詳細
小さな体でマウンドに立った浜崎兄弟
兄の浜崎真二は身長156cm、体重50kgの左投手。1947年、45歳で阪急に入り、監督を兼ねて一軍マウンドに立った。投手として1947・48・50年に計30登板、5勝5敗、防御率4.03を記録した[1][4][5]。
弟の浜崎忠治もNPB公式では156cm、53kg。1947~48年に中日で計66試合に出場し、1947年には投手としても3試合に登板した。最小の公表身長で並ぶ2人が実の兄弟というのも珍しい[2][16]。
◇兄は48歳でも勝利投手
浜崎真二は1950年、48歳4か月で勝利投手となり、当時のプロ野球最年長勝利記録を持っていた。2014年に山本昌が49歳25日で更新するまで、その名は長く記録に残った[5]。
浜崎は投球だけでなく阪急などの監督も務め、1978年に野球殿堂入りした。野球殿堂博物館は、慶大時代や満州クラブ時代の活躍も紹介している[4]。
公式記録に残る小柄な選手たち
NPB公式の公表身長が160cm以下と確認できた主な一軍出場選手を、小さい順にまとめた。156cmの2人に続いて158cmの選手が2人、160cmの選手も複数いた[1][2][6][7][8][9][10][11][12]。
| 順位 | 選手名 | 公表身長 | 公式戦出場年/球団 | 守備・一軍通算成績 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 浜崎真二 | 156cm | 1947~48・50/阪急 | 投手・30登板、5勝[1] |
| 1 | 浜崎忠治 | 156cm | 1947~48/中日 | 投手・3登板/野手66試合[2] |
| 3 | 山本栄一郎 | 158cm | 1936~42/巨人 | 野手・92試合[6] |
| 3 | 藤浪光雄 | 158cm | 1937~38/大東京ほか | 捕手・104試合[7] |
| 5 | 中村信一 | 160cm | 1936~47/セネタースほか | 内野手・527試合[8] |
| 5 | 加藤信夫 | 160cm | 1936~37/大阪 | 捕手等・18試合[9] |
| 5 | 皆川定之 | 160cm | 1937~52/阪神・東急ほか | 内野手・895試合[10] |
| 5 | 磯田憲一 | 160cm | 1950~56/広島 | 内野手・502試合[11] |
| 5 | 平山智 | 160cm | 1955~64/広島 | 外野手・996試合[12][13] |
NPB公式プロフィールで数値を確認した9選手の比較。順位はこの表に掲載した選手内での同順位を反映し、NPBが認定した歴代完全ランキングではない。球団は当時の表記を簡略化。成績は一軍通算、投手・野手の区別は各選手資料に準じた。
小柄な選手が少なかったわけではない。身長160cmの平山智は米国生まれで、広島で10シーズン、通算996試合・45本塁打・160盗塁を記録した。外国にルーツを持つ選手も含めた比較でも、今回確認した最小の公表身長は156cmだった[12][13]。
◇資料によっては150cmとも記される
ただし、公表身長と実際の体格は同義ではない。野球殿堂博物館の浜崎真二の紹介文には「身長150センチ」とあり、週刊ベースボールにも「実際は151センチだったともいう」と記載されている[4][5]。いずれもNPB選手プロフィールの156cmとは異なるため、本記事の答えには採用しない[1]。
現代でも小柄な選手は活躍する。2026年6月5日の広島対オリックス戦では、公表身長163cmの勝田成が213cmのショーン・ジェリーと対戦。身長差50cmの打席が実現し、3回には勝田が左前打を放った[14][15]。
この記録は「NPB公式プロフィール上で確認できる最小の公表身長」を対象とする。野球殿堂博物館の150cmは同じ人物の伝記的紹介であり、在籍当時の公式登録値と断定できない。外国人・育成のみの在籍者を含めた全時代の完全身長名簿の再集計ではないため、「NPBが歴代最少と公式認定した記録」とは扱わない。資料確認日:2026年10月10日。