詳細
初球を安打にされても、走塁死で3アウト
同点の7回表2死二塁。横山の初球は今宮の中前適時打となり、勝ち越し点を許した。しかし今宮が二塁を狙ってアウトとなり、1球だけで攻守交代。打撃結果は安打で、3アウト目は打者走者の走塁死によるものだった[1][2]。
◇打者を打ち取らず、走者をアウトにした
舞台はコボスタ宮城。23歳の横山は1対1の7回表2死二塁、菊池保則、相原和友に続く3番手で登板した。140キロの初球の直球を今宮が中前へ運び、明石健志が生還。ソフトバンクが2対1と勝ち越した[1][2][3]。
今宮は本塁への送球の間に二塁を狙い、タッチアウトとなった。安打はそのまま記録されるが、走者となった今宮の走塁死が3アウト目。横山は打者を凡退させずに投球回3分の1を記録した[1][2][4]。
| 場面 | プレー | 記録への影響 |
|---|---|---|
| 7回表1死 | 相原が明石に左安を許す | 明石は相原の責任走者 |
| 7回表2死二塁 | 横山が登板、今宮が初球を中安① | 横山に被安打1、今宮に打点1 |
| 同じプレーの続き | 明石が生還、今宮は二塁で走塁死 | 相原に失点1、横山に3分の1回 |
| 7回裏 | 楽天が8得点で逆転 | 横山の任務中に最後まで保つリードを奪う |
| 8回表以降 | 福山、クルーズが継投 | 横山は1球のまま勝利投手 |
| 登板 | 勝利 | 敗戦 | 投球数 | 投球回 | 打者 | 被安打 | 失点 | 自責点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1 | 0 | 1 | 1/3 | 1 | 1 | 0 | 0 |
表は初登板終了時点の数字。打者1人に1安打を許したため被打率は1.000、1勝0敗なので勝率も1.000。一方、生還した明石は前任の相原が出塁させた走者で、横山の失点・自責点は0、防御率は0.00だった[1][4]。
参考計算のWHIPは(被安打1+四球0)÷投球回3分の1=3.00。防御率0.00とWHIP3.00が同時に成立するのは、失点の責任と走者を出した記録が別だからだ。被打率・勝率・WHIPは、この1試合だけの数字として示した。
勝利投手は、好投への採点だけではない
公認野球規則9.17は、原則として投手の任務中に味方が勝ち越し、そのリードを守り切った場合に勝利を記録する。7回裏の攻撃時点で横山はまだ交代しておらず、8回表から福山博之が登板した。勝ち越しの瞬間にマウンド上にいる必要はない[1][2][4]。
ただし、短い登板で効果的な投球がなかった場合、後続の救援投手に勝利を与える例外もある。実際の判定は横山の勝利。公式記録員による当日の具体的な判断過程までは公表されていない[1][4]。
◇この逆転がなければ、敗戦投手だったのか
もし楽天が逆転せず、明石の生還が決勝点になっていたら、敗戦の責任を負うのは明石を出塁させた相原だった。「勝ち越し打を許した投手」と「その走者に責任を負う投手」は、必ずしも同じではない[1][4]。
◇同じ1球勝利でも、初勝利と初登板は違う
1球でプロ初勝利を挙げた投手は横山以前にもいた。2014年6月15日の巨人・土田瑞起は、8回2死から1球でアウトを取り、9回の逆転で初勝利を記録したが、プロ4登板目だった。横山は初登板で、しかも安打を許して達成した[6][7]。
2014年当時の報道によると、1球勝利は通算37人目、1球でのプロ初勝利は6人目。それでも「プロ初登板で1球勝利」は横山が初めてだった。似た記録でも、「1球勝利」「初勝利」「初登板」で条件が変わる[3][7]。
7回裏の8得点で、1球登板に白星が付いた
楽天は7回裏、打者13人・8安打で1対2から9対2へ逆転。横山は8回表から交代したが、リードは最後まで守られ、9対4で勝利した。勝ち越し打を許した新人に、初勝利が記録された[1][2][3]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ソフトバンク | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 4 | 12 | 0 |
| 楽天 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | × | 9 | 14 | 0 |
試合は楽天の9対4。試合時間3時間57分、観衆2万5308人。勝利投手は横山、敗戦投手は中田賢一。ソフトバンクは9回に松田宣浩の14号ソロなどで2点を返した。Rは得点、Hは安打、Eは失策[1]。
| 順 | 打者 | 打撃結果 | 得点経過 |
|---|---|---|---|
| 1 | 嶋基宏 | 空振 | 1対2 |
| 2 | 西田哲朗 | 四球 | 同 |
| 3 | 松井稼頭央 | 左二① | 2対2 |
| 4 | 藤田一也 | 中安 | 同 |
| 5 | 岡島豪郎 | 捕安 | 同 |
| 6 | アンドリュー・ジョーンズ | 四球① | 3対2 |
| 7 | 銀次 | 右中二② | 5対2 |
| 8 | 枡田慎太郎 | 右安① | 6対2 |
| 9 | 島内宏明 | 左中二① | 7対2 |
| 10 | 嶋基宏 | 二ゴ | 枡田が本塁で走塁死 |
| 11 | 西田哲朗 | 中安① | 8対2 |
| 12 | 松井稼頭央 | 右安① | 9対2 |
| 13 | 藤田一也 | 遊ゴ | 攻撃終了 |
①②は打点、空振は空振り三振。西田の四球から始まった攻撃で、松井稼頭央は同点二塁打と追加点の適時打を放った。決勝点はジョーンズの押し出し四球。生還した松井は中田が出塁させた走者なので、押し出しを与えた森唯斗ではなく中田に敗戦が付いた[1][2][4]。
◇楽天のオーダーと打撃結果
打撃結果は左から打席順。途中出場者の打順「同」は直前の打順枠を引き継いだことを示す。「空振」は空振り三振、「見振」は見逃し三振。両軍とも指名打者制のため、横山自身に打席はない[1][2]。
| 位置 | 選手名 | 打順 | 打数 | 安打 | 打点 | 打撃結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| (左) | 松井稼頭央 | 1 | 5 | 3 | 2 | 一安 / 中飛 / 一ゴ / 左二① / 右安① |
| 代走→左 | 榎本葵 | 同 | 0 | 0 | 0 | 打席なし |
| (二) | 藤田一也 | 2 | 5 | 2 | 0 | 二併 / 空振 / 左安 / 中安 / 遊ゴ |
| (右) | 岡島豪郎 | 3 | 5 | 2 | 0 | 投ゴ / 中安 / 中飛 / 捕安 / 三ゴ |
| (指) | ジョーンズ | 4 | 3 | 0 | 1 | 左飛 / 三ゴ / 中飛 / 四球① |
| 代打→指 | 後藤光尊 | 同 | 1 | 0 | 0 | 中飛 |
| (三) | 銀次 | 5 | 5 | 2 | 2 | 中安 / 見振 / 三直 / 右中二② / 遊ゴ |
| (一) | 枡田慎太郎 | 6 | 3 | 2 | 2 | 左中二① / 四球 / 空振 / 右安① |
| (中) | 島内宏明 | 7 | 4 | 2 | 1 | 右安 / 二ゴ / 三ゴ / 左中二① |
| (捕) | 嶋基宏 | 8 | 3 | 0 | 0 | 空振 / 四球 / 空振 / 二ゴ |
| (遊) | 西田哲朗 | 9 | 3 | 1 | 1 | 空振 / 二直 / 四球 / 中安① |
| 位置 | 選手名 | 打順 | 打数 | 安打 | 打点 | 打撃結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| (左) | 中村晃 | 1 | 5 | 3 | 1 | 右安 / 振逃 / 中安 / 二ゴ / 中安① |
| (遊) | 今宮健太 | 2 | 4 | 3 | 2 | 投犠 / 右飛 / 三安① / 中安① / 右安 |
| (中) | 柳田悠岐 | 3 | 3 | 1 | 0 | 二ゴ / 二ゴ / 四球 / 死球 / 二安 |
| (指) | 李大浩 | 4 | 5 | 0 | 0 | 空振 / 空振 / 左飛 / 三併 / 空振 |
| (一) | 吉村裕基 | 5 | 5 | 1 | 0 | 一邪飛 / 二ゴ / 遊ゴ / 左中二 / 遊ゴ |
| (右) | 長谷川勇也 | 6 | 3 | 0 | 0 | 左飛 / 空振 / 四球 / 遊ゴ |
| (三) | 松田宣浩 | 7 | 3 | 2 | 1 | 四球 / 中安 / 見振 / 中本① |
| (捕) | 鶴岡慎也 | 8 | 2 | 0 | 0 | 遊ゴ / 捕犠 / 中飛 |
| 捕手 | 高谷裕亮 | 同 | 0 | 0 | 0 | 打席なし |
| 代打 | 高田知季 | 同 | 1 | 0 | 0 | 空振 |
| (二) | 明石健志 | 9 | 4 | 2 | 0 | 二ゴ / 投ゴ / 左安 / 左中三 |
中村の振逃は暴投による出塁で、打数と三振にも数える。今宮の7回の中安①は、直後に走塁死しても安打と打点のまま。4回の吉村と3回の明石の打球は菊池のグラブに触れたが、球団速報の記録に従い二ゴとした[1][2]。
| 投手名 | 投球回 | 打者 | 被安打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 自責点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 菊池保則 | 6 1/3 | 26 | 4 | 3 | 0 | 5 | 1 |
| 相原和友 | 1/3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 横山貴明 | 1/3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 福山博之 | 1 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 |
| ライナー・クルーズ | 1 | 8 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 |
先発の菊池に勝利は付かず、7回表最後の1アウトを記録した横山が勝利投手になった。福山は8回を無失点でつなぎ、クルーズは9回に2失点したが逆転は許さなかった。セーブを記録した投手はいない[1]。
最初の1球が、生涯唯一の一軍勝利になった
NPB一軍通算は30登板、1勝4敗、2ホールド、防御率7.05。初登板後の29登板では勝ち星を加えられなかった。一方、育成契約を経て海外や国内独立リーグでも投げ、最後の高知では12登板で6勝を挙げた[5][8][9]。
◇福島から大学を経て楽天へ
1991年4月10日、福島県浪江町生まれ。聖光学院高では2年春・夏と3年夏に甲子園へ出場し、2年夏は8強入りした。早稲田大へ進み、2013年ドラフト6位で楽天入り。右投げ右打ちの投手として、2014年にプロ生活を始めた[3][5]。
早大在学中に東日本大震災と福島第一原発事故が起き、浪江町の家族は避難を余儀なくされた。初勝利時の取材で横山は、野球を通じて被災地の状況を伝えたいと語り、記念球を両親に贈る意向も明かしている[3]。
| 年 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2014 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 18 1/3 | 10 | 5.40 |
| 2015 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 15 2/3 | 6 | 9.77 |
| 2016 | 19 | 0 | 0 | 0 | 2 | 18 1/3 | 9 | 6.38 |
| 通算 | 30 | 1 | 4 | 0 | 2 | 52 1/3 | 25 | 7.05 |
| 打者 | 被安打 | 被本塁打 | 四球 | 死球 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 250 | 74 | 10 | 21 | 3 | 2 | 0 | 45 | 41 | .200 |
NPB一軍レギュラーシーズンの通算成績。完投・完封勝はともに0。WHIPは(被安打74+四球21)÷52回1/3=約1.82。2017、2018年も楽天に在籍したが一軍登板はなく、育成選手だった。海外・独立リーグの成績は合算していない[5][8]。
◇初勝利後の白星は遠かった
新人年は4試合で1勝2敗。そのうち3試合では先発も経験した。翌2015年は開幕ローテーションに入り、開幕3戦目の先発も任されたが、一軍7試合で0勝2敗。2016年は登板を19試合へ増やし、2ホールドを記録したものの勝利はなかった[5][8][10]。
初登板直後の勝率は1.000(1勝0敗)だったが、NPB通算は1勝4敗で.200。初勝利の後、29試合に登板しても次の白星には届かなかった[5]。
◇育成契約と右肘の故障
2017年から育成契約となり、支配下復帰を目指したが、同年途中に右肘を痛めた。リハビリを経て2018年5月に実戦復帰しても、二軍では6試合の登板にとどまり、オフに退団。トライアウトも受け、NPBで投げ続ける道を探した[8]。
◇海を渡り、独立リーグで投げ続けた
2019年は海外にも挑戦し、メキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。その後、同年6月に福島レッドホープスへ選手兼投手コーチとして加入し、2020年は高知ファイティングドッグスへ移った[8][9]。
高知では12登板で6勝2敗、防御率1.16。NPB通算1勝とは別に、独立リーグでも勝利を重ねた。2020年シーズンを最後に引退し、2021年3月にその決断を報告。同年2月から南相馬市の原町火力発電所に勤務していると明かした[9]。
バドミントンの経験と、指導者への転身
中学時代は野球と並行してバドミントンにも打ち込んだ。2024年の本人取材では、プロ入り後も投球の腕の振りを確かめるためにラケットを使ったと語っている[10]。
2022年に学生野球資格を回復し、2024年には福島成蹊高のコーチに就任。同年の取材では仕事と両立しながら、甲子園出場とプロ選手の育成を目指し、野球を楽しむ気持ちを大切にしたいと話した[10]。
◇星野監督の記念時計
星野仙一監督には、プロ初勝利の投手に記念の腕時計を贈る習慣があった。試合直後は投球内容に厳しい言葉を残したが、翌31日には横山にも時計を贈る意向を示した。1球勝利も公式の1勝である[11]。
記録の範囲と資料上の注意
記録の対象はNPB一軍公式戦。2014年当時、プロ初登板での1球勝利は史上初と報じられた。その後の同条件の達成者を網羅した公式一覧は確認できていないため、「史上唯一」とは断定しない。資料確認日:2026年10月27日[3][7]。
1球勝利の人数は、2014年当時の報道数値とし、他年度の集計には流用しない。今宮の走塁死の送球経路は今回の一次資料から特定できないため、二塁でアウトとなった事実だけを記した。初球の140キロ直球は当日の取材報道による[2][3]。