最も多く出塁を許したノーヒットノーラン

ノーヒットノーランはHランプを灯さない完封勝利。そう、Hランプさえ灯さなければ。

一般的には?

NPB公式では、個人による無安打無得点試合は103度。本記事と同じく四球・死球・失策の合計を「出塁回数」として集計すると、103試合で合計284回、1試合平均は約2.8回となる。

ノーヒットノーランの平均出塁回数
約2.8回

答え

四死球・失策による出塁回数10回(最多タイ)

答えは10回。四球・死球・失策による出塁を合計して確認できる範囲では、1939年の中尾輝三と1940年の亀田忠が最多タイとなる。中尾は10四球、亀田は9四球と1失策で、ともに10回の出塁を許しながら無安打無得点で投げ切った。

年
1939年 1940年
選手
中尾輝三(1939年) 亀田忠(1940年)
チーム
東京巨人(1939年) イーグルス(1940年)
カテゴリ
投手

普通と比べると

ノーヒットノーランの平均出塁回数
約2.8回
このノーヒットノーラン
10回

平均の約3.6倍(約7.2回多い)

NPB公式の個人による無安打無得点試合103度(完全試合を含む)を対象。NPB公式一覧の四死球を合計すると243回、補助資料の失策欄を合計すると41回で、計284回÷103試合=約2.76回。表示は約2.8回とした。出塁回数は本記事と同じく、四球・死球・失策の合計で集計している。

詳細

NPB公式一覧では、中尾輝三は1939年11月3日の東京セネタース戦(後楽園)で1-0のノーヒットノーランを達成。打者35人に対して四死球10で、備考にも「与四球10」と記録されている。補助資料では死球0、失策0で、出塁は10四球による10回だった。亀田忠は1940年3月18日のライオン戦(西宮)で5-0。NPB公式では打者34人、四死球9。補助資料では死球0、失策1とされ、9四球+1失策で合計10回となる。

この記録が成立するのは、ノーヒットノーランが「誰も塁に出さない」記録ではないからだ。四死球や失策で走者を出しても、相手に安打も得点も許さず試合を終えれば成立する。中尾と亀田は、通常なら失点につながりかねないほど走者を出しながら、9イニングを無失点で完投した。NPBの記録員コラムでも、亀田が1940年の達成時に9四球を与えたことが紹介されている。

注意したいのは、「出塁を許した回数」がNPBの公式な歴代ランキング項目ではないこと。本記事では、全達成試合について四球・死球・失策を掲載する補助資料とNPB公式一覧を照合し、この3項目の合計で比較している。そのため「NPB史上最多」と断定せず、「確認できる範囲で最多タイ」と扱う。なお、四死球だけなら中尾の10はNPB公式一覧で最多となっている。

最多タイ2試合のうち、公開資料で打順と打席経過を追える1940年3月18日のライオン-イーグルス戦は、両軍オーダーとライオン側の全打席結果を掲載する。

1940年3月18日 イーグルス 5-0 ライオン(西宮) ライオンのオーダー

選手名打席結果
坪内道則四球/四球/四球/一邪飛
玉腰年男右飛/三振/右飛/三振
水谷則一二ゴ/四球/三ゴ失/四球
鬼頭数雄左飛/一ゴ併/投ゴ併/二ゴ
広田修三四球/凡退/四球/三振
山本尚敏 → 菊矢吉男(代打)四球/凡退/遊飛/三ゴ
松岡甲二 → 伊藤吉男(代打)三振/凡退/凡退/遊飛
前田諭治四球/凡退/凡退
近藤久二ゴ併/凡退/凡退
近藤久 → 福士勇―

イーグルスのオーダー

選手名
岩垣二郎
岡田福吉
中河美芳
谷義夫
亀田忠
寺内一隆
竹内功
清家忠太郎
山田潔
亀田忠(9回完投)

打席結果はノーヒットノーランを喫したライオン側のみ。4回・7回など、公開資料で打球方向まで確認できない打席は「凡退」と表記。6回の水谷則一「三ゴ失」が、失策によるこの試合唯一の出塁です。

1939年11月3日の東京巨人-東京セネタース戦は、公開資料から全9人の打順と全35打席を確実に復元できなかったため、推測でオーダー表を埋めていない。確認できる4回には、先頭の尾茂田叶が四球で出塁し、続く野口二郎の右翼方向への打球で一走が二塁封殺。スコアカード上の公式記録は「二ゴロ」とされている。

何がすごいのか

  • 被安打0なのに、四死球と失策だけで10回も相手を出塁させている。
  • 中尾は10四球、亀田は9四球+1失策という別ルートで、同じ最多タイに到達した。
  • ノーヒットノーランの平均出塁回数は約2.8回。10回はその約3.6倍にあたる。

出典