詳細
途中交代の翌日から始まった
1999年7月20日、広島の金本は阪神戦に6番・左翼で先発したが、代打を送られた。翌21日は4番・左翼で先発し、延長10回を最後まで戦った。この一戦が、後に10年以上続く連続記録の1試合目となる[5][6]。
| 記録 | 何を数えるか | 途中出場・交代の扱い |
|---|---|---|
| 出場試合数 | その選手が試合に出た回数 | 代打・代走・守備固めでも出場数になる |
| 連続試合出場 | 所定の要件を満たす出場を、チームの試合ごとに続けた数 | 打撃の完了、または一つの守備イニングを最初から最後まで務めることなどが必要 |
| 連続フルイニング出場 | 開始から終了までの出場を、続けた試合数 | 先発するだけでは足りず、途中交代もできない |
公認野球規則9.23(c)では、連続試合出場を続けるために、打撃を完了するか、自チームの守備1イニングを最初から最後まで務める必要がある。代走だけの出場では条件を満たさない。審判による退場には例外がある[3]。
フルイニング出場では守備位置の変更は妨げにならないが、途中交代は認められない。9回終了が条件なのではなく、延長戦も最後まで出場する。金本の記録初日は延長10回だった[6][9]。
対象は一軍のレギュラーシーズン公式戦。オフや球団移籍を挟んでも連続し、オールスターやポストシーズンは含まない。阪神球団公式の記録では1492試合、計1万3686イニングを出場し続けた[1][4][23]。
◇広島で主力打者になるまで
金本知憲は1968年4月3日生まれ、右投左打の外野手。広陵高、東北福祉大を経て1991年ドラフト4位で広島に入団し、1992年に一軍で5試合に出場した。1年目の一軍安打はゼロ。すぐに毎日出続ける選手だったわけではない[1][2]。
1994年に17本塁打、1995年に24本塁打。1996年は打率.300、1997年は.301、33本塁打を記録し、中軸打者へ成長した。1998年7月10日には、後の1766試合連続出場となる別の記録も始まっている。フルイニングの開始より、約1年早い[1][2]。
記録前日の途中交代
1999年7月20日 広島対阪神17回戦 阪神甲子園球場。金本は6番・左翼で先発し、3打数無安打、1三振。途中で町田康嗣郎が代打に入り、そのまま左翼を守った。広島は1対5で敗れた。出場はしていてもフルイニングではなく、この日を1492試合の中に含めることはできない[5]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 広島 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 |
| 阪神 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | × | 5 | 11 | 0 |
この試合の金本の打球方向や各打席のアウトの種類までは確認できていないため、3打数無安打・1三振という試合単位の成績で示した。代打・守備の交代は試合記録による[5]。
◇1試合目から延長10回
1999年7月21日 広島対阪神18回戦 阪神甲子園球場。31歳の金本は4番・左翼で先発した。広島が3回に先制、阪神が4回に追い付き、1対1のまま延長へ。広島が10回表に勝ち越して2対1で勝った。金本は4打数無安打、2三振、1四球で、10回まで交代せずに出場した[2][6]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 広島 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 10 | 0 |
| 阪神 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 |
打撃では無安打に終わった試合が連続記録の初日となった。1999年は7月21日以降56試合、2000~2009年は10シーズンの全試合でフルイニング出場した[1][2][6]。
| 年 | 球団 | 連続記録に含む試合 | 累計 | その年の対象期間 |
|---|---|---|---|---|
| 1999 | 広島 | 56 | 56 | 7月21日以降 |
| 2000 | 広島 | 136 | 192 | シーズン全試合 |
| 2001 | 広島 | 140 | 332 | シーズン全試合 |
| 2002 | 広島 | 140 | 472 | シーズン全試合 |
| 2003 | 阪神 | 140 | 612 | シーズン全試合 |
| 2004 | 阪神 | 138 | 750 | シーズン全試合 |
| 2005 | 阪神 | 146 | 896 | シーズン全試合 |
| 2006 | 阪神 | 146 | 1042 | シーズン全試合 |
| 2007 | 阪神 | 144 | 1186 | シーズン全試合 |
| 2008 | 阪神 | 144 | 1330 | シーズン全試合 |
| 2009 | 阪神 | 144 | 1474 | シーズン全試合 |
| 2010 | 阪神 | 18 | 1492 | 開幕~4月17日 |
2000~2009年の合計は1418試合。1999年の56試合と2010年4月17日までの18試合を加えると1492試合になる。部分期間と、各年の全シーズン打撃成績は区別する[1][2][13]。
◇日本記録を超えた時にも、左手を痛めていた
2004年8月1日、三宅秀史の700試合を超える701試合連続フルイニング出場を達成。その直前には死球で左手首を負傷し、右手一本で安打を放ちながら試合に出ていた。2006年4月9日には904試合となり、カル・リプケンの903試合を上回った[4][7][9]。
トリプルスリーも阪神の優勝も記録の途中
2000年は打率.315、30本塁打、30盗塁で、史上7人目のトリプルスリー。2001年は打率.314に加えて128四球、出塁率.463を残した。フルイニング出場は、単に打席に立つ回数を保つだけでなく、主力打者として出塁や長打を求められる中で続いていた[1][2]。
2003年、FAで阪神へ移籍し、全140試合に出場して18年ぶりのリーグ優勝に貢献。2004年は113打点で打点王を獲得した。2005年には自己最多の40本塁打、125打点、打率.327を記録し、阪神のリーグ優勝と自身のMVPを同じシーズンに手にした[1][2]。
| 年 | 球団 | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 連続記録 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | 広島 | 5 | 0 | 0 | 0 | .000 | 開始前 |
| 1993 | 広島 | 42 | 17 | 4 | 9 | .191 | 開始前 |
| 1994 | 広島 | 90 | 69 | 17 | 43 | .268 | 開始前 |
| 1995 | 広島 | 104 | 101 | 24 | 67 | .274 | 開始前 |
| 1996 | 広島 | 126 | 127 | 27 | 72 | .300 | 開始前 |
| 1997 | 広島 | 133 | 140 | 33 | 82 | .301 | 開始前 |
| 1998 | 広島 | 133 | 126 | 21 | 74 | .253 | 開始前 |
| 1999 | 広島 | 135 | 147 | 34 | 94 | .293 | 途中から |
| 2000 | 広島 | 136 | 156 | 30 | 90 | .315 | 全期間 |
| 2001 | 広島 | 140 | 148 | 25 | 93 | .314 | 全期間 |
| 2002 | 広島 | 140 | 148 | 29 | 84 | .274 | 全期間 |
| 2003 | 阪神 | 140 | 154 | 19 | 77 | .289 | 全期間 |
| 2004 | 阪神 | 138 | 165 | 34 | 113 | .317 | 全期間 |
| 2005 | 阪神 | 146 | 183 | 40 | 125 | .327 | 全期間 |
| 2006 | 阪神 | 146 | 165 | 26 | 98 | .303 | 全期間 |
| 2007 | 阪神 | 144 | 141 | 31 | 95 | .265 | 全期間 |
| 2008 | 阪神 | 144 | 164 | 27 | 108 | .307 | 全期間 |
| 2009 | 阪神 | 144 | 135 | 21 | 91 | .261 | 全期間 |
| 2010 | 阪神 | 144 | 85 | 16 | 45 | .241 | 途中まで |
| 2011 | 阪神 | 122 | 76 | 12 | 31 | .218 | 終了後 |
| 2012 | 阪神 | 126 | 92 | 6 | 30 | .258 | 終了後 |
成績欄はすべてその年全体の一軍公式戦成績。「途中から」は1999年7月21日以降、「全期間」は2000~2009年の全試合、「途中まで」は2010年4月17日まで。1999年の147安打、2010年の85安打などを、記録期間だけの数字として示したものではない[2]。
| 通算試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2578 | 8915 | 2539 | 476 | 1521 | 1368 | 167 | .285 |
2000~2009年の10シーズンを合計すると1418試合、1559安打、282本塁打、974打点。これは10年間の全試合成績であり、1999年と2010年の一部期間を含む1492試合の打撃成績ではない[2]。
◇日本記録直前に左手首を負傷
2004年7月29日の中日戦で、岩瀬仁紀の投球が左手首を直撃した。2024年に紹介された本人の回想では、岩瀬の球を捉えようとスライダーを狙って踏み込んだところ、シュートが当たって骨折したという。本人が後年、記録中の大きな危機として語った出来事である[8]。
それでも翌30日の巨人戦に出場し、右手一本で安打を放った。負傷直後には打撲と報じられたが、後の回顧資料では骨折と説明されている。診断の伝わり方が当時と後年で違うため、「当初から骨折と公表していた」とはしない[9]。
8月1日に701試合の日本新記録
2004年8月1日の巨人戦、甲子園で701試合に到達。阪神・三宅秀史の700試合を上回った。三宅の記録は1957年から1962年にかけてのもので、42年ぶりの日本記録更新だった[4][7]。
当時のNumberの取材によると、左手を痛めた金本は岡田彰布監督に勝利を優先してほしいと伝えたが、監督は4番で起用した。試合は巨人に敗れ、本人は起用への葛藤も語った[7]。
◇2006年4月9日は904試合
2006年4月9日 阪神対横浜 大阪ドーム。金本は904試合連続フルイニング出場となり、MLBのカル・リプケンが持つ903試合を上回った。試合は阪神が10対5で勝利。金本は3打数無安打だったが、2四球と1打点を記録した[4][10]。
| 日付 | 試合数 | 節目 |
|---|---|---|
| 1999年7月21日 | 1 | 連続記録の開始 |
| 2004年8月1日 | 701 | 三宅秀史の700試合を超える |
| 2006年4月9日 | 904 | リプケンの903試合を超える |
| 2010年4月17日 | 1492 | 連続記録の最後のフル出場 |
リプケンの903試合も「連続フルイニング出場」。連続試合出場の記録とは別である[4][23]。
頭部死球でも交代しなかった時代
記録中には、2000年8月の巨人戦、2005年6月のホークス戦、2008年5月の巨人戦でも頭部への死球を受けたと、Full-Countの回顧記事は伝えている。2008年にはヘルメットが壊れる衝撃を受けた後も出場を続け、次の打席で通算399号本塁打を放ったという[9]。
負傷中にも先発を続けたのが1492試合の実態だった。左手首の負傷時や頭部死球の際にも出場を継続したことは、当時の取材・後年の回顧に残っている[7][8][9]。
右肩の故障で先発を外れ、代打で再出発した
2010年4月18日、横浜戦の先発メンバーに金本の名前はなかった。右肩痛で送球が難しくなり、本人が先発を外れる考えを伝えたためだ。ただし8回に代打で出場して二ゴロ。フルイニングの記録は終わっても、連続試合出場は続いていた[11][12][14]。
最後の1492試合目
2010年4月17日 阪神対横浜4回戦 横浜スタジアム。42歳の金本は4番・左翼で先発し、4打数無安打、1三振、1失策。阪神は3対7で敗れた。これが1492試合目のフルイニング出場となり、試合後の打率は.167だった[2][13][21]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 阪神 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 9 | 1 |
| 横浜 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | × | 7 | 13 | 0 |
回顧記事によれば、8回裏の左前打を処理した金本の送球は、中継の野手まで届かなかった。右肩の故障は打撃だけでなく左翼守備にも影響していた[9]。
3月の接触から、先発を外れる決断まで
当時の報道によると、金本は3月のオープン戦でノック中に味方選手と接触し、右肩を痛めていた。4月18日も出場を探り、テーピングを施してブルペンで送球を試したが、納得できる状態にはならなかった[12]。
金本は試合後、監督や木戸克彦ヘッドコーチは出場を求めてくれた一方、あの送球では投手に迷惑を掛けると考えた、と説明している。そして「勝つための手段として、僕は外れる」と首脳陣へ伝えた。単なる休養日ではなく、守備への影響を踏まえて本人が先発を外れる考えを示した日だった[12]。
◇翌日の先発に名前がなかった
2010年4月18日 阪神対横浜5回戦 横浜スタジアム。4番は新井貴浩、左翼は葛城育郎が先発し、金本はベンチスタート。連続フルイニング出場は1492試合で終わった[11][14][22]。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 阪神 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 2 | 8 | 15 | 0 |
| 横浜 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 8 | 0 |
阪神は8回のブラゼルの逆転3ランなどで8対4と勝利。金本は同じ8回に代打で出場して二ゴロに終わったが、連続試合出場は1638試合へ伸びた。フルイニング記録が止まっても、出場試合の連続は継続した[3][11][12][22]。
| 日付 | 起用 | 打撃成績・結果 | フルイニング記録 |
|---|---|---|---|
| 1999年7月20日 | 6番・左翼→途中交代 | 3打数0安打、1三振 | 開始前 |
| 1999年7月21日 | 4番・左翼、延長10回まで | 4打数0安打、2三振、1四球 | 1試合目 |
| 2010年4月17日 | 4番・左翼、交代なし | 4打数0安打、1三振 | 1492試合目 |
| 2010年4月18日 | ベンチ開始→8回代打 | 二ゴ | 1492試合で終了 |
4月18日の「二ゴ」は当日の取材記事に基づく。ほかの試合の打球方向や全打席の内訳は、確認できた記録以上に補っていない[5][6][12][13][22]。
◇15年後に語った真弓監督と金本
2025年6月22日の阪神OBトークショーでは、当時の監督・真弓明信と金本が、この決断を振り返った。真弓は、あと1試合出れば翌日は試合がないことも伝え、メンバー表を交換する時まで、金本を先発に入れた別の用紙を持っていたと明かしている[15]。
一方、金本はプレーを重ねるほど肩の状態が悪くなったと説明。チームのために出てほしいという言葉に対し、チームのために先発を降りると伝えた趣旨を振り返った。その上で、真弓が連続試合出場にも配慮してくれたことへ感謝している。当日の報道と、後年に同席して語られた回想の両方が残っている[15]。
◇記録が終わってからも現役は続いた
金本は2010年も144試合に出場したが、打席数は前年の619から396へ減った。シーズン成績は16本塁打、45打点、打率.241。フルイニング記録の終了後は、代打などでの起用が増えた[2]。
連続試合出場は2011年4月14日まで1766試合に伸びた。フルイニングの最長1492と、金本自身の連続試合出場1766は、開始日も終了日も違う。2012年は126試合、92安打、6本塁打、30打点、打率.258。この年で現役を終え、通算2539安打、476本塁打を残した。2016~2018年には阪神監督を務め、2018年に野球殿堂入りした[1][2]。
歴代2位は秋山翔吾の739試合
秋山翔吾は西武時代の2014年9月6日から2019年9月26日まで、739試合連続フルイニング出場を記録した。パ・リーグ記録で、NPB歴代2位に当たる。金本の1492試合との差は753試合だった[16][17]。
秋山は2019年8月12日に701試合となり、三宅の700を抜いて歴代単独2位へ進んだ。本人は途中交代のための選手を割かずに済むことを、チームから重宝されている一面として語っていた。最終戦まで出続け、2015~2019年の5年連続全試合フルイニング出場も完成させた[17][18]。
秋山はその後MLBへ移り、2022年に広島でNPBへ復帰。2026年8月26日のDeNA戦でも途中交代しており、西武時代の739試合が現在進行形の記録というわけではない[16][19]。
近年の例では
中日の岡林勇希は、2025年に12球団で唯一、全試合フルイニング出場を果たした。しかし2026年4月3日のヤクルト戦で右脚を痛め、5回に代走を送られて途中交代。連続フルイニング出場は191試合で止まり、翌4日に出場選手登録を抹消された[20]。
岡林は一塁内野安打で出塁した直後に代走を送られたため、この試合はフルイニング出場に当たらない。前年の全試合出場を経ても、1試合の途中交代で連続記録は止まる[3][20]。
対象範囲と集計の注記
対象はNPB一軍レギュラーシーズンの公式戦。1492試合の期間と連続イニング数は阪神球団公式・野球殿堂博物館、年度別打撃成績はNPB公式を優先した。古い個別試合の詳しい打球・守備記録には二次集計を用い、本人や関係者の回想は競技記録と区別した[1][2][4][23]。
秋山の739試合は歴代2位の終了済み記録であり、2026年現在の「継続中」ランキングではない。岡林の191試合も2026年4月に途切れた。資料確認日:2026年10月25日[16][20]。