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NPB公式一覧では、中尾輝三は1939年11月3日の東京セネタース戦(後楽園)で1-0のノーヒットノーランを達成。打者35人に対して四死球10で、備考にも「与四球10」と記録されている。補助資料では死球0、失策0で、出塁は10四球による10回だった。亀田忠は1940年3月18日のライオン戦(西宮)で5-0。NPB公式では打者34人、四死球9。補助資料では死球0、失策1とされ、9四球+1失策で合計10回となる。
この記録が成立するのは、ノーヒットノーランが「誰も塁に出さない」記録ではないからだ。四死球や失策で走者を出しても、相手に安打も得点も許さず試合を終えれば成立する。中尾と亀田は、通常なら失点につながりかねないほど走者を出しながら、9イニングを無失点で完投した。NPBの記録員コラムでも、亀田が1940年の達成時に9四球を与えたことが紹介されている。
注意したいのは、「出塁を許した回数」がNPBの公式な歴代ランキング項目ではないこと。本記事では、全達成試合について四球・死球・失策を掲載する補助資料とNPB公式一覧を照合し、この3項目の合計で比較している。そのため「NPB史上最多」と断定せず、「確認できる範囲で最多タイ」と扱う。なお、四死球だけなら中尾の10はNPB公式一覧で最多となっている。
最多タイ2試合のうち、公開資料で打順と打席経過を追える1940年3月18日のライオン-イーグルス戦は、両軍オーダーとライオン側の全打席結果を掲載する。
1940年3月18日 イーグルス 5-0 ライオン(西宮) ライオンのオーダー
| 選手名 | 打席結果 |
|---|---|
| 坪内道則 | 四球/四球/四球/一邪飛 |
| 玉腰年男 | 右飛/三振/右飛/三振 |
| 水谷則一 | 二ゴ/四球/三ゴ失/四球 |
| 鬼頭数雄 | 左飛/一ゴ併/投ゴ併/二ゴ |
| 広田修三 | 四球/凡退/四球/三振 |
| 山本尚敏 → 菊矢吉男(代打) | 四球/凡退/遊飛/三ゴ |
| 松岡甲二 → 伊藤吉男(代打) | 三振/凡退/凡退/遊飛 |
| 前田諭治 | 四球/凡退/凡退 |
| 近藤久 | 二ゴ併/凡退/凡退 |
| 近藤久 → 福士勇 | ― |
イーグルスのオーダー
| 選手名 |
|---|
| 岩垣二郎 |
| 岡田福吉 |
| 中河美芳 |
| 谷義夫 |
| 亀田忠 |
| 寺内一隆 |
| 竹内功 |
| 清家忠太郎 |
| 山田潔 |
| 亀田忠(9回完投) |
打席結果はノーヒットノーランを喫したライオン側のみ。4回・7回など、公開資料で打球方向まで確認できない打席は「凡退」と表記。6回の水谷則一「三ゴ失」が、失策によるこの試合唯一の出塁です。
1939年11月3日の東京巨人-東京セネタース戦は、公開資料から全9人の打順と全35打席を確実に復元できなかったため、推測でオーダー表を埋めていない。確認できる4回には、先頭の尾茂田叶が四球で出塁し、続く野口二郎の右翼方向への打球で一走が二塁封殺。スコアカード上の公式記録は「二ゴロ」とされている。