詳細
九回まで無安打でも勝てた試合
1939年5月6日 阪急対南海3回戦 阪神甲子園球場 ダブルヘッダー第2試合
| 球団名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 阪急 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 |
| 南海 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 2 |
R=得点、H=安打、E=失策。イニング別得点はNPB記録員コラムと照合。安打・失策は編纂された当日成績表による。両軍が九回まで攻撃した試合で、雨天などによる短縮試合ではない。観衆と球数は確認できないため記載しない[A2][B1]。
南海は四回、失策で出た鶴岡一人が二塁へ盗塁し、二死二塁から国久松一の右翼線三塁打で先制した。こちらは適時安打による1点。阪急は五回を終えて無安打で、南海の宮口美吉を打ち崩せないまま六回を迎えた[A2][B1]。
あわせて読む投手九回以上の完封勝利で最も少ない奪三振数は?六回は安打ではなく犠牲フライで同点
阪急の六回表は、西村正夫の四球が出発点となった。山田伝の送りバントで投手・宮口に失策が付き、上田藤夫の犠打と山下好一の死球を経て一死満塁。黒田健吾の左犠飛で西村が生還して1対1となった。得点の骨格はNPB公式の回顧で確認でき、個々の打席順と打球位置はスコアブックを紹介する二次資料で補った[A2][B2]。
| 打者 | 打席結果 | プレー後の状況 |
|---|---|---|
| 西村正夫 | 四球 | 無死一塁 |
| 山田伝 | 投犠失 | 無死一二塁 |
| 上田藤夫 | 投犠打 | 一死二三塁 |
| 山下好一 | 死球 | 一死満塁 |
| 黒田健吾 | 左犠飛① | 西村生還で同点 |
投犠失=投手前への犠牲バントに失策が付いたプレー。①は打点1。通常の安打ではなく、犠打と失策として記録された。二次資料によれば、黒田の犠飛の際に二塁走者の山田が三塁を狙ってアウトとなり、この回は終了した。全打席の結果表ではない[B2]。
七回は一塁走者が送りバントで一気に生還
七回表、先頭の岸本正治が四球で出塁したところで、南海は宮口から平野正太郎へ交代。田中幸男の送りバントを処理した三塁手・鶴岡が一塁へ悪送球し、岸本が一気に本塁へ戻った。安打なしで2対1。阪急は八回も九回も安打を打てなかったが、相手に追い付かれることなく逃げ切った[A2][B1]。
決勝点の走者は宮口が出した岸本である。七回にアウトを取る前に交代した宮口の投球回は6回でも、岸本の生還によって2失点を負う。平野の被安打0・失点0と、平野の登板中にチームが決勝点を失ったことは両立する。打点は黒田の1だけで、阪急の2得点と一致しない。失策による決勝点には打点が付いていない[A2][B1]。
| 球団名 | 選手名 | 登板区分 | 投球回 | 打者 | 被安打 | 奪三振 | 四死球 | 失点 | 自責点 | 勝敗 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 阪急 | 重松通雄 | 先発 | 6 2/3 | 26 | 6 | 1 | 1 | 1 | 0 | - |
| 阪急 | 浅野勝三郎 | 救援 | 2 1/3 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 勝 |
| 南海 | 宮口美吉 | 先発 | 6 | 24 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 敗 |
| 南海 | 平野正太郎 | 救援 | 3 | 11 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | - |
| 位置 | 選手名 | 打順 | 打数 | 安打 | 打点 | 三振 | 四死球 | 盗塁 | 失策 | 確認できた打席結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| (右) | 西村正夫 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 六回 四球 |
| (中) | 山田伝 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 六回 投犠失 |
| (二) | 上田藤夫 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 六回 投犠打 |
| (左) | 山下好一 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 六回 死球 |
| (三) | 黒田健吾 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 六回 左犠飛① |
| (一) | 岸本正治 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 七回 四球 |
| (遊) | 田中幸男 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 七回 三犠失 |
| (捕) | 日比野武 | 8 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| 途中出場→捕 | 石井武夫 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| (投) | 重松通雄 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 未確認 |
| 途中出場→投 | 浅野勝三郎 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| 位置 | 選手名 | 打順 | 打数 | 安打 | 打点 | 三振 | 四死球 | 盗塁 | 失策 | 確認できた打席結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| (遊) | 小林悟楼 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| (左) | 平井猪三郎 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| (右) | 岡村俊昭 | 3 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 未確認 |
| (三) | 鶴岡一人 | 4 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 四回 三ゴ失 |
| (一) | 中村金次 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 四回 右飛 |
| (二) | 国久松一 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 四回 右三① |
| (捕) | 中田道信 | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 未確認 |
| (中) | 伊藤経盛 | 8 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 七回 左中二 |
| (投) | 宮口美吉 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 未確認 |
| 途中出場→投 | 平野正太郎 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 七回 左飛 |
宮口の9回換算与四死球は(141+7)×9÷(234+1/3)=5.684…を四捨五入。年間の傾向であり、当日の球種・球速や投球数を復元する数字ではない。南海の平野は右投右打で、同年18登板・3勝3敗・65回1/3、防御率2.18だった[A6][A7]。
◇勝利投手は現在の考え方と違う
阪急は七回表に勝ち越し、その裏の二死二塁で重松から浅野へ交代した。NPB記録員コラムは、現在なら重松が勝利投手になるが、当時の記録員はピンチを抑えて最後まで投げた浅野を勝利投手にした、と説明する。本稿では現在の基準で変更せず、公式に残った勝利=浅野、敗戦=宮口を掲載した[A2]。
浅野は左投左打、明石中から全明石を経た選手。1939年は投手として7登板、4勝2敗、33回2/3、防御率3.71。一方で打者として59試合、126打数35安打、打率.278を残した。投手の登板数より打者の出場試合数が大きく、この日の救援投手という役割だけでは年間の起用を捉えられない[A5]。
◇無安打勝利の翌年にはノーヒットノーラン
浅野は翌1940年4月14日、甲子園でタイガースを9対0で破り、今度は自身がノーヒットノーランを達成した。打者28人、四死球1、4奪三振。一年前は味方が無安打でも勝ち、一年後は相手を無安打無得点に抑えて勝った。同じ投手が二つの珍しい試合の勝利投手になった[A4]。
◇宮口は第1試合に続けて先発していた
当日の編纂資料によれば、宮口はダブルヘッダー第1試合を完投し、第2試合も先発していた。左投左打で京阪商出身。1939年は47登板、234回1/3、141四球、7死球、89奪三振、防御率3.10。シーズンの与四死球を9回あたりに直すと5.68個になる。当日は6四死球が付いたが、連投の疲労が直接原因だったと断定できる証言は確認していない[A6][B1]。
| 順位 | 球団名 | 勝利 | 敗北 | 引分 | 試合 | 勝率 | 打率 | 安打 | 得点 | 本塁打 | 盗塁 | 防御率 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 東京巨人 | 66 | 26 | 4 | 96 | .717 | .266 | 869 | 493 | 26 | 121 | 2.07 | 267 |
| 2 | 大阪タイガース | 63 | 30 | 3 | 96 | .677 | .239 | 776 | 438 | 32 | 110 | 2.02 | 277 |
| 3 | 阪急 | 58 | 36 | 2 | 96 | .617 | .234 | 725 | 367 | 11 | 132 | 2.16 | 268 |
| 4 | 東京セネタース | 49 | 38 | 9 | 96 | .563 | .203 | 629 | 290 | 12 | 87 | 2.21 | 287 |
| 5 | 南海 | 40 | 50 | 6 | 96 | .444 | .230 | 713 | 336 | 15 | 130 | 2.51 | 342 |
| 6 | 名古屋 | 38 | 53 | 5 | 96 | .418 | .216 | 680 | 301 | 19 | 134 | 2.44 | 349 |
| 7 | 名古屋金鯱 | 36 | 56 | 4 | 96 | .391 | .204 | 627 | 265 | 13 | 125 | 2.86 | 398 |
| 8 | ライオン | 33 | 58 | 5 | 96 | .363 | .217 | 695 | 314 | 8 | 96 | 3.11 | 429 |
| 9 | イーグルス | 29 | 65 | 2 | 96 | .309 | .200 | 619 | 247 | 20 | 61 | 3.17 | 434 |
◇ノーヒットノーランとの違い
問うているのは勝ったチーム自身が打った安打数である。ノーヒットノーランは、投手が相手に安打も得点も許さない記録。この試合では阪急が0安打2得点、南海が6安打1得点で、南海の継投は無安打に抑えながら失点したため、無安打無得点ではない[A1][A4]。
四死球や失策で走者を出しても、得点を許さなければノーヒットノーランは成立し得る。実際に浅野が翌年達成した試合は四死球1。完全試合は走者を一人も出さず終える点でさらに条件が異なる。またNPBは継投による無安打無得点を単独達成とは別に参考掲載している。今回の南海は継投に加えて失点があり、継投ノーヒットノーランにも当たらない[A4]。
無安打でも得点した他の試合
| 日付 | 無安打の球団 | 相手球団 | 自軍得点 | 相手得点 | 勝敗 | 無安打の相手投手 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1939年5月6日 | 阪急 | 南海 | 2 | 1 | 勝 | 宮口美吉→平野正太郎 |
| 1939年8月3日 | 名古屋金鯱 | イーグルス | 1 | 2 | 敗 | 亀田忠 |
| 1959年5月21日 | 巨人 | 阪神 | 2 | 3 | 敗 | 村山実 |
| 1964年5月13日 | 南海 | 近鉄 | 1 | 3 | 敗 | 牧野伸→山本重政 |
| 2025年4月18日 | ソフトバンク | 西武 | 1 | 2 | 敗 | 今井達也→平良海馬 |
NPB公式の「無安打に抑えるも得点される」と同継投欄にある全5試合。無安打だった攻撃側の視点に統一し、勝敗と得点も並べ替えた。コールドや途中まで無安打だった試合の網羅表ではない。0安打勝利はこの中でも阪急の1試合だけ[A1]。
1959年の巨人は三塁手と投手の悪送球で2得点したが敗戦。2025年のソフトバンクは四球、盗塁、内野ゴロ二つで1点を挙げたが1対2で敗れた。こちらは失策に頼らず無安打で得点した例である。「無安打で得点」と「無安打で勝利」を分けて読むと、同じ0安打でも勝利まで届いた阪急の特異さが見える[A2]。
確認範囲と資料の扱い
確認日:2026年10月12日。日本の一軍レギュラーシーズンで、実際に行われた試合に勝利したチームの公式安打数を対象とする。二軍・球宴・ポストシーズン・海外リーグ・没収試合は対象外。0は安打数の下限であり、NPB公式が唯一とする実例を確認した。今後の同数記録の追加はあり得るが、より少ない安打数への更新はない[A1]。
結論、得点経過、継投と勝敗はNPB公式を優先した。両軍のオーダーと当日合計はウスコイ企画の二次資料、詳しい打席結果はスコアブックを紹介するブログによる。写真は細部の判読に限界があり、全打席を独立に転記した表にはしていない。六回の送りバントはNPBの失策記述と二次資料の犠打失策に従い、出所不明の野選説に置き換えない。投手の四球・死球の全内訳、正確な交代時刻、球種別投球数は補わない[A2][B1][B2]。