概要
NPB一軍公式戦の通算敗北。NPB公式「敗北【通算記録】」の2026年度シーズン終了現在の上位20投手を対象とする。勝利・登板・投球回・2026年と2025年の年間敗戦最多・現役記録を比較する。MLB・二軍・ポストシーズンは含めない。
投手に付く「敗北」は、一軍公式戦で敗戦投手に記録された回数である。通算数は登板機会や役割、投手起用の時代差も受ける。そこで順位表に勝利と登板を併記し、勝率と100登板あたり敗戦数を別々に計算する。単純な敗北の数だけで投手の優劣は判断しない[1][2]。
最終更新日:
敗戦の多さは、必ずしも投手の実力の低さを意味しない。長く投げ続けた歴代投手を、勝利数や登板数、勝率とともに比べてみる。
NPB一軍公式戦の通算敗北。NPB公式「敗北【通算記録】」の2026年度シーズン終了現在の上位20投手を対象とする。勝利・登板・投球回・2026年と2025年の年間敗戦最多・現役記録を比較する。MLB・二軍・ポストシーズンは含めない。
投手に付く「敗北」は、一軍公式戦で敗戦投手に記録された回数である。通算数は登板機会や役割、投手起用の時代差も受ける。そこで順位表に勝利と登板を併記し、勝率と100登板あたり敗戦数を別々に計算する。単純な敗北の数だけで投手の優劣は判断しない[1][2]。
NPB公式の歴代上位は金田正一298敗、米田哲也285敗、梶本隆夫255敗と続く。歴代20位でも165敗である。2026年度終了現在、上位20人に現役投手は石川雅規と涌井秀章の2人が含まれる[1]。
| 順位 | 投手名 | 敗北 | 勝利 | 登板 | 実働期間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 金田正一 | 298 | 400 | 944 | 1950–1969 |
| 2 | 米田哲也 | 285 | 350 | 949 | 1956–1977 |
| 3 | 梶本隆夫 | 255 | 254 | 867 | 1954–1973 |
| 4 | 東尾修 | 247 | 251 | 697 | 1969–1988 |
| 5 | 鈴木啓示 | 238 | 317 | 703 | 1966–1985 |
| 6 | 小山正明 | 232 | 320 | 856 | 1953–1973 |
| 7 | 長谷川良平 | 208 | 197 | 621 | 1950–1963 |
| 8 | 平松政次 | 196 | 201 | 635 | 1967–1984 |
| 9 | 石川雅規 | 194 | 188 | 552 | 2002–2026 |
| 10 | 松岡弘 | 190 | 191 | 660 | 1968–1985 |
| 11 | 坂井勝二 | 186 | 166 | 605 | 1959–1976 |
| 12 | 石井茂雄 | 185 | 189 | 705 | 1958–1979 |
| 13 | 三浦大輔 | 184 | 172 | 535 | 1992–2016 |
| 14 | 別所毅彦 | 178 | 310 | 662 | 1942–1960 |
| 15 | 村田兆治 | 177 | 215 | 604 | 1968–1990 |
| 16 | スタルヒン | 176 | 303 | 586 | 1936–1955 |
| 17 | 秋山登 | 171 | 193 | 639 | 1956–1967 |
| 18 | 涌井秀章 | 170 | 170 | 529 | 2005–2026 |
| 19 | 山田久志 | 166 | 284 | 654 | 1969–1988 |
| 20 | 山本昌 | 165 | 219 | 581 | 1986–2015 |
NPB公式「敗北【通算記録】」の2026年度シーズン終了現在。勝敗・登板・実働期間は同一の公式一覧による。実働期間の開始年と終了年の間に毎年登板したとは限らない。★は通算1位を示す[1]。
関連記事投手通算で最も多くの借金を残した投手は?金田の298敗は2位・米田の285敗より13多い。TOP20の敗北数を各投手1件として単純平均すると約205.1敗で、1位は平均より約92.9敗多い。ただし長く投げて勝敗が付く機会を得た投手ほど、通算の敗北数も増えやすい[1]。
| 比較対象 | 敗北 | 登板 | 100登板あたり敗北 |
|---|---|---|---|
| 歴代1位の通算 | 298 | 944 | 31.6 |
| 歴代2位の通算 | 285 | 949 | 30.0 |
| 歴代3位の通算 | 255 | 867 | 29.4 |
| TOP20単純平均 | 205.1 | 679.2 | — |
| 歴代20位の通算 | 165 | 581 | 28.4 |
TOP20平均は20人の記録の単純平均。100登板あたり敗北=敗北÷登板×100。先発登板と救援登板を区別しておらず、登板した試合の敗戦率そのものではない[1]。
金田は通算400勝、米田は350勝、鈴木啓示は317勝、小山正明は320勝を記録している。いずれも敗北ランキング上位だが、勝利数でも歴代上位の投手だ。敗戦数の多さを能力だけの結果と結びつけず、勝利数と登板機会も見ておきたい[1][2]。
梶本隆夫は254勝255敗で、勝利より敗北が1多い。1954年から20シーズン、阪急で867試合に登板して2945奪三振を積み上げた。通算250勝以上で負け越している点が珍しいが、野球殿堂博物館は阪急を支えた主力左腕として紹介している[1][12]。
東尾修は251勝247敗で勝ち越し4、松岡弘は191勝190敗で勝ち越し1。一方、別所毅彦は310勝178敗、スタルヒンは303勝176敗と、敗北ランキング上位でも勝敗の差が大きい。勝率は勝利÷(勝利+敗北)で求め、登板数とは別に比較する[1][2]。
| 投手名 | 勝利 | 敗北 | 勝率 | 勝敗差 |
|---|---|---|---|---|
| 金田正一 | 400 | 298 | 0.573 | +102 |
| 米田哲也 | 350 | 285 | 0.551 | +65 |
| 梶本隆夫 | 254 | 255 | 0.499 | -1 |
| 東尾修 | 251 | 247 | 0.504 | +4 |
| 小山正明 | 320 | 232 | 0.580 | +88 |
| 長谷川良平 | 197 | 208 | 0.486 | -11 |
| 平松政次 | 201 | 196 | 0.506 | +5 |
| 石川雅規 | 188 | 194 | 0.492 | -6 |
| 別所毅彦 | 310 | 178 | 0.635 | +132 |
| スタルヒン | 303 | 176 | 0.633 | +127 |
| 涌井秀章 | 170 | 170 | 0.500 | 0 |
勝率=勝利÷(勝利+敗北)。勝敗差=勝利-敗北。引き分けや勝敗の付かない登板を除いた計算であり、登板した試合に対する勝率ではない[1][2]。
通算敗北数がほぼ同じ投手でも、出場試合数の差が大きい。長谷川良平は621登板で208敗、石川雅規は552登板で194敗、涌井秀章は529登板で170敗。ここでは100登板あたりの敗北数を比較する。ただし敗戦が付かない救援登板も分母に入るため、投手の実力を示す単独指標とはしない[1]。
| 投手名 | 敗北 | 登板 | 100登板あたり敗北 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|
| 長谷川良平 | 208 | 621 | 33.5 | 0.486 |
| 石川雅規 | 194 | 552 | 35.1 | 0.492 |
| 三浦大輔 | 184 | 535 | 34.4 | 0.483 |
| 東尾修 | 247 | 697 | 35.4 | 0.504 |
| 鈴木啓示 | 238 | 703 | 33.9 | 0.571 |
| 米田哲也 | 285 | 949 | 30.0 | 0.551 |
| 金田正一 | 298 | 944 | 31.6 | 0.573 |
| 涌井秀章 | 170 | 529 | 32.1 | 0.500 |
| 山田久志 | 166 | 654 | 25.4 | 0.631 |
100登板あたり敗北=通算敗北÷通算登板×100。役割や先発・救援の割合、投手に勝敗が付かなかった登板、チーム得点などは補正していない[1]。
NPB公式のシーズン敗北最多は1940年の中山正嘉の29敗。1950年の長谷川良平は27敗、1957年の秋山登も27敗を記録した。これに対して2025年の両リーグ最多はセ14敗、パ10敗、2026年はセ・パとも12敗。数字の差には年間の投手起用や時代背景がある[4][5][6][7][8]。
| 年度・リーグ | 投手名 | 敗北 | 登板 | 勝利 |
|---|---|---|---|---|
| 1940年 | 中山正嘉 | 29 | 61 | 18 |
| 1950年 | 長谷川良平 | 27 | 56 | 15 |
| 1957年 | 秋山登 | 27 | 65 | 24 |
| 1972年 | 東尾修 | 25 | 55 | 18 |
| 2025年 セ | 森下暢仁 | 14 | — | — |
| 2025年 パ | 隅田知一郎/小島和哉 | 10 | — | — |
| 2026年 セ | 金丸夢斗/吉村貢司郎 | 12 | — | — |
| 2026年 パ | 九里亜蓮 | 12 | — | — |
歴代シーズン値はNPB「敗北【シーズン記録】」掲載の2025年度終了時点の記録。2025・2026年はNPBの各リーグ年度別敗北リーダーズを使用。近年欄の登板数・勝利数はここで集計していないため記載しない[4][5][6][7][8]。
金田は944登板で5526回2/3、米田は949登板で5130回、小山は856登板で4899回、鈴木は703登板で4600回1/3を投げた。どの投手も長期に大量のイニングを担当しており、敗戦数の多さはその投球機会と切り離せない。だが同じ投球回数での敗戦率を評価する指標ではない[1][3]。
| 投手名 | 敗北 | 投球回 | 登板 | 勝利 |
|---|---|---|---|---|
| 金田正一 | 298 | 5,526回2/3 | 944 | 400 |
| 米田哲也 | 285 | 5,130回 | 949 | 350 |
| 梶本隆夫 | 255 | 4,208回 | 867 | 254 |
| 鈴木啓示 | 238 | 4,600回1/3 | 703 | 317 |
| 小山正明 | 232 | 4,899回 | 856 | 320 |
| 東尾修 | 247 | 4,086回 | 697 | 251 |
投球回はNPB公式「投球回【通算記録】」に基づく。「.1」は1/3回、「.2」は2/3回の野球式表記として換算した[3]。
金田は国鉄・巨人に所属し、通算400勝298敗。4490奪三振と5526回2/3の通算記録に加え、14年連続20勝以上を達成した。野球殿堂博物館の記録欄にも、通算最多勝と通算最多敗戦の両方が記されている[10]。
米田は22シーズンで949登板、350勝285敗。野球殿堂博物館は「ガソリンタンク」の異名と、19年連続2桁勝利の記録を紹介している。勝利数も敗北数も歴代2位で、長く先発の柱を担った投手の典型だ[11][1][2]。
1950年の広島創設時に入団し、初年度から15勝27敗。その後1955年には30勝して最多勝を獲得した。通算では197勝208敗、13年間にわたり621試合へ登板している。1年の大量敗戦と、その後の最多勝が同じ投手の経歴に残る[14][4]。
東尾はライオンズ一筋で251勝247敗。1975年と1983年に最多勝を獲得し、1983年と1987年にMVPを受賞した。1972年には25敗を記録しており、勝利も敗北も大量に積み上げながら投げ続けた投手だった[13][4]。
鈴木は近鉄で20年間プレーし、20勝以上を挙げたシーズンが通算8度。野球殿堂博物館はノーヒットノーラン2度と通算無四球試合78も紹介している。238敗という記録だけでは、こうした長期の投球実績は見えてこない[16]。
平松は大洋一筋で201勝196敗。1969年から12年連続2桁勝利を挙げ、1970年には25勝19敗・防御率1.95で沢村賞を受賞した。通算勝敗が接近していても、年間最多勝や個人タイトルを獲得した投手の一人だ[15]。
現役投手はどこに入る?
NPB公式の2026年10月7日時点の現役通算敗北は、石川雅規194敗が最多、涌井秀章170敗が2位。歴代全体ではそれぞれ9位、18位となる。現役3位の岸孝之131敗は歴代20位の165敗に届かない。現役選手の成績は更新時期に注意して読む必要がある[1][9]。
| 現役順位 | 投手名 | 敗北 | 勝利 | 歴代順位 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 石川雅規 | 194 | 188 | 9位 |
| 2 | 涌井秀章 | 170 | 170 | 18位 |
| 3 | 岸孝之 | 131 | 175 | TOP20外 |
| 4 | 西勇輝 | 113 | 127 | TOP20外 |
| 5 | 大野雄大 | 104 | 107 | TOP20外 |
現役順位・勝敗はNPB公式「敗北【通算記録(現役選手)】」の2026年10月7日現在。歴代順位は2026年度終了時点の通算一覧と照合した[1][9]。
通算敗北は「実力が低かった投手の順位表」ではない。最多敗の金田は最多勝でもあり、梶本のように250勝を超えても負け越した投手がいる。近年の年間最多敗戦と比較すると、長い期間、多数の試合・投球回を任される時代背景も見えてくる。敗北数を評価するときは勝利数・勝率・登板数・投球回を合わせて確認したい。
集計条件:NPB一軍公式戦の敗戦投手としての通算敗北数。歴代順位は2026年度シーズン終了現在、現役選手は2026年10月7日現在、シーズン最多敗戦の歴代表は2025年度終了時点のNPB公開情報。勝率=勝利÷(勝利+敗北)、100登板あたり敗北=敗北÷登板×100。MLB・二軍・ポストシーズンの成績を含まない。
プロ野球で勝ち星を積み重ねてきた投手たち。通算勝利数だけでなく、登板数や勝率、シーズン最多記録を重ねて、その違いを探る。
勝ち星の多い投手が、最も多くの貯金を残したとは限らない。通算勝利数から敗北数を引くと、歴代の名投手はどのような順位になるのだろうか。
名球会の入会基準となる通算記録。会の発足時にはすでに達成者がいたが、発足後に初めて基準を満たしたのは誰だったのか。その一打と歩みを追う。
80勝が優勝ライン?90勝もすればもはや独走?…いや、優勝はそんなに甘くはない。