NPB通算犠打ランキングTOP20

送りバントで走者を進める犠打。通算で最も多く記録した打者は、どれほど積み重ねたのか。実働期間や試合数、年間最多記録を比較する。

概要

NPB一軍公式戦の通算犠打。2026年10月7日現在のNPB公式上位20人を対象に、出場試合数と実働期間を比較。シーズン記録は2025年度終了時点のNPB公表一覧、2025年度リーグ最多の値を参照する。犠飛、ポストシーズン、MLBなどのNPB一軍公式戦以外は対象外。

NPBの通算犠打を多い順に並べ、1試合あたりの頻度と記録した期間を合わせて読む。犠打は打席数や試合数だけで決まらず、起用位置・打順・チームの戦術にも左右されるため、総数だけで選手のバント技術や戦術的価値を断定しない[1][2]。

詳細

歴代通算犠打ランキングTOP20

2026年10月7日現在、通算犠打1位は川相昌弘の533犠打。2位の平野謙は451犠打で、その差は82。3位に宮本慎也、4位に今宮健太、5位に菊池涼介と続く。表の「100試合あたり」は通算犠打÷通算試合数×100で求めた参考値である[1]。

順位選手名犠打試合100試合あたり実働期間
1川相昌弘5331,90927.91984–2006
2平野謙4511,68326.81981–1996
3宮本慎也4082,16218.91995–2013
4今宮健太4041,72223.52011–2026
5菊池涼介3901,91020.42012–2026
6伊東勤3052,37912.81982–2003
7田中浩康3021,29223.42005–2018
8新井宏昌3002,07614.51975–1992
9細川亨2961,42820.72002–2020
10金子誠2921,99614.61995–2014
11石井琢朗2892,41312.01989–2012
12荒木雅博2842,22012.81997–2018
13正田耕三2821,56518.01985–1998
14水口栄二2791,56117.91991–2007
15小坂誠2671,37119.51997–2010
16大島公一2651,37519.31993–2005
17吉田義男2642,00713.21953–1969
17東出輝裕2641,49217.71999–2012
19平野恵一2561,26020.32002–2015
19中島卓也2561,31419.52011–2026

同順位は公式表示に合わせた。17位は2人、19位も2人で、20位以内は20人。100試合あたりの犠打は独自計算のためNPB公式順位ではない。先発・途中出場の差、犠打を指示された機会や打順は補正していない[1]。

関連記事選手・キャリア名球会発足後、最初に入会基準を達成した選手は?名球会の入会基準となる通算記録。会の発足時にはすでに達成者がいたが、発足後に初めて基準を満たしたのは誰だったのか。その一打と歩みを追う。

通算1位の記録はどれほど突出しているか

上位20人の犠打数の単純平均は約319.4。川相の533犠打はその約1.67倍で、2位を82犠打上回る。500犠打以上を達成したのはこの公式一覧で川相1人、400犠打以上は川相・平野・宮本・今宮の4人である[1]。

比較対象犠打100試合あたり
歴代1位53327.9
歴代2位45126.8
歴代TOP20平均319.418.7(各人の率の単純平均)

ランキングTOP20の犠打数は各人を1件として平均(同順位も1人ずつ)。「100試合あたり」の平均は各選手の補助指標を単純平均したものであり、リーグ平均や一般選手の平均ではない[1]。

試合数で割ると順位の見え方が変わる

川相は1909試合で533犠打、100試合あたり約27.9。平野謙は1683試合・451犠打で約26.8と近い水準にある。一方、田中浩康は1292試合・302犠打で約23.4、伊東勤は2379試合・305犠打で約12.8。ほぼ同じ300犠打台でも、試合数に対する記録の密度は大きく違う[1]。

選手名通算犠打出場試合100試合あたり
川相昌弘5331,90927.9
平野謙4511,68326.8
今宮健太4041,72223.5
菊池涼介3901,91020.4
田中浩康3021,29223.4
伊東勤3052,37912.8
細川亨2961,42820.7
石井琢朗2892,41312.0

※これは「出場1試合あたりの犠打記録数」であり、犠打の成功率ではない。打順、出場形態、走者の有無、ベンチの作戦などを調整していないため、純粋なバント技術を測るものではない。

◇川相昌弘はシーズンでも上位に何度も登場

川相は巨人と中日で1984~2006年にプレーし、通算533犠打を記録。1991年には66犠打でシーズン記録の歴代2位、1990年は58犠打、1996年は56犠打と、複数年にわたって50犠打以上を重ねた。野球殿堂博物館は、2003年に大リーグの通算犠打記録を上回ったことも紹介している[1][2][8][9]。

◇平野謙は比較的少ない試合数で通算2位

平野謙は1683試合に出場し、451犠打を積み上げた。1982年に51犠打、1990年と1991年にはいずれも50犠打を記録。通算試合数では1位の川相より226試合少ないが、犠打の総数では歴代2位に入っている[1][2]。

◇シーズン最多の宮本慎也は通算3位

宮本慎也は2001年に67犠打を記録し、NPBのシーズン犠打記録で歴代1位。通算は408犠打で3位であり、川相より125少ない。1年の最高記録を持つ選手が、通算でも最多とは限らないことを示す[1][2]。

シーズン記録との比較

シーズン最高の67犠打は、2025年のセ・リーグ最多44犠打やパ・リーグ最多24犠打を大きく上回る。通算トップ選手が1年でどの程度記録したかを見ると、年間の高水準を繰り返し作る重要性も分かる。ただし2025年と過去の年度は、試合数や戦術環境が違う[2][3][4]。

年度選手名所属犠打シーズンでの位置
2001宮本慎也ヤクルト67歴代1位
1991川相昌弘巨人66歴代2位
2011田中浩康ヤクルト62歴代3位タイ
2013今宮健太ソフトバンク62歴代3位タイ
2014今宮健太ソフトバンク62歴代3位タイ
2016中島卓也日本ハム62歴代3位タイ
2025中野拓夢阪神44同年セ最多
2025海野隆司ソフトバンク24同年パ最多

歴代順位はNPBシーズン記録一覧(2025年度終了時点)。2025年の2例は同年の両リーグ最多であり、歴代順位ではない[2][3][4]。

現役選手が歴代上位を追いかけている

今宮健太は2025年8月27日に通算400犠打へ到達し、NPB史上4人目となった。2026年10月7日時点では404犠打の歴代4位で、3位の宮本慎也とは4差。一方の菊池涼介は2024年8月29日に通算350犠打へ到達し、2026年10月7日時点で390犠打の歴代5位にいる[1][5][6][7][10]。

選手名通算犠打歴代順位区切りの記録
今宮健太4044位2025年8月27日に400犠打(4人目)
菊池涼介3905位2024年8月29日に350犠打(5人目)

◇今宮健太は同じシーズンに62犠打を2度記録

今宮は2013年と2014年に続けて62犠打を記録し、ともに歴代3位タイ。通算400犠打の達成は2025年8月27日、楽天戦の4回(秋田)で記録された。短期間の高い記録と長年の累積が結びついた例である[2][5][6][10]。

◇菊池涼介は2026年も犠打を積み増した

菊池は2013年の50犠打でシーズン歴代18位タイにも入る。2024年の350犠打到達から2026年10月7日には390犠打まで増やし、歴代5位となった。2026年のセ・リーグ犠打ランキングでも20犠打で2位である[1][2][7][11][12]。

「犠打が多い」は長く試合に出たことと同じではない

上位20人には、伊東勤(305犠打・2379試合)や細川亨(296犠打・1428試合)のような捕手、石井琢朗(289犠打・2413試合)のような長期出場の野手も含まれる。出場試合の多さそのものが犠打の順位を決めるわけではなく、打順や起用の状況に左右される記録である[1]。

犠打と犠飛は別の記録

犠打は主に送りバントで走者を進めた記録で、犠牲フライはNPBでは「犠飛」として別部門で集計される。このランキングは犠打だけを対象としているため、「犠打+犠飛」の合計順位ではない。また、犠打の総数は試みた回数や成功率を示すものでもない[1][13]。

このランキングから分かること

通算犠打は1年の高い数字を一度出すだけでは上位になりにくい。川相のように長年にわたって積み上げた選手、宮本のように年間最高記録を持つ選手、今宮と菊池のように現代でも上位へ食い込んだ選手が同じ表に並ぶ。出場試合数やシーズン最多と比べると、単なる総数では見えない記録の個性が分かる。

集計条件:NPB一軍公式戦の犠打。通算は2026年10月7日時点のNPB公開値、シーズン歴代記録は2025年度終了現在の公開値。シーズン比較に2025年の両リーグ最多を使用。犠飛、ポストシーズン、MLBなどは含めない。100試合あたり犠打=犠打÷試合数×100。資料確認日:2026年10月9日。

何がすごいのか

  • 通算最多533犠打は2位より82多く、TOP20平均(約319.4)の約1.67倍。
  • 年間最多67犠打の宮本慎也は通算3位。シーズン記録と通算記録では首位が異なる。
  • 現役の今宮健太が404犠打で歴代4位、菊池涼介が390犠打で5位。時代をまたぐ記録である。

出典