対1で勝利した[A1][A2]。
  • 得点の入口は四死球で、同点は犠牲フライ、決勝点は送りバントへの悪送球。安打数と得点数が別の記録であることが分かる[A2]。
  • 相手を無安打に抑えた南海は2失点して敗戦。無安打無得点というノーヒットノーランの条件は満たしていない[A1][A4]。

出典