詳細
スピードガンの登場と記録の限界
1979年、テレビ中継でスピードガンによる球速表示が始まると、抑えを務めた小松辰雄の150km/h台の直球が注目を集めた[1][2]。
翌1980年にはナゴヤ球場の左翼席後方に球速表示の電光掲示板が設けられ、本人も「投げた瞬間に振り返って見た」と当時を振り返っている[1][3]。
小松自身が語る最速は、横浜スタジアムでの154km/h。本人はナゴヤ球場では152km/h程度が上限だったとも述べており、球場ごとに表示が異なったこともうかがえる[1]。
◇先行例と未確定の記録
先行例としては、鈴木孝政が1976年ごろ、広島市民球場で関係者の私設スピードガンにより155km/hを計測したとの証言がある[4][5]。この記録は公式戦での投球とされるが球場の公式表示ではなく、投球日・相手打者・何球目かは不明である。そのため「小松がNPBで史上初めて150km/hを投げた」とは断定できない。
最初の「150km/h」を何月何日の何球目に投げたかは確定していない。ネット上には1979年5月11日、横浜スタジアムで153km/hという数値も出回っているが、当時の新聞紙面・投球映像などで裏付けられていないため、確定記録としては扱わない[10]。
小松辰雄の記録に残る速球
◇試合日を追える球速記録
公式戦の試合日と具体的な投球状況を追える例に1981年5月9日の中日対広島戦(ナゴヤ球場)がある。当時の中日スポーツ紙面を紹介した記事は、9回に救援した小松がこの試合で最速150km/hを示し、ライトルに投じた外角への直球を左翼席へ運ばれた経緯を伝える[6]。
「150km/h」の表示が、本塁打を打たれた8球目だったとまでは確認できない。
1982年10月27日、日本シリーズ第4戦の中日対西武戦(西武球場)では、6回に登板した小松が初速154km/h(153.6km/h)を示したとする映像検証記事がある[8]。
NPB公式試合結果によれば、小松は6~8回の3イニングを投げ、被安打2、奪三振4、無失点で勝利投手となった[7]。
この試合は日本シリーズで、レギュラーシーズンの「最初の150km/h」を示すものではない。
小松は1979年に54試合、6勝9敗16セーブ、防御率2.69を記録し、後には先発でも活躍して通算122勝、1446奪三振を残した[9]。
速球の持続力について、対戦経験のある高橋慶彦も「9回になって球速が上がる」と語っている[2]。
資料確認日は2026年10月10日。NPBの公式認定に基づく「史上最初の一球」は確認できず、計測条件も統一できない。